駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇雪組『愛 燃える/Rose Garden』

2009年11月12日 | 観劇記/タイトルあ行
 東京宝塚劇場、2002年1月29日マチネ。
 春秋時代の中国。呉王夫差(轟悠)は父を越王に殺されていた。積年の恨みを晴らすべく越に攻め入る夫差。呉は勝利し、越は忠誠を誓う。祝いの席に、越の将軍范蠡(絵麻緒ゆう)が越王の娘・西施(月影瞳)を連れてくる。それが越の忠誠の証だというのだが…作・演出/酒井澄夫、作曲/吉田優子。
 私は基本的にはこのタイプの宝塚歌劇が一番好きです。
 歴史もの(架空のものでも可)で大芝居、コスチューム・プレイ。
 トップと二番手が敵同士とかライバルで、トップ娘役はふたりの間で揺れる。
 トップと三番手は主従か親友同士。
 登場人物は愛と大義の間で思い悩む。
 きらびやかな宴会ないし舞踏会シーンがあり、勇壮な戦闘を模した激しいダンスシーンがある。
 この形が私としては最も、いわゆる「萌え」るのです。
 今回はそれにぴったりの形で、専科の特出も大ベテランだけで組としてもがっちり固め合い、理想的でした。
 まして主役カップルのあり方。私は「好き合っているのに素直になれない、反目しあう」という形がまた好きで好きで。
 戦いに疲れてしまいひとときの安らぎと静けさを望む男が、敵の罠だと知りつつも貢がれてきた美女の麗しさにかりそめの愛を見ようとする。女は故国のため、幼なじみの恋人のため、自分を殺して人形となって敵国へ来たものの、思いがけない男の優しさに心惹かれてしまう。男は女を溺愛し、周囲はその様子に眉をひそめる。女も男を愛するが、故国のために男から機密を盗む。男は女の裏切りを知らないではないが、もうあと戻りはできない。やがて敵に買収された家臣が敵と結託して反旗を翻し、燃え盛る炎の中、ふたりは!!! ってなもんですよ。もりあがるでしょ?
 でもね。実は私はイシちゃん(轟悠)が苦手なので、雪組はずっとご無沙汰だったんですけれど、むしろ今回はグンちゃん(月影瞳)の方が私には駄目でした。
 なんであんな声でしゃべるの? 『凍てついた明日』(だっけな?)はどこに行っちゃったの? もっと地声で普通にしゃべったって十分お姫様らしさも情感も出せると思うんだけれど。妙に鼻にかかった裏声でしゃべるので、どうしても「作った声」にしか聞こえないんです。
 この設定でおもしろいのはジレンマに葛藤するところなんだから、何が本心で何が演技なのか、何が真実で何が嘘なのかきちんと表現してくれないと訳わからなくなるというか、おもしろくなくなってしまうんです。でも、全部作った声に聞こえて、全部嘘に聞こえてしまったんですね。それじゃせつなくなれないんだよ~
 もっとも、マヒルちゃん(紺野まひる)の超地声はかわいらしさがまったくなくて、次期トップ娘役も確定しているというのに、そんなんでいいんだろうかと思っちゃいましたが。
 西施の命を狙う婉華は、国のため、そして恩ある伍封(朝海ひかる)に報いるために行動することになっていますが、伍封には恩返しだけでなく淡い恋心を抱いていたことにした方が、いじらしくてよかったんじゃないかなあ。別になんでもかんでも可愛子ぶれって言うんじゃないですけれどね。
 ヒットだったのが王孫惟(貴城けい)。正しい四番手のポジションだわ。
 三番手がトップの忠臣で耳に痛いことも言って最後には主の目を覚ますべく自決しちゃうようなキャラなら、四番手はもうちょっと周りが見えていない、主べったりの可愛らしい家臣(笑)。それが、西施の美しさに惚れ込んでしまう。
「弱みに付け込んで強引に迫」る、とパンフレットではなっているけれど、そういうコスい悪人ではなくて、なんかもっと純朴そうでポーっとなってて必死そうで、
「ご主人様は西施さまを護りきっていない、幸せにしていない、私と一緒にこの国を出て逃げよう!」
 って感じで、妙によかったなあ。
 この場に夫差が出てきて王を切っちゃって嫉妬や疑惑が燃えあがるのもよかった。ただし伏線として第6場のやりとりがあったんだろうけれど、私はのちにこのキャラがそんなおもしろいことをやってくれるとはこのときは思えなかった(つまり王が西施に惚れてるように見えなかった。ただの真面目な官僚かと思いました)ので、演出としてもう一考、というところなのかもしれません。
 ラストシーンは、カッコよかったんだけれど(少なくとも「天上でのふたり」みたいなはしなかったことは私はうれしい。そういうの好きじゃないんです)、西施はセリ下がる必要あったのかなあ。横たわったままでも最後まで板付きでいてほしかった気がします。イシちゃんは専科に残るけれど、グンちゃんはサヨナラ公演なんだからさ。
 ともあれ要のヒロインの演技が疑問だったものの、衣装も豪華で、役者も所を得ていて、いい作品だったと思います。
 ロマンチック・レビュー『Rose Garden』は作・演出/岡田敬二、作曲は吉崎憲治他。薔薇づくしのレビューでした。
 目についたのはブンちゃん(絵麻緒ゆう)の元気ぶり。次期トップは任しとけ!って感じ。
