駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

劇団四季ミュージカル『キャッツ』

2009年12月24日 | 観劇記/タイトルか行
 キャッツ・シアター、2005年1月25日ソワレ。
 満月が輝く夜、24匹の野良猫たちが、それぞれの生き方を歌い、踊り、競い合う、年に一度の舞踏会。天上に上り、新しい人生を生きることが許されるただ一匹の「ジェリクルキャッツ」に選ばれるのははたして誰か…曲/アンドリュー・ロイド=ウェバー、詞/T・S・エリオット、日本語台本/浅利慶太、振付/加藤敬二・山田卓。1983年日本初演。

 初めて観ました。猫の話であることと、「メモリー」しか知らなかったんですが…こういう舞台だったんですね。
 二階席だったのですが、舞台は観やすく、群舞のフォーメーションが綺麗に見えて、当たりでした。でも前の席との間は狭くて、体格のいい人にはつらいかもしれません。

 暗転して黄色い目が光り始め、怖いと泣き出した子供の観客が痛のですが、猫が踊り始めたら止んだのだからたいしたものです。それから、客いじりというほどでもないのですが、開演アナウンス前に猫が客席やら舞台やらをうろつき始めます。それが、ぱっとわかるんですよね。もちろん四つ足ついてるとか毛皮の衣装を着けているというのはあるんだけれど、動きがちゃんと猫になっていて、非日常の舞台が、芝居が、もうそこにあるのです。役者さんってすごい、と本当に思います。
 でも、「メモリー」と電車猫の歌とミストフェリーズ(この日は蔡暁強)のテーマ(?)意外は、わりに難しくて口ずさみづらい歌が多いんですね。ちょっと意外。そして「メモリー」は訳詞があまりよくない気がしたというか、どうしても日本語にするのが難しいのはわかるのですが音数が合っていないのがとても気持ち悪かったです。
 でも泣きましたけどね、グリザベラ(重水由紀)の「私を触って、抱いて」に…

 天上に上がるって結局老いたものから順に死ぬってことかい、と言ってしまってもいいのだけれど、ただ単に寿命で死ぬということではなくて、ここまで老いて汚れて虐げられてきても、最後の最後に愛を得られた、そういうものだけが幸せに天に召されていける、というようなことなのですよね。言葉にするとつまらなくなってしまうけれど。
 業病を患う人がこういうふうに触れ合いを求めるのを聞いたことがありますが、それを思い起こして、泣いてしまいました。美貌を売ってきた者にとっては老いもまた病のようなもの、それでも愛を乞うその姿に、泣けてしまったのですね…

 一方、爽快で笑っちゃうのがミストフェリーズのアクロバティックなダンスシーンです。熊川哲也の『ドン・キ』もかくやという感じ? なんかブラックデビルみたいな小さくてすばしこそうな黒猫がいるよ、と思っていたら、あれが有名なミストフェリーズだったとは…すばらしかったです。

 私は犬も猫も好きですがどちらかと言えば犬派で、でも「猫は犬にあらず」と歌われているとおり、これが猫の物語であって犬のそれではない、というのはわかる気がします。犬は「ただひとつの高貴な名前」なんて持っていない気がするのです。飼主に、と言うか人間に与えられた名前を喜んで名乗りそうな気がします。でも、猫はきっとそうではない。そして、俗説で言われる、猫が死体を見せないというのは、きっとこうやって天上に上がっていくからなのでしょう…
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『ロミオとジュリエット』

2009年12月24日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 日生劇場、2004年12月27日ソワレ。
 花の都ヴェローナ、季節は夏。反目しあうふたつの名門、モンタギュー家とキャピュレット家。モンタギューの息子ロミオ(藤原竜也)はロザラインへの恋いに深く悩んでいた。彼女が出席するというキャピュレット家の舞踏会に友人たちと紛れ込むが、彼はそこでキャピュレットの娘ジュリエット(鈴木杏)と出会い、恋に落ちる…演出/蜷川幸雄、作/W・シェイクスピア、翻訳/松岡和子。

 シェイクスピア劇をどう演じるか、演出するか、という問題には本当に様々な方法があるとは思うのですが、少なくとも現代日本においては、詩を朗読したり聴いたりする文化がほぼなくなっていると言っていいと思うので、今回のやり方では私は観ていて正直つらかったです。
 台詞が早口すぎて聞き取れないし、聞き取れたとしても内容を理解するのが追いつかない。
 あれだけの台詞をきちんと覚えてつっかえもせずとうとうと語る役者さんはすごいなとは思うけれど、でも観客はそんな曲芸を観に来るわけではないでしょう?

