駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇雪組東京特別公演『殉情』

2009年11月19日 | 観劇記/タイトルさ行
 赤坂ACTシアター、2002年4月3日マチネ。
 現代の大阪。寺町でデートをしていたマモル(音月桂)とユリコ(涼花リサ)は、偶然、寄り添うように建てられた春琴(紺野まひる)と佐助(絵麻緒ゆう)の墓を見つける。郷土史研究家の石橋(風早優)が『春琴抄』について語り始める。明治初頭、薬問屋の鵙屋に奉公に上がった佐助は、鵙屋の次女で盲目のお琴の手曳きを日課としていた…脚本・演出/石田昌也、作曲/西村耕次、原作は谷崎潤一郎の『春琴抄』。95年に星組で初演されたものの7年ぶりの再演。雪組新トップ・コンビお披露目公演。
 初演を実際に観た演目の再演を観るというのは、私にとっては初めての経験です。一歩、立派な宝塚ファンに近づけた気がしました(笑)。
 開演ブザーのあと主題歌のカラオケが流れると、一度しか観ていないというのに歌詞の記憶がよみがえりました。おそるべし。大好きな公演だったのです。身分と気位が高い女と、身分も腰も低い男が、好き合っているのに素直になれない、という設定がものすごく好きなんですね、私。自分は土間に膝ついて、春琴の足に草履を履かせる佐助にクラクラしたものでした。
「佐助、佐助!」
 とキンキン呼ばわるグンちゃん(前雪組トップ娘役・月影瞳。7年前は星組にいて春琴を演じたのです)の声が忘れられません。こういう役のグンちゃん、ブンちゃん(絵麻緒ゆう)っていいなあと思ったことを覚えています。
 今回も実にいい舞台でした。欲を言えばもう少しテンポをよくして、2時間の一幕ものにしてもいいのにな、とも思います。少ない人数で、小さい劇場でやる、地味ながらも美しい佳品、という感じなんですもの。
 マヒルちゃんは「驕慢なお嬢様」という感じで(グンちゃんは私からすると「高慢なお姫様」という感じでした)、これまたすっごくいい春琴でした。いやあ、ええわあ。
 ブンちゃんも佐助という役をすっかり手の内に入れていて余すところがなかったです。すばらしい!
 石田先生がパンフレットに書いた文をちょっと長いですが引用します。
  宝塚ファンは"抱擁力のあるスター"に「抱きしめられたい!」とも願い、又…抱擁力が希薄なスターなら「ワタシが抱きしめてあげる!」…とも感じる訳でして、男役とは"一粒で二度美味しい存在?"でもあるのですが、個人的感想を云わせて頂くと絵麻緒ゆうはこの"両面"を持っているようです。誤解されると困るので絵麻緒ゆうの名誉のために補足させて頂くと…ブンちゃんはこの"両面"を「使い分けて演技できる」トップスターと云う訳です。
 私もこの意見に賛成です。
 でも、このあとに続く、この舞台のテーマを「愛しすぎることも、愛されすぎることも罪」とする文章は、ちょっと私としてはちがうかな?
 「少しだけ愛して、少しだけ愛されて…それで充分に満足」というのはまあ、ある意味で正解かもしれません。忙しくてモノのあふれた現代では特に、そういうほどほどの恋愛、愛情が増えているのかもしれません。でも、愛しすぎてしまうこと、愛されすぎてしまうことこそが本当の愛なのではないかしらん。「ラブ イズ ブラインド」とはよく言ったもので、愛しすぎ愛されすぎて自ら盲となる佐助が、その「愛」を体現しているのではないでしょうか。
 光なき暗闇に生きるふたりは他人から見れば不幸な不具者かもしれませんが、彼らがふたりだけの愛の世界に生きたこともまた事実で、それこそが愛に殉じたふたりの生き方だったのだ…とか、私なんかは思うのです。それが愛の罪とすれば、罪ですね。
 そうそう、私は初演時には、ラストで春琴が佐助に「おおきに」というのにはちょっと引っかかりました。ここは「かんにんな」とかなんとか謝るところではないんかいな、このこいさんはほんまにもう…とか思った訳です。でも今回は、すとんと胸に落ちました。
 佐助が自分のところまで降りてきてくれたことが、春琴はとにかくうれしかったのだと思ったのです。佐助にすまないと思うよりも…それくらい、彼女にとっては目が見えないことはつらく、美しかったことは誇りだったのでしょう。
 さて、瞳を閉じて、私は誰の顔を思い浮かべるかな?