 私はけっこう以前から密かにファンだったので、いつのまにこんなに大きく…と感涙ものでした。
 コンビを組むことになるマヒルちゃんは、薔薇戦争のようなタイプのダンスはややつらそう。あと、張り付いたようにいつも同じ笑顔なのも気になりますが、精進してくれることではありましょう。
 ダンシング・ローズの場では思わず『ダンディズム』を思い起こしてうっとりしました。
 パレード前のデュエットダンスでイシちゃんが着た服のグレーというかベージュというかの色加減が美しかったなあ。岡田先生らしい、美しく楽しいレビューでした。
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レニングラード国立バレエ『ドン・キホーテ』

2009年11月12日 | 観劇記/タイトルた行
 オーチャードホール、2002年1月16日ソワレ。
 ラ・マンチャに住む男(イーゴリ・ソロビヨフ)が騎士物語を読むうちに自らドン・キホーテと名乗り、農夫サンチョ・パンサを従者に旅に出る。着いたバルセロナの街では、旅館の娘キトリ(オクサーナ・クチュルク)が父親に金持ちのガマーシュ(アレクセイ・マラーホフ)と結婚させられそうになっていた。だがキトリにはバジル(ファルフ・ルジマトフ)という恋人がいた。キトリを夢に見たドルシネア姫と思い込んだドン・キホーテは…プロローグ付き全3幕5場。指揮/アンドレイ・アニハーノフ、管弦楽/レニングラード国立歌劇場管弦楽団。
 いやあ、実に楽しいバレエでした。『ドン・キ』といえば赤と黒のお衣装、と思い込んでいましたが、数多くの原色と黒の、マットな感じの色彩が乱舞する派手やかな舞台でした。
 ヒロイン以外は大柄な人が多く(ドン・キホーテは特に長身で、3メーター50はあったかも、ってな感じでした。ウソですが)、お芝居も陽気で明るくわかりやすく、みんながたくさん踊って、あっという間という感じでした。気取り屋ということでキトリから嫌われるガマーシュですが、いじらしくて笑っちゃいましたよ。
 ガラ・コンサートやコンクールで有名なグラン・パ・ド・ドゥは、全幕バージョンでは白いお衣装で踊られるんですね。そういや結婚式のシーンなのでよく考えればあたりまえではありますが、ちょいと驚いてしまいました。それでもキトリが片耳のあたりにイヤリングのようにも見える小さめの赤い花を差していたのが愛らしかったです。
 でも、最初のコーダがなんかちょっと調子良くない感じだったんですね。長い来日ツアーで疲れが出たのか、ふたりの息があっていないようで。私でも振り付けを知っているような有名な踊りなので、どうなることかとヒヤヒヤしましたが、しかしさすがでした。ヴァリエーションをバシッと決めて、その後しっかり立ち直ったのです。ものすごい精神力だなあ。
 音楽もよく踊り手に合わせていて、楽譜の正確な拍子から外れてでも、踊り手のペースを尊重していました。ルジマトフなんか自分のヴァリエーションで、指揮者とアイ・コンタクトを取って、最後のパに「ジャン!」ってのを合わせさせていましたもん。「決まった!」って感じで指揮者とニヤリとし合ったところ、見逃しませんでしたよ。
 私はミーハー・バレエファンで、有名外国バレエ団のクラシック演目にしか行かないようなヤツで、結局のところ一番『白鳥の湖』が好きだったりするんですが、でも、今回初めて観たこの演目は気に入りました。また観たいです。
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宝塚歌劇花組『カナリア』

2009年11月12日 | 観劇記/タイトルか行
 ル・テアトル銀座、2002年1月9日マチネ。
 地獄の悪魔学校では毎世紀末に卒業シーズンを迎える。近年まれに見る優等生のヴィム(匠ひびき)は、最後の課題を果たすため、助手のウカ(瀬奈じゅん)とともに人間界に舞い下りる。そこは2000年初頭のパリ。ヴィムの課題は、「最初に出会った人間を不幸にすること」というものだったが、彼が出会ったのは、これ以上不幸な境遇などありえないというような女性、アジャーニ(大鳥れい)だった… 作・演出/正塚晴彦、作曲/高橋城。
 年末年始公演であることを意識したのか、正塚先生には珍しいくらいミュージカル色が強く、楽しい公演でした。特に第一幕は出色の出来だったと思います。というのは、第二幕は、大道具の故障で舞台が数分の間暗転して芝居が中断したトラブルのせいか、ちょっと役者が浮き足立って見えて、間ややりとりが変だったりしせセリフの意味がつながらなく思えたところが多かったのです。
 それとも脚本が練れていなかっただけ? 私には結局のところアジャーニが何をしていたのかよくつかめなかったんですけれど。それと、アジャーニという名は彼女が勝手に名乗っていたもので本当の名前は違うんだ、だからそもそもヴィムが最初に「出会った」つまり名乗り合った人間は別人なんだ、というようなオチがあるのかと想像していたのですが、そんな設定じゃなかったんですね。だったらあの名前にまつわる会話はなんだったの?
