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駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇月組『エリザベート』

2009年12月29日 | 観劇記/タイトルあ行
 東京宝塚劇場、2005年4月22日マチネ、5月17日ソワレ。
 19世紀末。ヨーロッパ随一の美貌を謳われたオーストリアハンガリー帝国皇妃エリザベート(瀬奈じゅん)が、イタリア人アナーキストのルイジ・ルキーニ(霧矢大夢)に殺害された。煉獄の裁判所でルキーニの尋問が始まる。ルキーニは、エリザベートは死神トート(彩輝直)と恋仲だった、と主張する…脚本・歌詞/ミヒャエル・クンツェ、音楽/シルヴェスター・リーヴァイ、潤色・演出/小池修一郎、翻訳/黒崎勇。1992年ウィーン初演。宝塚版は1996年初演、5組目の公演。

 すごーくよかったです。私は宝塚初演の雪組版から、星、宙と、前回のミドリちゃん(大鳥れい)ファイナルの花組版以外は全公演1、2回ずつ観ているはずなのですが、こんなにいい舞台だったっけっかなー、という印象でした。
 演出がどんどん洗練されていっていてまったく過不足がなくなっており、スピーディーで華麗でゴージャスな展開は健在で、仕上がりも現代的になっているのだと思います。リプライズというかリフレインが多く印象的な楽曲もすばらしいの一言です。
 個人的に、心配された主役カップル以外のメインキャスト三人、皇帝フランツ・ヨーゼフ役のガイチ(初風緑)・ルキーニのキリヤン・皇太子ルドルフのユウヒ(大空祐飛)のファンだ、というのはあるかと思うのですが。

 そしてこの主役ふたりが大健闘だったと思うので、本当に舞台として成功していたのだと思うのです。歌が心配されたサエコちゃんは、癖があるものの全然ちゃんとしていたと思いますし、次期トップで今回は女役という重責を負ったアサコは、本当にきれいに高音を出していたと思います。感心したし、感動しました。サエちゃんにもうちょっとだけ背があったらなー、アサコがもうちょっとだけほっそりしていたらなー、というのは、もう望みすぎなのでしょう。
 歴代エリザベート役者はハナちゃん(現宙組娘役トップスター花総まり)、アヤカ(当時の星組娘役トップスター白城あやか)、そしてミドリと、花も実もある大型の娘役たちが演じてきましたが、本来は男役である生徒が演じたのはこれが初めて。そして当然、役の線は太くなるわけです。でもこれがやはり成功したのではないでしょうか。トートとしっかりと拮抗し、生涯戦い続けたエリザベートになっていたと思います。

 以前の公演の印象で、ラストシーンに違和感を覚えたことを私はよく覚えているのです。天上へ上がっていくトートとエリザベートの絵ですが、まっすぐに立つトートの腰のあたりを抱きかかえて、跪くエリザベート、というのがこれまでの構図でした。今回のふたりは、共に立ち並んでいました。これが象徴的だったのではないでしょうか。私は以前は、エリザベートがトートを受け入れるということは死を受け入れることであり、人生を投げ出すことや自殺を容認することに通じるようで、なんか嫌だったんですね。
 でも今回の演出では、エリザベートはトートをはねつけ続け、抗い続け、ぼろぼろに傷つきながらも必死に生きて生きて生きて、その最後に、ふいに現れた死に抱かれただけ、というように見えました。エリザベートに避け続けられながらも、彼女を見守り、彼女を待ち続けたトートは、死神というよりはむしろ、彼女の一生を併走し続けた、「生」そのものの化身のように思えました。
 生をまっとうした者だけが、人生の最後に、満足な死を得ることができる。死の向こうで待つ者はだから、死神というよりはむしろ、神と呼んでもいい、愛ある者なのだ…エリザベートが生きている間は、ふたりの間に色恋の匂いが弱かった分(それは本来は男役である役者がヒロインを演じたからかもしれません)、最後に成就された愛は、より大きなものに見えました。

