オーチャードホール、2003年8月23日マチネ。
舞台は中世のパリ、ノートルダム寺院。ジプシーの美少女エスメラルダ(この日は上野水香)に一目惚れした司教代理のフロロ(この日は小嶋直也)は、鐘突き男カジモド(ジェレミー・ベランガール)に彼女をさらってくるよう命じる。しかしこれは騎士長フェビュス(アルタンフヤグ・ドゥガラー)によって阻まれ、エスメラルダとフェビュスは恋に落ちる。しかしカジモドもまたエスメラルダに献身的な想いを抱き…
振り付け・台本/ローラン・プティ、原作/ヴィクトル・ユーゴー、音楽/モーリス・ジャール、装置/ルネ・アリオ、衣装/イヴ・サンローラン。1965年初演、1998年本バレエ団による日本初演の再演。
私はもちろん原作を未読なのですが(いばって言うことじゃないですね)、細かい筋が整理されているかもしれないとはいえ大筋は変わらないわけですよね こういうアンハッピーエンドの悲劇をディズニーがアニメ映画にしたんですねえ…そちらも見てみたいものです。
最初は場ごとに暗転するのが気に障ったのですが、これがプティの手法らしく、「ドラマの筋を追うのではなく、作中の印象的な場面を抜き出して、それを独創的なアイディアによって単独の抽象バレエとして完結させる。そしてそれらを組曲のように並べて全幕とするのである」ということなのだそうなので納得しました。
ただ、そういうことが理解できていないと、たとえばフロロの心をしつこく捉えるタンバリンの音色の描写がエスメラルダ登場の前にされたりするので、これがエスメラルダへの執着を表すものだと私にはわかりづらかったのですが…西洋文明においてはタンバリンといえばイコールロマニーという自明なものなのでしょうか。私にそういう教養がないだけか…
とにかくものすごい悲劇ですよね。フェビュスはほとんど意味なく殺されるし、エスメラルダもただ美しかったというだけで死に追いやられたようなものなわけですよね。
しいて言えばカジモドがこの事件を通して真の人の愛(フロロから得ていたまやかしの保護や恩とはちがった)を知ったかもしれませんが、知っただけで何か確たるものを得たわけではないし、もしかしたらそれを知ってしまったことで彼のこの先の生は(それがあるとしたら)ますますつらいものになってしまったのかもしれない愛も美も聖もものすごく死に近いところにあるものなのだ、という哲学的テーマ…
そのものすごい悲劇の象徴であると私に思えたのがまさにラストシーンで、不具のカジモドは歩くたびに大きく揺れ、ために彼に担がれたエスメラルダの死体もまた大きく揺れるのですが、その人形のような揺れっぷり、完全にただの物と化してしまったことを表すぶらんぶらんっぷりが本当に痛ましく、またその動きが命ある者としてはこうした訓練された一流のバレリーナにしかできないであろう動きで、それがまたこの作品をバレエでやることの意義のようにも思えて、せつなくて、悲しくて…泣けました。
先日はオデットを観た上野水香でしたが、やはり彼女はエスメラルダのような、どちらかというとモダンできっぱりした踊りのほうがより輝くのでしょうか。色っぽくて元気で生意気そうで実に素敵でした。
左耳だけのフープイヤリング、右の二の腕のひじに近いところと右手首の黒い腕輪(パンフレットの写真では左二の腕にも腕輪が見えますが、今回は左腕はむき出しでした。それがまたセクシー)。ルージュをほとんど塗っていなくて、代わりにシャドウとマスカラぴっちりの目力(少しは唇塗ってもよかったのに…処女性をあらわすものなのでしょうか? それと、ジプシーなのにあの白塗りはこれいかに…)。がんがん上がる脚。
いつもなんかくねくねくたくた動いていて、それがいじらしかったり愛らしかったり色っぽかったり。
11場のカジモトとのパ・ド・ドゥは本当に素敵で(一箇所ミスがあったのが惜しまれました)、なかなか途中に拍手が入れがたい作りにもかかわらず拍手と歓声が上がっていました。でもカーテンコールは死してザンバラのエスメラルダのままでなく、髪をとかして出てきてもよかったのではと個人的には思いました。
ベランガールも素敵でした。カジモドのいわゆるせむしを表すのに変に着ぐるみを着ることなく、かしいだ右肩や歩き方で示し、頭の傷は表情や態度で見せて。でも頭が小さくてすごく綺麗な体で、うっとり。
それで行くとフロロはジャンプなどすごくすばらしかったんだけれど、見場として年長者・権力者と見えるべく、もう少し大柄というかおっさんっぽいとよかったのでしょう。でもすばらしかったと思いました。
フェビュスはどうなんでしょう、どうしてもディズニー『美女と野獣』でいうところのガストンを思い起こしてしまったのですが、こちらはエスメラルダの恋人となる二枚目なんですよね(でもジプシーの娼婦?と戯れたりする)。同じ東洋人として身体的ハンデは否めないのか、このモンゴルのダンサーは何しろ頭がでかく、鬘なのか染めたのか嘘っぽい金髪がまたイタかった…技術的には申し分なかったと思うのですが。エスメラルダとのパ・ド・ドゥは恋の喜びにあふれていて素敵でした。
しかし一番素敵だったのはカーテンコールに登場したローラン・プティその人かしらん…上背があって、白いシャツとブルーのチノパン(ジーンズではなかったように見えた)を着た、イカしたおじさんでした。オーラが出ていて…初演のカジモドはこの人自らが演じたのでした。
追記。後日ディズニーアニメ版を観ました。ハッピーエンディングになっとる…『Ⅱ』にいたってはなんだかちがうものになっとる…はああ。