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『You Are The Top』

2009年11月19日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 世田谷パブリックシアター、2002年3月13日ソワレ。
 夜のリハーサル室。作詞家(市村正親)と作曲家(浅野和之)が、共に愛した今は亡き女性歌手(戸田恵子)のために追悼の曲を作る、一夜のお話。作・演出/三谷幸喜、劇中歌作曲/井上陽水。
 いやあ、おもしろかったです。すばらしいライバル競演舞台、すばらしいロマンティック・コメディ。難を言えば、一幕ものとしては2時間20分はやや長いのでは、ということくらいでしょうか。でも二幕に分けるタイプのお話ではないしね。
 おそらく、ゴジラ対ガメラにも匹敵する鹿賀丈史と市村正親との競演、というところからスタートした企画だと思うのですが、そのふたりに作詞家と作曲家を当て、このお話を作り上げるんだから、すごいよなあ。シンプルなセットの中で、役者は三人だけで、回想も空想もすべて表現できる舞台の魔法に酔いました。
 最初は純真でいじらしく見えた作詞家が、だんだん小心でいじましいリアリストに見えてくる。つっけんどんで頑固な作曲家が、実は繊細でまっすぐなロマンティストの顔を現す。こういうところもおもしろかったです。
 そして、急な代役ながら健闘していたと思いますし、ご自身ものすごくキャリアのある役者さんなんだけれど、正直言ってやはり浅野さんではなく鹿賀さんで観たかったですね。
 浅野さんと市村さんの声はレンジというか音響レベルがちがいすぎて耳が慣れなくて聞きづらかったし、ラストの歌はやはり遠慮がちだったように聞こえました。何より作曲家のキャラクターが、鹿賀さんに当て書きされていたよなー、と思うのです。色気、ずるさ、独身貴族のプレイボーイぶりがちがってきたと思うのですよ。
 通常の舞台とちがってまずキャストありきの企画だったと思うので、アンダースタディが用意されていたとは思えませんから、今回のアクシデントは本当に大変だったんでしょうけれどね。
 でも、ちょっと思いました。もしかして最初のキャストは鹿賀さんが作詞家で市村さんが作曲家だった、とか? ニンは逆な気もするけれどどちらも全然できない役ではないし、代役が立つことになったので、セリフの多い作詞家役に市村さんが回ったとか? ともあれ、いつかどこかで再演してもらいたいものです。
 でも実は、一番すごかったのは戸田恵子かもしれません。
 作詞家も作曲家もすでに名のあるひとかどの人物だったので、同じ年月を生きていてもそんなに変化はないのですが、歌手はその年月をただの素人からデビューしてのし上がっていって君臨して落ちぶれて、という大変化で送っているんですね。その振幅をまったく余すところなく演じているんです。
 衣装や髪形が変わる、というのはありますが、話し振りや態度が変わり、その姿は波瀾の人生を送った歌手「笹目にしき」以外の何者にも見えませんでした。浅野さんが鹿賀さんで観たかったなと思わせたり、市村さんが作曲家もできたなと思わせたりしたのと好対照でした。
 作詞家との間にあったことをすべて作曲家に話していた歌手が、唯一伝えなかった作詞家の秘密。その秘密を封じられた猫のかたわらで、ほとんど楽しそうに自叙伝の口述をし、その本をふたりに捧げる歌手。このとき初めて三角関係は正三角形(二等辺三角形を含みます)になったのかもしれません。彼女の死は事故であり、事故は不幸なことですが、彼女は幸福だったのでしょう。残された男ふたりは、彼女を偲んで歌を作るのみ…
