東京宝塚劇場、2003年10月17日マチネ。
今なお現世をさまようエチオピア王家の長兄ウバルド(汐美真帆)の魂が妹の真意を想う。彼女は祖国の裏切り者だったのか、それとも…舞台は今から3500年前のエジプトに溯る。若き戦士ラダメス(湖月わたる)は将軍に選ばれる予感に震えていた。エチオピアとの戦いに勝利したあとは、先の戦いのさいにエジプトの囚人となったエチオピア王女アイーダ(安蘭けい)に求愛しようと考えていたのだ。アイーダもまた祖国の敵とは知りながら、ラダメスに心惹かれていたが、その想いを秘めていた。だが同じくラダメスに恋するエジプト王女アムネリス(檀れい)は、ふたりの仲を疑っていた…脚本・演出/木村信司、作曲・編曲/甲斐正人。ヴェルディのオペラ『アイーダ』を元に壮大に描く、星組新トップコンビお披露目公演。全2幕。
いやあ、よかったです。
『エリザベート』や『鳳凰伝』など、台詞が歌になるタイプの作品をいくつか観てきましたが、一番歌詞が聞き取りやすく曲も覚えやすくいいリフレインもたくさんあって二重唱・三重唱もがんばっていて、楽しく観られました。
銀橋で顔見せに歌うラダメスのすぐあとにアイーダがまず朗々と歌うのですが、これがまずよかった。
普段男役の生徒が女役を演じ、無理のない地声のキーで非常にクリアに歌うので、なんか宝塚歌劇の娘役の歌離れしていて、一気に世界に引き込まれました。
そこへ艶然と登場するアムネリスがまた、衣装のせいはあるとはいえもう立っているだけで輝かんばかりの気高い王女ぶり。これまた可愛いだけの典型的娘役とは明らかにちがう美しいプリマドンナで感動。アムネリスは下手をすると憎々しい仇役に落ちかけるキャラクターでしょうが、ダンちゃんは毅然として凛として強く気高く美しくそして悲しい王家の娘を余すところなく演じきっていたと思います。特に前半、アイーダの力強い歌唱力に比べると音が取りきれていず不安定さを感じさせはしましたが…
一方トウコちゃんのアイーダは歌のすばらしさに比べると演技はやや力ずくだったかもしれません。肌を出して身軽くかつたおやかなエジプト人に対してエチオピア勢がわさわさ着込んでいるせいもあったかもしれませんが、立ち居振舞いがわたわたしていて、ラダメスが惹かれた高貴さがあまり見えませんでした。
「戦いは新たな戦いを生むだけ」
という彼女の主張、父王や兄に謗られ苦悩する様、ラダメスとの愛に悩み拒む様など、すごくよくわかるしとってもいいのだけれど、もうちょっとキャラクターとしていじらしく静かででも芯が強い、という感じに作ってもらえると、より深く感動できたかなーと思ったのでした。
こういう魅力的な女性ふたりに愛される男を演じなくてはならないワタルさんは大変でしょう。軍隊での出世や戦場での勇躍を思い奮い立つ様子は下手をすると非常に愚かで男根的な筋肉馬鹿キャラクターに見えてしまいかねないし、愛する人の平和への望みを本当には理解していずただその祖国を救ってやることに酔っているだけの男に見えてしまいかねません。
ラダメスが踏みとどまったのは、ファラオ(箙かおる)暗殺の際に裏切ったのは自分かもしれないと名乗るところ、そしてそのあとアムネリスの差し伸べた手をきちんと断ってみせるシーンがあったればこそでしょう。もしかしたら作劇的に、ごく前半にラダメスの魅力を描くすごくいいエピソードがもっと必要だったかもしれません。
ともあれこのトライアングルはほとんど過不足なくがっちりと組み上げられ、ファラオとエチオピア王アモナスロ(一樹千尋)の専科ふたりがまた歌も芝居もすばらしく、出色の出来となった舞台と言えるでしょう。