舞台は中世のパリ、ノートルダム寺院。ジプシーの美少女エスメラルダ(この日は上野水香)に一目惚れした司教代理のフロロ(この日は小嶋直也)は、鐘突き男カジモド(ジェレミー・ベランガール)に彼女をさらってくるよう命じる。しかしこれは騎士長フェビュス(アルタンフヤグ・ドゥガラー)によって阻まれ、エスメラルダとフェビュスは恋に落ちる。しかしカジモドもまたエスメラルダに献身的な想いを抱き…
振り付け・台本/ローラン・プティ、原作/ヴィクトル・ユーゴー、音楽/モーリス・ジャール、装置/ルネ・アリオ、衣装/イヴ・サンローラン。1965年初演、1998年本バレエ団による日本初演の再演。
私はもちろん原作を未読なのですが(いばって言うことじゃないですね)、細かい筋が整理されているかもしれないとはいえ大筋は変わらないわけですよね こういうアンハッピーエンドの悲劇をディズニーがアニメ映画にしたんですねえ…そちらも見てみたいものです。
最初は場ごとに暗転するのが気に障ったのですが、これがプティの手法らしく、「ドラマの筋を追うのではなく、作中の印象的な場面を抜き出して、それを独創的なアイディアによって単独の抽象バレエとして完結させる。そしてそれらを組曲のように並べて全幕とするのである」ということなのだそうなので納得しました。
ただ、そういうことが理解できていないと、たとえばフロロの心をしつこく捉えるタンバリンの音色の描写がエスメラルダ登場の前にされたりするので、これがエスメラルダへの執着を表すものだと私にはわかりづらかったのですが…西洋文明においてはタンバリンといえばイコールロマニーという自明なものなのでしょうか。私にそういう教養がないだけか…
とにかくものすごい悲劇ですよね。フェビュスはほとんど意味なく殺されるし、エスメラルダもただ美しかったというだけで死に追いやられたようなものなわけですよね。
しいて言えばカジモドがこの事件を通して真の人の愛(フロロから得ていたまやかしの保護や恩とはちがった)を知ったかもしれませんが、知っただけで何か確たるものを得たわけではないし、もしかしたらそれを知ってしまったことで彼のこの先の生は(それがあるとしたら)ますますつらいものになってしまったのかもしれない愛も美も聖もものすごく死に近いところにあるものなのだ、という哲学的テーマ…
そのものすごい悲劇の象徴であると私に思えたのがまさにラストシーンで、不具のカジモドは歩くたびに大きく揺れ、ために彼に担がれたエスメラルダの死体もまた大きく揺れるのですが、その人形のような揺れっぷり、完全にただの物と化してしまったことを表すぶらんぶらんっぷりが本当に痛ましく、またその動きが命ある者としてはこうした訓練された一流のバレリーナにしかできないであろう動きで、それがまたこの作品をバレエでやることの意義のようにも思えて、せつなくて、悲しくて…泣けました。
先日はオデットを観た上野水香でしたが、やはり彼女はエスメラルダのような、どちらかというとモダンできっぱりした踊りのほうがより輝くのでしょうか。色っぽくて元気で生意気そうで実に素敵でした。
左耳だけのフープイヤリング、右の二の腕のひじに近いところと右手首の黒い腕輪(パンフレットの写真では左二の腕にも腕輪が見えますが、今回は左腕はむき出しでした。それがまたセクシー)。ルージュをほとんど塗っていなくて、代わりにシャドウとマスカラぴっちりの目力(少しは唇塗ってもよかったのに…処女性をあらわすものなのでしょうか? それと、ジプシーなのにあの白塗りはこれいかに…)。がんがん上がる脚。
いつもなんかくねくねくたくた動いていて、それがいじらしかったり愛らしかったり色っぽかったり。
11場のカジモトとのパ・ド・ドゥは本当に素敵で(一箇所ミスがあったのが惜しまれました)、なかなか途中に拍手が入れがたい作りにもかかわらず拍手と歓声が上がっていました。でもカーテンコールは死してザンバラのエスメラルダのままでなく、髪をとかして出てきてもよかったのではと個人的には思いました。
ベランガールも素敵でした。カジモドのいわゆるせむしを表すのに変に着ぐるみを着ることなく、かしいだ右肩や歩き方で示し、頭の傷は表情や態度で見せて。でも頭が小さくてすごく綺麗な体で、うっとり。
それで行くとフロロはジャンプなどすごくすばらしかったんだけれど、見場として年長者・権力者と見えるべく、もう少し大柄というかおっさんっぽいとよかったのでしょう。でもすばらしかったと思いました。
フェビュスはどうなんでしょう、どうしてもディズニー『美女と野獣』でいうところのガストンを思い起こしてしまったのですが、こちらはエスメラルダの恋人となる二枚目なんですよね(でもジプシーの娼婦?と戯れたりする)。同じ東洋人として身体的ハンデは否めないのか、このモンゴルのダンサーは何しろ頭がでかく、鬘なのか染めたのか嘘っぽい金髪がまたイタかった…技術的には申し分なかったと思うのですが。エスメラルダとのパ・ド・ドゥは恋の喜びにあふれていて素敵でした。
しかし一番素敵だったのはカーテンコールに登場したローラン・プティその人かしらん…上背があって、白いシャツとブルーのチノパン(ジーンズではなかったように見えた)を着た、イカしたおじさんでした。オーラが出ていて…初演のカジモドはこの人自らが演じたのでした。
追記。後日ディズニーアニメ版を観ました。ハッピーエンディングになっとる…『Ⅱ』にいたってはなんだかちがうものになっとる…はああ。
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