 個人的にハマってしまったのが超セクシー?な音階練習。しばらく笑いが止まらなくって恥ずかしかったです。喜劇を観にくる観客の中には、笑わせてもらうことを過剰に意識しすぎていて最初っから嘘くさく大笑いする人がいるものですが、この夜も何人かいました。だんだん純粋に舞台に引き込まれて、そういう大仰さがなくなるんですけれどね。私はそういうヘンな笑いにはついつい抵抗してしまって、かえって生半なことでは笑わないようになってしまうんですけれど、ここはツボでした。おかしかったな~「♪プラップラップラップラップラ~」…
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宝塚歌劇宙組『カステル・ミラージュ/ダンシング・スピリット!』

2009年11月19日 | 観劇記/タイトルか行
 東京宝塚劇場、2002年3月5日マチネ。
 実は、宙組初観劇でした。
 ハナちゃん(花總まり)は好きだったんだけれど、雪組時代にすでに完成されて見えたので目新しさがないかなと勝手に思っていたり、ズンコちゃん(先代トップ姿月あさと)もタカちゃん(現トップ和央ようか)も特にファンという訳ではなかったので…うちの母もスッと細面で渋めの男役が好みで、タカちゃんは丸顔で可愛らしすぎるように見える、とか言っていたのですよ。
 ところがところが。劇評がわりによかったので申し込んでみるかと抽選に応募したら、SS席が取れてしまいまして。
 4列目ほぼ正面でモロに観られて、母娘そろってタカちゃんにノックアウトされて帰ってきた公演となりました。
 母はちょっと一路真輝ふうの歌声と、意外と頬が削げてすっきり見えた顔立ちと、何よりスタイルの良さにコロリとまいったらしく、私はあいかわらず顔も声も好みとちがうんだけれど、その芝居っ気というか演技っぷり(そんな日本語ありません)に惚れてしまいました。ショーが気障で派手で良かったこともあって、
「宙組、また来ようね~」
 と声をそろえてしまいました。タカちゃん、なんておこがましい、タカコ様、ってなもんです。ははは、お恥ずかしい。
 お芝居の舞台は第一次大戦前のアメリカ。ニューヨークの貧民街で、レオナード(和央ようか)とジョー(水夏希)は育つ。ストリートの青空ダンス教室の一番人気はエヴァ=マリー(花總まり)。ある日、フランク(成瀬こうき)を中心とするイタリア系少年のグループがやってきて、ジョーの賭博の借金を回収しようとする。レオナードはジョーの借りを返すためにフランクにクラップ勝負を挑む。エヴァはレオナードに、勝利の女神ミネルヴァのペンダントを渡す。マフィアのボス・アントニオ(伊織直加)はレオナードの度胸の良さを見初め、仲間に加える。そして十年後。西海岸へ進出するべくハリウッドを訪れたレオナードは、新聞王テイラー(樹里咲穂)の屋敷で、モンテカルロの歌姫アリアーヌと出会う。彼女こそ成長したエヴァだった…作・演出/小池修一郎、作曲/吉田優子。
 男役のスーツ姿がかっこよく、専科の三人を含めたキャラクターも多彩でたくさんの生徒に役がついていて、展開はスピーディーで、ストーリーもおもしろかったです。でも酔えなかった。すごーく小池先生らしい物語だと思いました。つまりこれは、男の人の夢なんじゃないかなと思うのです。格別マッチョだとかいうのとはちがうのですが、どうも本来の宝塚歌劇とは30°くらい方向性がズレている気がしないでもないのです…
 たとえば、リチャード・テイラーというキャラクターです。