 最初に観た回に同行した知人は大阪出身で宝塚観劇は久しぶり、『エリザベート』は初見、という人で、
「エリザベート、わがままやなー」
 と、批判的ではない口調で感想を述べていました。トートの愛に溺れたり頼ったり逃げ込んだりせず、自分ひとりの力で、我を貫いてがんばってしまったヒロイン、それが今回のエリザベートだったと思います。その強さ、悲しさが、現代的だったと思うのですね。本当に良かったです。
 ではラブ・ロマンスとしては弱かったかというと、わりとそうでもありませんでした。エリザベートはそんなでも、トートもフランツもエリザベートを愛していて、男ふたりに女ひとりの典型的な美しい三角関係メロドラマにもちゃんとなっていたからです。
 と言うか、私、フランツ・ヨーゼフってキャラクターとしてすっごい好きなんですよねー。
 イヤ実際にはこんな男とつきあいたくはないんだけどさ。お坊ちゃんで優等生、生真面目で神経質で気が弱く、自分を押し殺してでも周りの期待に応えようとする、優男。妻エリザベートと母ゾフィー(美々杏里)の間で板挟みになるところ、娼婦マデレーネ(城咲あい)の誘惑に乗ってしまうところ(娼館の女主人マダム・ヴォルフ役はこれまた本来は男役の嘉月絵理。エリちゃんもファンなんだ、よかった!)、みんな好きだなー。エリザベートの寝室の前で「扉を開けてくれ」と歌うシーンが一番好きかも…って、ヒドいですよね。
 その昔のユキちゃん(雪組公演時、高嶺ふぶき)もノル(星組公演時、稔幸)もタカコ(宙組公演時、和央ようか)も、ファンだったので好きでしたが、今回のガイチは本当に本当によかったなー。黒い役も上手い人なんですけどねー、あああ、好きだ。
 従姉妹のヘレネとのお見合いの席で、その妹のエリザベートを選んでしまうという、ほとんど生涯唯一のわがままを通した彼が、エリザベートに歌う「嵐も怖くない」のなんて甘いこと! エリザベートは舞い上がって応えているだけに見え、でも若いふたりは恋の喜びに輝く。ライトの当たるふたりをよそに、銀橋から幽鬼のようにゆらりと黒い影になって現れるトートは、恋人たちの甘い幻想を打ち砕くには十分の災いの象徴そのもの。一方で、嫉妬に狂うただの男にもちゃんと見える。すばらしい!
 トートがエリザベートに初めて出会い、見逃して帰してあげたあとに歌う「愛と死の輪舞」を、フィナーレで、歌詞の「俺」を「僕」に替えて歌うガイチの「歌う紳士」の歌声の甘いこと! 絶品でした。

 そして第二幕中盤の主役、ルドルフ。これまたよかったなー。
 ユウヒっぽいルドルフだったと思います。
 必要以上に繊細そうだったり気鬱っぽそうだったり狂気があるように演じてしまうと、重過ぎると思うので。愛に恵まれずに育った、さみしい、青年。それで十分で、なりきっていたと思います。
 思えばトートが彼に渡した銃は、ハンガリー独立闘士から奪った銃だったのですね。その銃が、父皇帝に反抗しハンガリー独立に肩入れした皇太子の命を奪う、その皮肉にしびれました。
 宝塚的には、銀橋でトートとルドルフがデュエットする「闇が広がる」のシーンは、女性ふたりが演じる男の役同士がキスしそうになるのを女性の観客が見るという二重、三重の倒錯があって、名シーンのひとつに数えられているのですが、東宝版の演出はどうなんでしょうかね…今年の公演は観てみたいと思っているので楽しみです。

 全編通して狂言回しになるキリヤンはもちろん実力を発揮して台詞が聞きやすく、どの場面に紛れ込んでいても邪魔にならず埋もれず、歴第一のルキーニになったのではないでしょうか。これまたよかったです。
 うーん、久々に充実した舞台を観ました。
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