元のオペラを私は観たことがないのですが、パンフレットの解説によれば、三者三様の愛の悲劇を中心に描いた大いなる祝祭劇、のようですね。しかし今回の舞台は、一昨年の9.11米国同時多発テロとそれに続く対イラク戦争(この戦争は「ベトナム戦争」とか「湾岸戦争」とかのようなきちんとした名前がついていないように思うのですが、それはこの争いがまだ終結していないからなのでしょうか)の影響を色濃く受け、非常にダイレクトに戦争反対のテーマを掲げたものになっていると思います。オペラでは未遂に終わるファラオ暗殺計画がこの作品では遂行されることにしたのはそのせいだと作者自身も言っていますし、「エジプトはすごい、強い」「金と力でなんでも手に入る」と歌い踊る笑っちゃうほどあさましい大衆の姿が何を揶揄しているかはすぐにわかるところです。
冒頭でウバルドが、自分はアイーダの考えを何もわかっていなかった、もしかしたら今も…と悔やむ「アイーダの信念」とは、
「誰がどう言おうと私は嘘をつけない/ひたすらこの真実を世界に向けて叫び続ける/戦いは新たな戦いを生むだけ!」
というものでした。エンディングでアムネリスが力強く宣言し歌うのは、
「戦いに終わりを…!この地上に喜びを/人みなひとしく認めあっておたがいを許せるように!/たとえ今は夢のように思えてもこの身を捧げてそんな世界をいつかきっと!」
という「王家に捧ぐ歌」でした。
もちろん、ラダメスが言う「エチオピアの解放」ってなんだろう、とは思っちゃうのです。王族を人質にとって主権を与えないならそれは隷属させることなのでは? 自治権は与えるってこと? 私、国際政治とかよくわかんないけどなんか釈然としないわ、とか。
アムネリスにしたって自分が生きている間はエジプトは二度と戦争しないと宣言するのはいいけど、その前にエチオピアを攻めて滅亡させているんだよね、とか。
国はなくなっても大地はなくならない、残った命はまた花咲いていく、とでもファトマ(万里柚美。しかし歌はつらかったなー)やカマンテ(真飛聖)あたりに歌わせればよかったのかもしれません。
祈って死んでいくアイーダもラダメスも、愛を得られず国を背負って生きていくアムネリスも、三人が三人とも幸せな結末とは言い切れない、しかし希望を感じさせないではない不思議なハッピーエンドのような、そうでないような…そういう意味で、非常に現代的な物語なのかもしれません。
今なお現世をさまようエチオピア王家の長兄ウバルド(汐美真帆)の魂が妹の真意を想う。彼女は祖国の裏切り者だったのか、それとも…舞台は今から3500年前のエジプトに溯る。若き戦士ラダメス(湖月わたる)は将軍に選ばれる予感に震えていた。エチオピアとの戦いに勝利したあとは、先の戦いのさいにエジプトの囚人となったエチオピア王女アイーダ(安蘭けい)に求愛しようと考えていたのだ。アイーダもまた祖国の敵とは知りながら、ラダメスに心惹かれていたが、その想いを秘めていた。だが同じくラダメスに恋するエジプト王女アムネリス(檀れい)は、ふたりの仲を疑っていた…脚本・演出/木村信司、作曲・編曲/甲斐正人。ヴェルディのオペラ『アイーダ』を元に壮大に描く、星組新トップコンビお披露目公演。全2幕。
いやあ、よかったです。
『エリザベート』や『鳳凰伝』など、台詞が歌になるタイプの作品をいくつか観てきましたが、一番歌詞が聞き取りやすく曲も覚えやすくいいリフレインもたくさんあって二重唱・三重唱もがんばっていて、楽しく観られました。
銀橋で顔見せに歌うラダメスのすぐあとにアイーダがまず朗々と歌うのですが、これがまずよかった。
普段男役の生徒が女役を演じ、無理のない地声のキーで非常にクリアに歌うので、なんか宝塚歌劇の娘役の歌離れしていて、一気に世界に引き込まれました。
そこへ艶然と登場するアムネリスがまた、衣装のせいはあるとはいえもう立っているだけで輝かんばかりの気高い王女ぶり。これまた可愛いだけの典型的娘役とは明らかにちがう美しいプリマドンナで感動。アムネリスは下手をすると憎々しい仇役に落ちかけるキャラクターでしょうが、ダンちゃんは毅然として凛として強く気高く美しくそして悲しい王家の娘を余すところなく演じきっていたと思います。特に前半、アイーダの力強い歌唱力に比べると音が取りきれていず不安定さを感じさせはしましたが…