 イタリアに帰国して歌や踊りの勉強を続けていたエヴァをリチャードが見出し、パトロンになってデビューさせ、過去を捨てさせ、政治から遠ざけて身の安全を図り、お金と愛情を注ぎ、妻との離婚が成立し次第結婚する気でいます。エヴァはリチャードに対して感謝も尊敬の念も抱いているけれど、でも真実の愛は感じられないでいる。自分を囚われの身と感じているのです。レオナードと再会して、エヴァはついに何もかもを捨ててリチャードのキャッスルを出るのですが、どうも作者は、リチャードのような愛が男が女に与えられる最高で最良のものであり、それを蹴るエヴァのような女は馬鹿だと考えているのではないかなーと、お芝居を観ていて私は感じちゃったのです。ジュリちゃんの演技がなんとなくあいまいで輪郭がはっきりしていない感じだったのは、そこらへんへの反発とか葛藤があったのではないかしらん、というのは考えすぎ? ちなみにこの後、レオナードのホテル建設を妨害するキャンペーンを張ったリチャードが、エヴァが頭を下げにきただけでキャンペーンを中止するのはよくわからない。これは作劇上の問題ですが。
 たとえばこの人が、お金をかけることでしか愛を示す方法を知らなかったのであり、お金でエヴァの本当の心を買えるとは思ってはいなかったのだけれど他に方法を知らなかったのであり、自分のやり方ではエヴァを幸せにすることはできないんだと気づいて彼女を自由にする、というようなキャラクターにすることも可能だったと思うのです。その場合は、ドリスや公爵の口車に乗せられていやいや妨害キャンペーンを張る、という形になるのでしょうが。で、そんなことをしても彼女は戻らないし、抜け殻だけの彼女が戻ってきてくれてももはやそれではだめなんだということに気づいてしまったし、だから彼女が頭を下げに来たときキャンペーンを取りやめて彼女は返す、というような。その方がせつないし、女性好みだと思うんですよね。リチャードはリチャードで本当にエヴァを愛していたのだ、となる訳ですから。女はそういうふうに愛してもらいたい訳ですから。宝塚歌劇は女性相手の娯楽なんですから。
 でも、この舞台のリチャードはそういうんじゃないように見えました。誰でもよかった訳ではない、と言いつつも、リチャードはエヴァを見ていません。彼女の個性を、本質を認めていません。彼が求めたのは最初っから最後まで自分の理想の女神像であり、エヴァ自身ではありませんでした。それこそが幻であり、彼の城の中にしか存在しないものであり、タイトルの別の側面にもなるのですか(このタイトルが本来示しているのは、レオナードが建設するホテルのことであり、ホテルが繁盛してもなお滅んだ彼の人生のことでしょう)、それが偽物だと思い知ること、悔いることは最後までされません。そこになんだか、往生際の悪さを感じるというか、男の頑固さみたいなものが見えるというか…小池先生は、お金があったら若い美人を捜してきて自分の思いどおりの女にするのが夢で、それが男の究極のロマンで、女もそうされるのが一番幸せだと考えてるんじゃないのかなーと、うがちすぎかもしれませんが私は思ってしまったのです。
 同様に、ラスト、レオナードの死も本当は納得がいきません。こういう滅びの美学というのも男の人特有のロマンのような気がします。本当にロシアン・ルーレットで命を落とすんだったら、それは運が悪かったということで、それはわかるんです。残された女も泣いて灰をまいて弔って想い出をよすがに生きますよ。でも6発全部自分で引き金を引くんだから、あれは自殺ですよね。それは体のいい逃げです。女は好きな男に何もかも放り出されて死なれたくなんかありません。
