駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『コンタクト』

2009年11月24日 | 観劇記/タイトルか行
 四季劇場・秋、5月15日マチネ。
 みっつの小さな物語を描くダンス・アクト。1999年オフ・ブロードウェイで初演、2000年トニー賞ベストミュージカル。演出・振付/スーザン・ストローマン、脚本/ジョン・ワイドマン。音楽はすべて既成曲。
 PARTⅠSWINGINGは、1767年のフランスあたりの森の中。ピンクのドレスの若い貴婦人(井田安寿)が、恋人らしき男性(菊池正)とピクニック。ブランコを揺らすのは召し使い(松浦勇治)…
 PARTⅡDID YOU MOVE?は、1954年のニューヨーク、クイーンズのイタリアン・レストラン。マフィアのボスらしき横暴な男性(明戸信吾)と、ブルーのドレスを着た内気なその妻(林下友美)が訪れる。有能なウェイター長(吉元和彦)が迎えるが…
 PARTⅢCONTACTは1999年、現代のニューヨーク。地位も名誉も手に入れた広告代理店の若き重役マイケル・ワイリー(加藤敬二)の前に、黄色いドレスの女(高久舞)が現れ…
 四季劇場には初めて来ました。「秋」の方はストレート・プレイ用なのでしょうか、オケピットがありませんでしたね。こじんまりしていていい劇場でした。
 さてまず、最も短いPARTⅠ。いやー、下品でした、私的には。
 音楽に乗った振付ではないからでしょうか? もちろんこの猥雑さ・エロティックさこそが、もとになったフラゴナールの絵画「ぶらんこ(原題は「THE SWING」)」の神髄なのでしょうけれど。
 オチにはニヤリとさせられました。好きだな。しかしブランコなんて自分の足で漕ぐものなのに、わざわざ人に揺らせるたあ、この時代の貴族って本当になんにもしなかったんだねえ…
 逆に、「日本人にとってはまだ他人事ではない」(パンフレットの香山リカのコラムより)PARTⅡは、私は「オチてないじゃん!」と思いました。
 ワイドマンのインタビューによればPARTⅢとの対比を考えた上でのことのようですが、横暴な夫の心情まで理解しようとしてしまう日本人的感性からすると、たとえば妻が差し出した一輪の花を夫が背広のボタンホールに指して、でもにこりともせずに食べ続ける…なんてくらいにはしてもいいのでは、と思わないでもないのです。カーテンコールでブルードレスの女性が晴れやかに踊っていたのを見ても、私にはそれがこのシーンの妻の未来の幸福だとは思えなかったものですから。あとでパンフレットを読んでその意図に気づかされたので…
 そして圧巻のPARTⅢ。
 いやー、ダンスっていい!!の一言です。汗が飛び散って美しかったこと! そして、こちらは全然いやらしく感じませんでした。カップルがどんなに腰をこすり合わせて踊ろうと、黄色いドレスの女をダンスに誘う男たちが彼女の靴に自分の股間を押し付けようと、いたって「ポエティック」に見えました。何故だろう?
 キー・マンとなるバーテン役がPARTⅡの夫役と同じ役者だなんて、最後の方になるまで気づきませんでした、ワタシ。PARTⅠで貴婦人を演じた女性がアンサンブルに入っていて、こちらはすぐわかりましたが。かわいいので(笑)。
 黄色いドレスの女役に抜擢された高久舞は92年のローザンヌ国際バレエコンクールでエスポワール賞を受賞したというバレリーナで、さすがのスタイルと存在感。自身はパンフレットで
「マイケルを誘ったり、たぶらかすところをもっと大人っぽく表現したい」
 と語っていますが、今のままの、あまり生っぽい感情のない、無機質なマネキンのようなただひたすら美しい女、という方がいいのではないかしらん。この女がマイケルの幻想の中にしかいない女なのか、本当にこういう事実があったのかどうかはぼかされているのですが(ワイズマンはインタビューで「これは夢だった」と言っていますが、パンフレットの場面解説では過去に実際にあった出来事としています。私はファンタジー説を取りますが)、マイケルが必要としていたもの、欲していたものとは、何か色っぽかったり艶っぽかったりするものではなくて、もっと単純で純粋でシンプルなものなのではないかしらん、と思うからです。
 オチは読めてはいましたが、セットがハケて、幕がゆっくり下り出すまでのひとときは、本当に夢のようでした。美しかった。心から拍手してしまいましたよ。カーテンコールもすばらしかったです。速攻で買ったオリジナルサントラCDにはこのカーテンコールの曲「Moondance」だけが未収録でした。残念。