一方トウコちゃんのアイーダは歌のすばらしさに比べると演技はやや力ずくだったかもしれません。肌を出して身軽くかつたおやかなエジプト人に対してエチオピア勢がわさわさ着込んでいるせいもあったかもしれませんが、立ち居振舞いがわたわたしていて、ラダメスが惹かれた高貴さがあまり見えませんでした。
「戦いは新たな戦いを生むだけ」
という彼女の主張、父王や兄に謗られ苦悩する様、ラダメスとの愛に悩み拒む様など、すごくよくわかるしとってもいいのだけれど、もうちょっとキャラクターとしていじらしく静かででも芯が強い、という感じに作ってもらえると、より深く感動できたかなーと思ったのでした。
こういう魅力的な女性ふたりに愛される男を演じなくてはならないワタルさんは大変でしょう。軍隊での出世や戦場での勇躍を思い奮い立つ様子は下手をすると非常に愚かで男根的な筋肉馬鹿キャラクターに見えてしまいかねないし、愛する人の平和への望みを本当には理解していずただその祖国を救ってやることに酔っているだけの男に見えてしまいかねません。
ラダメスが踏みとどまったのは、ファラオ(箙かおる)暗殺の際に裏切ったのは自分かもしれないと名乗るところ、そしてそのあとアムネリスの差し伸べた手をきちんと断ってみせるシーンがあったればこそでしょう。もしかしたら作劇的に、ごく前半にラダメスの魅力を描くすごくいいエピソードがもっと必要だったかもしれません。
ともあれこのトライアングルはほとんど過不足なくがっちりと組み上げられ、ファラオとエチオピア王アモナスロ(一樹千尋)の専科ふたりがまた歌も芝居もすばらしく、出色の出来となった舞台と言えるでしょう。
元のオペラを私は観たことがないのですが、パンフレットの解説によれば、三者三様の愛の悲劇を中心に描いた大いなる祝祭劇、のようですね。しかし今回の舞台は、一昨年の9.11米国同時多発テロとそれに続く対イラク戦争(この戦争は「ベトナム戦争」とか「湾岸戦争」とかのようなきちんとした名前がついていないように思うのですが、それはこの争いがまだ終結していないからなのでしょうか)の影響を色濃く受け、非常にダイレクトに戦争反対のテーマを掲げたものになっていると思います。オペラでは未遂に終わるファラオ暗殺計画がこの作品では遂行されることにしたのはそのせいだと作者自身も言っていますし、「エジプトはすごい、強い」「金と力でなんでも手に入る」と歌い踊る笑っちゃうほどあさましい大衆の姿が何を揶揄しているかはすぐにわかるところです。
冒頭でウバルドが、自分はアイーダの考えを何もわかっていなかった、もしかしたら今も…と悔やむ「アイーダの信念」とは、
「誰がどう言おうと私は嘘をつけない/ひたすらこの真実を世界に向けて叫び続ける/戦いは新たな戦いを生むだけ!」
というものでした。エンディングでアムネリスが力強く宣言し歌うのは、
「戦いに終わりを…!この地上に喜びを/人みなひとしく認めあっておたがいを許せるように!/たとえ今は夢のように思えてもこの身を捧げてそんな世界をいつかきっと!」
という「王家に捧ぐ歌」でした。
もちろん、ラダメスが言う「エチオピアの解放」ってなんだろう、とは思っちゃうのです。王族を人質にとって主権を与えないならそれは隷属させることなのでは? 自治権は与えるってこと? 私、国際政治とかよくわかんないけどなんか釈然としないわ、とか。
アムネリスにしたって自分が生きている間はエジプトは二度と戦争しないと宣言するのはいいけど、その前にエチオピアを攻めて滅亡させているんだよね、とか。
国はなくなっても大地はなくならない、残った命はまた花咲いていく、とでもファトマ(万里柚美。しかし歌はつらかったなー)やカマンテ(真飛聖)あたりに歌わせればよかったのかもしれません。
祈って死んでいくアイーダもラダメスも、愛を得られず国を背負って生きていくアムネリスも、三人が三人とも幸せな結末とは言い切れない、しかし希望を感じさせないではない不思議なハッピーエンドのような、そうでないような…そういう意味で、非常に現代的な物語なのかもしれません。