 かといってたとえばバレエのように台詞をなくしてしまうとか、キャラクターやストーリーだけ使って現代的でリアリティのある別の台詞劇に翻案してしまうとか、というのも、確かにちがう気はします。
 だから、ただもっとゆっくり聞かせてくれるだけで、よかったんだと思うんですけれど。
 特に前半は喜劇的な要素が強い分だけ台詞が多いのですが、終盤に入ると台詞はぐっと減って、その分聴きやすくわかり易くなるし、感情も乗ってきます。

 前半だって、別に「そんなふうにしゃべる人間なんていない」なんて言いません。お芝居ですから、舞台ですから。劇画化されていて当然なんです。でもせめてもっと聴かせてくれれば、詩的すぎてリアルな会話ではなくても、リアルな感情は付いてきます。私ですら知っている名文句が多いせっかくの戯曲だし、確かに訳も手がかけられているようだったし、もっと聴かせてほしかった、ちゃんと理解したかったです…
 セットはおもしろいと思いました。上下に使ってくれていて、二階席最前列だったのですが、そういう意味でも近く見やすかったです。
 ただ、私はどちらかというと藤原竜也より鈴木杏が目当てだったのですが(笑)、どうも頬紅の入れ方のせいか、二階席から(上目から)見ると何故かあまり可愛く見えなかった…残念…
 でもポスターやパンフレットの写真どおり、よく似て似合いのふたりで、若い恋人たちのパワー爆発で、可愛らしかったし微笑ましかったし、悲しくて、良かったです。

 ベンヴォーリオ(井上顕)が優しそうでナイーブそうなロミオのいい友人役で、好感。ロミオに対しバイセクシュアルな感情があるっぽく演出されることの多いマキューシオ(高橋洋)は何故か裸にサスペンダーにコートにサングラスで、でもいい感じ。「花のような」パリス(月川勇気)は宝塚歌劇の男役のような、不思議な声をしていて妙に印象的でした。

 『ロミジュリ』知っているようで知らなかったのが、パリスもマキューシオも大公の親戚だったということ。それからキャピュレットのお父さんがすごくアタマの悪い頑固親父だったこと…
 お話としては、やっぱり好きです。またいろいろと観てみたいです。
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NYLON100℃『消失』

2009年12月24日 | 観劇記/タイトルさ行
 紀伊国屋ホール、2004年12月9日ソワレ。
 幼いころに両親が離婚して以来、チャズ(大倉孝二)とスタンリー(みのすけ)は兄弟ふたりきりで暮らしている。クリスマスイブに、スタンは想いを寄せている女友達ホワイト・スワンレイク(犬山イヌコ)を招こうとしているが…作・演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチ。一幕。

 NYLON100℃の舞台がずっと観たくて、『ドント・トラスト・オーバー30』がすごく良くて、前作『男性の好きなスポーツ』もすごくいい評判ばかり聞いていて、飛びついて買ったチケットだったんですけれど、ねえ…

 愛している人を失ってしまった。だけどまだ愛しているからヒトガタを作った。いけないことだとわかってはいたけれど。
 それで?
 だってよくあるお話じゃない。だからオチが、結論が、意味が知りたくなってとうぜんじゃないですか? だけど、何もなかった。私には読み取れませんでした。
 半数が死者になって半数は生者として残って、生者は男と女と天使、みたいなもので、あとは小鳥、それが世界、みたいな? うーん。
 パンフレットの言葉より。「僕は出来不出来の激しい作・演出化だとよく言われますが、ある意味それは褒め言葉だととらえています。/ある人にとっては出来の良い作品に思えたものが、別のある人にとってはピンとこなかったり、あるいは、ある人が最悪だと思ってもまた別の人にとっては一生の宝物になるような、そんな芝居を作り続けていけたらな、と。そうした意味で、出来不出来を連ねてゆけるといい」確かに私の隣の女性客は大泣きしていました。だから何かがあるのでしょう。うむ。
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Kバレエカンパニー『ドン・キホーテ』