 以下、やや余談。井田さんはユウコちゃん(元宝塚歌劇団月組娘役トップスター風花舞)に、高久さんはユリちゃん(同元星組星奈優里)にちょっと似て見えました。それから考えると、PARTⅡの林下さんは正直言って決して美人ではなかったので、宝塚歌劇の公演に比べて美人を見る楽しみには欠けるなあ、などと思ってしまいました。アンサンブルの婚約中のカップルの女性も、若く見えなかったもんなあ…おっさん臭い感想ですみません。
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宝塚歌劇月組『ガイズ&ドールズ』

2009年11月24日 | 観劇記/タイトルか行
 東京宝塚劇場、2002年4月12日マチネ、19日マチネ。
 1948年頃のニューヨーク。サイコロ賭博師のネイサン・デトロイト(大和悠河)は、賭場を開くための場所代が工面できないでいた。そこへラスベガスで大儲けしてきたスカイ・マスターソン(紫吹淳)が、ハヴァナへ豪遊に行く途中で立ち寄った。スカイはネイサンがナイトクラブの花形歌手アデレイド(霧矢大夢)と14年も婚約したままなのをひやかし、女は欲しいときだけいれば十分だし、どんな女もいつでも口説けると豪語する。そこでネイサンは、スカイがある女性をハヴァナへ一緒に連れて行けるかどうか賭けようと持ち掛ける。受けてたつスカイ。だがネイサンが指定した相手とは、救世軍で布教活動に励む真面目でお堅いサラ・ブラウン(映美くらら)だった…原作/デイモン・ラニヨン、音楽・作詞/フランク・レッサー、脚本/ジョー・スワーリング、脚色・演出/酒井澄夫、翻訳/青井陽治、訳詞/岩谷時子。1950年にブロードウェイで初演され、1984年に大地真央・黒木瞳のトップコンビの月組で公演されたものの再演。
 幸い二回観劇することができたので、楽しめました。初見はどうしてもこちらも筋を追うのに必死になってしまうし、正直言って、ブロードウェイ版はえらく粋なんだろうけれどここではずいぶんとアップアップして見えてしまうなあ、と思ってしまいました。二度目はこちらも流れが頭に入っているだけに余裕を持って役者の芝居が眺められ、十分楽しめました。歌もよかったしね。サラとネイサンについては、この配役で再演するにしてもせめてもう二公演くらい後にしてあげられれば、とは思わなくもなかったですが。やはりちょっと一杯一杯でしたね。
 要望を絞ってみっつ。
 まず、これは原作の問題ですが、第2幕第4場の展開に納得できませんでした。
 だいたい「タイムズ・スクエアの近く」となっているけれど、これってどこなの? 往来のベンチかなんかなんでしょうか。何に腰掛けてるのかもよくわからなかったし。サラがマント姿なので、出奔でもするのかと思っちゃいました。トランクに腰掛けてるのかな、と見えてしまったんですね。
 まあ、それはいい。よくわからない、というかもう一歩突っ込んでほしかったのはここで語られる理屈です。
「♪男を変えよう、今日こそ結婚しよう」
 ってだけで場面が変わるとネイサンは新聞屋になっててスカイは救世軍に入ってる、ってのは、起承転結の「転・結」にしたっていきなりすぎるでしょう。
「は? なんで?」
 って思っちゃいますよね、今までさんざんあれこれやってそれでも変えられなかったんだからさ。そもそもこれは「大人のお伽話、フェアリー・テイル」とされていたようだから、そこが魔法なのさ、これでいいのさ、ってことで、今さら難癖つけても仕方がないのかもしれませんが、本当はこれは別にお伽話でもなんでもなくて、切実でリアルな問題だと思うのですよ。せっかく
「メロンを買うとき、それが美味しいか美味しくないか(当たりか外れか)わからない」
 というセリフがあるのだから、これを発展させたらどうだろう、と思うのですね。ことほどさように人生には小さな賭けが満ちていて、結婚だってしたからって上手くいくかどうか先へいってみなくちゃわからない、まさにギャンブルそのもの。
 そういう意味では人生はギャンブルの連続、大勝負だ。サイコロだカードだと騒いでいる野郎どもの賭けなんて小さい小さい、女たちとの大勝負に出てみろよ、とサラとアデレイドが歌って見せるといいんじゃないかしらん、と私は提案したいです。
 ふたつめは、脚色・演出について。
 台本改変は契約上認められていないのかもしれませんが、宗教事情がアメリカとちがう日本で公演する場合には、もう少し言葉を足さないとわかりづらいのでは、と感じたのです。救世軍というものもなじみが薄いし、下手するとサラが真面目でお堅い娘というより狂信的で押し付けがましい人間に見えちゃうだろう、と心配です。
 ちなみに訳も、懸命に日本語探しをしたということですが、まだまだ改善できそうでしたね。「教団」なんか昨今の日本の世情から考えると新興宗教団体のようで、いっそ「教会」とした方がわかりやすいだろう、とか思ったのですが、正確じゃないから駄目なのかな。
