日本青年館、2002年7月5日マチネ。
時はハリウッド草創期。ケベック生まれのミコール・シノット(霧矢大夢)はオペラ歌手を夢見てニューヨークへやってきた。マック・セネットと改名してバーレスクの端役として働くうちに、コメディ映画の魅力に取り付かれ、バイオグラフ社に押しかけて映画制作を学び始める。そこへ、モデルをクビになったおてんば娘のメイベル・ノーマンド(紫城るい)がコメディ映画女優になりたいと志願してくる。当時、コメディ映画はヨーロッパが主流で、アメリカでは下品なものとされていたが、セネットはアクション満載のドタバタ喜劇、スラップスティック・コメディをアメリカで撮りたいと夢見るようになり…作・演出/小柳奈穂子、作曲/吉田優子、振付/御織ゆみ乃。
…新人のデビュー作・演出とはいえ、久しぶりに痩せてスカスカで何もない舞台を観てしまいました。
一幕は「ああしてこうなりました」的なお話があるだけでキャラクターもドラマもナイ。
二幕に入ると一転してシリアスというか深刻ぶった展開になって、全然ついていけません。馬鹿馬鹿しくておもしろおかしい映画が作られる一方で、愛も憎しみも戦争も犯罪もある人生があって…というようなことがやりたかったんだとしたら、あまりにも力不足なのでは?
逆に出演者は完全に役不足。あの脚本ではどうにもならないでしょう。お疲れさまなことです。
マック・セネットという人は20世紀初頭の実在の映画監督だそうですが、作者はこの人の人生の何にどういうヒントを得たのでしょうね。史実をそのままやるんだったら伝記を読んだ方がよっぽどおもしろい訳で、舞台で、しかも宝塚歌劇でやるからには、もっと何かちゃんとした焦点が必要なはずなんですが。その焦点に絞って、題材だけはもらって、架空のキャラクターたちをきちんと作ってあげた方がよっぽどいいんじゃないでしょうか…『JFK』ですらなかなかにツラい、と思った私なので、厳しすぎる意見なのかもしれませんが…
青年の理想、奮闘、青春、成功、そして失恋、転落…みたいなものを描きたかったのなら、それに焦点を絞って、まずはちゃんとラブコメディをやらせるべきでした。結ばれずに終わる、でも戦友、みたいな男女関係を描きたかったのだとしたら、それはなかなかおもしろい視点だと個人的には思いますが、もっといろいろ整理・肉付けしないとね。
史実をそのまま丸投げしても誰も感動しません。台詞で説明しようとしていますが説明になっていないし、そこをこそドラマで見せてくれないと感動なんかできないよ、というくだりを説明台詞で流してしまっていると思います。セネットがどう成功したのかよくわからないし、セネットとメイベルが恋愛しているのかもよくわからないし、誰がどう悪者なのかとかよくわからないし、メイベルがゴールドウィンのところへ移籍する理由もよくわからないし、メイベルとテイラーとの関係もなんなんだか全然わからないし、ドラッグがどうとかも全然わからないし、そもそもモデルをクビになる経緯もよくわからない。この「わからない」は、「判然としない/意味が理解できない/共感できない」、全部です。
キリヤンはホント危なげがないなあとか、娘役に転向したヒロインは健闘していたなあとか、月船さららちゃんってタモさん(花組先々代トップスター愛華みれ)にそっくりに見えるときがあるなあとか、城咲あいちゃんがかわいかったなあとか、いろいろ思いましたけれど…とにかくまず、いい物語が観たかったです。
時はハリウッド草創期。ケベック生まれのミコール・シノット(霧矢大夢)はオペラ歌手を夢見てニューヨークへやってきた。マック・セネットと改名してバーレスクの端役として働くうちに、コメディ映画の魅力に取り付かれ、バイオグラフ社に押しかけて映画制作を学び始める。そこへ、モデルをクビになったおてんば娘のメイベル・ノーマンド(紫城るい)がコメディ映画女優になりたいと志願してくる。当時、コメディ映画はヨーロッパが主流で、アメリカでは下品なものとされていたが、セネットはアクション満載のドタバタ喜劇、スラップスティック・コメディをアメリカで撮りたいと夢見るようになり…作・演出/小柳奈穂子、作曲/吉田優子、振付/御織ゆみ乃。
…新人のデビュー作・演出とはいえ、久しぶりに痩せてスカスカで何もない舞台を観てしまいました。
一幕は「ああしてこうなりました」的なお話があるだけでキャラクターもドラマもナイ。
二幕に入ると一転してシリアスというか深刻ぶった展開になって、全然ついていけません。馬鹿馬鹿しくておもしろおかしい映画が作られる一方で、愛も憎しみも戦争も犯罪もある人生があって…というようなことがやりたかったんだとしたら、あまりにも力不足なのでは?
逆に出演者は完全に役不足。あの脚本ではどうにもならないでしょう。お疲れさまなことです。
マック・セネットという人は20世紀初頭の実在の映画監督だそうですが、作者はこの人の人生の何にどういうヒントを得たのでしょうね。史実をそのままやるんだったら伝記を読んだ方がよっぽどおもしろい訳で、舞台で、しかも宝塚歌劇でやるからには、もっと何かちゃんとした焦点が必要なはずなんですが。その焦点に絞って、題材だけはもらって、架空のキャラクターたちをきちんと作ってあげた方がよっぽどいいんじゃないでしょうか…『JFK』ですらなかなかにツラい、と思った私なので、厳しすぎる意見なのかもしれませんが…
青年の理想、奮闘、青春、成功、そして失恋、転落…みたいなものを描きたかったのなら、それに焦点を絞って、まずはちゃんとラブコメディをやらせるべきでした。結ばれずに終わる、でも戦友、みたいな男女関係を描きたかったのだとしたら、それはなかなかおもしろい視点だと個人的には思いますが、もっといろいろ整理・肉付けしないとね。
史実をそのまま丸投げしても誰も感動しません。台詞で説明しようとしていますが説明になっていないし、そこをこそドラマで見せてくれないと感動なんかできないよ、というくだりを説明台詞で流してしまっていると思います。セネットがどう成功したのかよくわからないし、セネットとメイベルが恋愛しているのかもよくわからないし、誰がどう悪者なのかとかよくわからないし、メイベルがゴールドウィンのところへ移籍する理由もよくわからないし、メイベルとテイラーとの関係もなんなんだか全然わからないし、ドラッグがどうとかも全然わからないし、そもそもモデルをクビになる経緯もよくわからない。この「わからない」は、「判然としない/意味が理解できない/共感できない」、全部です。
キリヤンはホント危なげがないなあとか、娘役に転向したヒロインは健闘していたなあとか、月船さららちゃんってタモさん(花組先々代トップスター愛華みれ)にそっくりに見えるときがあるなあとか、城咲あいちゃんがかわいかったなあとか、いろいろ思いましたけれど…とにかくまず、いい物語が観たかったです。