2009年12月24日 | 観劇記/タイトルた行
 オーチャードホール、2004年11月18日ソワレ。
 スペイン内陸部のラマンチャ地方。ひなびた田舎に人知れず暮らす老紳士ドン・キホーテ(ルーク・ヘイドン)は中世の騎士物語を読みふけるうち、現実と夢想の区別がつかなくなって冒険の旅に出る。一方、バルセロナの旅篭の看板娘キトリ(この日は荒井祐子)は恋人で理髪師のバジル(熊川哲也)と相思相愛だが、父は裕福な婿を取りたいと考えていた…原振付/マリウス・プティパ、アレクサンドル・ゴールスキー、音楽/ルードヴィヒ・ミンクス、演出・再振付・舞台美術・衣装/熊川哲也。全3幕。熊川版古典全幕バレエの第5弾。

 堪能しました。跳んだり回ったりがバレエじゃないとわかってはいるけれど、舞台上で元気にピンピン跳ね回る熊川哲也を観ていると、アクロバティックな超絶技巧を観る楽しみというものを存分に味わえます。思わず声が出てしまうし、思いっきり拍手がしたくなるのです。一幕最初のキトリとの踊りなんて、サポートしている場面はともかく、並んで同じ振りを踊るところは絶対にプリマを置いていってしまっていました。でも許す(笑)。
 三幕のパ・ド・ドゥの中のソロでは思いっきり拍手ができて満足でした。普通は拍手を受けるために舞台の前面に出てお辞儀をするのはプリマだけなわけですが、ここでは熊川哲也に思いっきり賛辞が贈れたので。だいたいこのヴァリエーション、何がすごいってプレパラシオンが美しすぎることですよ。これから跳ぶぞ、回るぞ、っていう大きなエネルギーをぐっと溜めて余裕で音を待つそのパワーに見惚れました。ブラボー!

 1989年のローザンヌ(東京開催とは知らなかった)でゴールド・メダルを取った踊りは、思えばこのヴァリエーションだったのでした。

 正直、ストーリーにすごく意味があるとか深いキャラクターやドラマがある訳ではないし、私はどちらかというと『白鳥』とか『ロミジュリ』とか『マノン』とか、ぶっちゃけて言えば辛気臭い悲恋ものの方が好きなんですけれど、でも、こういう明るく楽しい全幕ものの「結婚式の第三幕」ってのはいいもんだなあと、改めて思いました。ガマーシュ(サイモン・ライス)も踊る、サンチョ・パンサ(ピエトロ・ペリッチア)も踊る、闘牛士たちも花売り娘たちも踊る、踊る。本当に楽しいです。花形闘牛士のエスパーダこの日はスチュアート・キャシディでしたが、恰幅が良くて押し出しが立派で濃くって、ものすごく役にぴったりでおかしかったです。でも明日は熊川哲也がエスパーダに扮するそうな。どんなふうになるんでしょうね? エスパーダの恋人メルセデスはこの日は松岡梨絵。ほっそりとしていて、私はキトリより好みだったかも…

 あと、衣装がよかったと思います。街の娘たちのスカートはなんか柔らかくて軽そうな生地に見えて、レーシーで厚いペチコートが中に一杯入っていてお洒落。二幕の妖精たちのチュチュはクラシックなものなのですが、半径が小さくてミニスカートふうで、フチというかヘリがぎざぎざでふわふわしてとっても素敵。トータルの色もきれいでした。三幕一場のキトリは青が勝ったパープルで超シック! 闘牛士たちも鮮やかでした。
 名ダンサー必ずしも名芸術監督ならずなので、独立したときは正直大丈夫かいなと思ったものでしたが、カンパニーの主催者としても振付家としても踊り手としてもがんばれているようで、安心しました。またいろいろ観に行きたいです。
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