 でも「罪悪」はないよね。こういう漢語や熟語は目で読むのとちがって耳で聞いてもぱっと意味がわかりません。「罪」とか「悪いこと・いけないこと」とかで十分だと思います。
 もうひとつはパレードのお衣装。全員お揃いの上品なグレーでしたが、せっかくだからリカちゃん(紫吹淳)に白か黒の燕尾、エミクラちゃん(映美くらら)に白いドレスを着させて、それがスカイとサラの婚礼衣装に見えるようにする、というふうにしてほしかったです。お芝居のラストシーンでネイサンとアデレイドは婚礼衣装をお披露目するのに(キリヤンのウエディングドレス姿に場内からため息が漏れていましたよ!)、主役カップルにはそれがなくて寂しいので。
 救世軍のメンバーはあんなものは着ない、制服で式を挙げるのだ、と言われてしまうのかもしれませんが…(そういや、新調したせいなのかサラの制服の色だけがくすんだ赤だったのは残念。他のメンバーたちの方が鮮やかで目立っちゃっていました)
 最後に、これは特に本筋とは関係ないのだけれど、素朴な疑問をひとつ。
 サラって、アガサやマーサよりも年上という設定なんでしょうか? 軍曹という階級は、救世軍の中ではどれくらいの位置を占めているものなんでしょうかね? 熱心で生え抜きのでも年若な「アイドル・小娘」なのか、信望も厚く実績もあるもしかしたらちょっとトウの立った女性なのか?
 エミクラちゃんだとどうしてもキュートに見えてしまって、ハヴァナでの酔っぱらいシーンなんかは実によかったけれど、最初の芝居のしどころである第1幕第2場Aはもう少しニュアンスが欲しかったところだし、ここのセリフからするとただのお嬢さんではない方がいいらしい感じもありましたよね。マーロン・ブラントの映画版『野郎どもと女たち』とかはどんな感じだったんでしょう…機会があれば観てみたいと思います。
 12日には雪組新トップコンビがご観劇。まさかその一週間後に噂どおり退団発表がされるとは…悲しい…
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アドベンチャーズ・イン・モーション・ピクチャーズ『ザ・カー・マン』

2009年11月24日 | 観劇記/タイトルか行
 オーチャードホール、2002年4月17日ソワレ。
 その名のとおり映画にインスピレイションを受けた独創的なバレエ作品を発表し続けるアドベンチャーズ・イン・モーション・ピクチャーズの初来日公演。ビゼーのオペラ『カルメン』をベースに、主人公のカルメンを男性に置き換えた、愛と官能のダンス・ミュージカル。
 1960年代のアメリカ、とある田舎町ハーモニー。ディノ(この日はスコット・アンブラー)の自動車修理工場は付近のイタリア系住民のコミュニティになっている。ある日、流れ者の青年ルカ(アラン・ヴィンセント)が現れ、女たちばかりか男たちをも惹きつける。特にディノの妻ラナ(ヴィッキー・エヴァンス)との間には一瞬にして情欲の火花が散るが…演出・振付・脚本/マシュー・ボーン。
 ううーむ、濃ゆいというか暑苦しいというかな舞台でした。
 私はバレエというものはダンサーの肉体美を鑑賞するという面もあると思っていて、スレンダーででも筋肉質で研ぎ澄まされた身体を見ると本当にため息ものなのですが、今回はなんだかみんなムキムキムチムチしているんですよね。美しくないとは言わないし、ダンステクニックはまったく申し分ないのだけれど…このところ宝塚づいていたせいかすらりとしたボディに目が慣れていたもので…まあでも当然その分迫力はあります。
 ただしやはりこのラテンのノリというか、猥雑ギリギリの情欲と官能と暴力の世界というのは、日本人のメンタリティからするとややしんどいかも…単にたまたまワタシのココロが攻撃的じゃなかっただけかしらん。すべてのグラン・パ・ド・ドゥは結局のところセックスの暗喩なのかもしれないけれど、あんまりにもギトギトドロドロしていてさ…
 それにしてもラナの妹リタ(エタ・マーフィット)はいいキャラクターでした。気弱で繊細な恋人を愛しかばい支え、奔放な姉を愛しかばい、横暴な義兄にひるまず…アンジェロ(ユアン・ウォードロップ)との仲が元の鞘に戻るとはちょっと思えないので、誰かいい人を見つけて幸せになってもらいたいものです。対してラナは本当に利己的で怖い女よのお…
 流れ者の死体を埋めて知らん顔してすべて世はこともなしかい、町の名前が虚しいのお…という、暗然たるラストシーンが印象的でした。
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