 でもまあ本当におもしろかったです。ティアロッサミ(未沙のえる)の正体は薄々わかってはいましたが、こうして天使と悪魔がほぼ同数いて、転生(?)するたびに記憶をなくしているにせよ交流があって、人間界にちょっかい出し合っていてでも勝負は半々で、というのはよくある設定だし、納得できます。
 ひとつだけ改善を求めたいところは、エピローグのひとつ手前の、残されたアジャーニがひとり泣き崩れるシーンです。泣き崩れたまんまじゃなくて、どこかで涙をふりきって、顔を上げて、歩き出す、というようなお芝居にしてほしかったと思うのです。それがあればこそ、フィナーレのラストのふたりにまた違ったいい意味が生まれてくると思うのです。
 こうした小公演にはショー仕立てのフィナーレが付きますが、最後の最後はまた役に戻ってごあいさつ、という形になるのが通例です。ヴィムとアジャーニは芝居の中で着たのとは違う衣装、白いタキシードとドレスで現れました。それは主演ふたりだから、主役ふたりの特別衣装だから、でもあるでしょう。
 フィナーレの白装束といえば、現世で結ばれなかったふたりが死して天国で結ばれるというようなときのパターンでもありますが、その一方で、これは結婚衣裳の象徴でもある訳ですよね。つまりヴィムは今度は天使として無事天使学校を卒業し、天使として働き、いつか褒美か何かとして人間に生まれ変わらせてもらえるのかもしれない。ヴィムとの別れを乗り越えたアジャーニは天寿をまっとうし、その後もまた人間として生まれ変わるのかもしれない。そしていつかどこかで、それはすでに違う人間として同士なのだけれど、それでもこのふたりが出会って結ばれることがあるのかもしれない。その婚礼の式典がフィナーレのラストだ、と観ることはできるかもしれないじゃないですか。
 というか私はそう見て、それで幸せな気持ちになりたかったのです。今のままだと、天使も悪魔も人間界に干渉し、でも人間は天使よりも悪魔よりもしたたかだったりもして、で、それだけ、というふうにも見えてしまうと思うので。まあこのクールさがこの演出家の特徴なんですけれど。
 役者はラブロー神父(春野寿美礼)とシスター・ヴィノッシュ(遠野あすか)がよかったですね。遠野あすかはまだ下級生だと思うんですが、芝居心がありますねえ! 有望。逆にウカは役作りがぼんやりしていたかな。
 ヴィムとアジャーニはものすごくナチュラルなキャラクターでこれまたよかったです。私は、お芝居がわかりやすくなるようなよりカリカチュアライズされたキャラを望み勝ちなのですが(たとえばこの場合なら悪魔学校の優等生ですごく真面目で熱心でほとんど純朴なくらいのヴィムと、悪魔なんかより全然悪賢い悪女アジャーニとか)、このお芝居・この役に関してはこの普通さが合っていたと思います。しかしミドリちゃん(大鳥れい)は大健闘というか、普通の宝塚の娘役はなかなかこういう役をこういうふうにちゃんとはやれないと思います。すばらしかったです。
 それにしてもチャーリー(匠ひびき)…歌はまだややあやしいところもありましたが、いいスターさんなのになあ。本公演一回だけで退団というのは惜しまれます。
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