 組織の金を個人で使い込んだこと、遠い異国のことでも身内に対立したものは家族ごと敵と見なされること、だからどこへ行っても組織の追っ手がかかりこの世界中にふたりが暮らせる安住の地などない、ともっともっと強調されてもなお、でもどこかにあるかもしれないでしょ、一緒に逃げようよ、と言うのが女でしょう。宝塚歌劇はそこをくんでくれなくちゃ。責任を取ったつもりか何か知らないけれどさっさとひとりで死んじゃうなんて、男の目にはきれいでかっこいいかもしれないけれど、女には虚しいです。
 このような微妙なズレを感じつつも、ストーリーには破綻はなく(リチャードがキャンペーンを取りやめるところを除いて)、おもしろくは観ました。各役者の演技が本当に的確でしたしね。
 この間「好きだーっ」とか叫んでいたとはとても思えないすばらしいマフィアのドンぶりだったナオちゃん。レオナードへのライバル心や悪ぶりがこれまた上手かったオッチョン。こうやってコウモリのように上手いこと世の中渡っていくんだろうなーと思わせられるイヤーなマダムな感じが良かったアッコさん(陵あきの)。これで退団とは涙、涙です。花形記者ドリス(出雲綾)や検事マクガバン(越はるき)、リチャードの秘書カーター(朝比奈慶)も過不足がなかった。
 逆にジョーはちょっと味がなさすぎたかなー。
 主役カップルも、何がどう、と言うんじゃないんですが、よかったです。前の雪組公演でのヒロインの演技が「?」だっただけに、安心して観られて、よくストーリーが追えました。ハナちゃんは鬘がよかったです(そんなほめ方ですんません…)。最初の歌もちゃんとオペラのプリマに聞こえました。プロポーションが本当に良くてどのお衣装も似合っていたし(胸が大きくなっていた気がする…あああ、またまたすんません…)。ちょっと気だるげで、品があって、素に戻ったところもあまり子供っぽくしすぎないでいて、いいヒロインでした。
 タカコさんは何がよかったかって、なんだか男らしかったところ(笑)。これは演出のうちなんでしょうけれど、おやすみのキスにはシビれました。逆にラストのエヴァとの別れ際、ほとんど乱暴なくらいに彼女をガッと抱き寄せてキスするところは演技の良さでしょうね。うっとりしました。
 砂漠でのキスシーンも良かったなああ。そういえばこのときエヴァは裸足でしたが、身長差がつきすぎちゃって絵としてあまり美しくありませんでした。エヴァがキャッスルを出てありのままの彼女になっているということを表現したかったのかもしれませんが、ヒール、履かせてほしかったなー。
 耳に残ったのが、「あ?」とか「え?」とかのセリフ。妙にナチュラルでいい感じでした。ああ、上手く説明できない。これはもう愛ですね。タカコさんはこれがまだ3公演目。これからじっくり観ていきたいです。
 グランド・レビュー『ダンシング・スピリット!』はタイトルどおり踊りまくり歌いまくりの「これでもか!」という豪華で派手で気障なショー。作・演出/中村一徳、作曲/西村耕次。
 宙組は予算があり余っているんだろうか…なんて思ってしまうほど、久々にゴージャスで濃ゆ~いショーでした。覚え易くて健康的な主題歌が嘘っぽいくらいでした。場面数はそんなに多くないんだけれど、スターさんたちが入れ替わり立ち代わり…という印象でしたね。
 専科の三人がここでも大活躍。特に炎の男に扮したナオちゃんが若手と絡みながら銀橋を渡る第14場は、異様にエッチで、人気のあるシーンなんじゃないでしょうか。若手男役のお衣装がパンツでなくタイツだったので、中性的ででもエロティックでなまめかしく、心が騒ぎましたね。ナイショですが、ワタシ、いわゆる「もっこり」を捜してしまいましたよ。たとえばバレリーノなんてそこまでが鑑賞するべき身体でしょう? 何もナイのが不思議でしたよ。本当にあの場は倒錯していたなあ…レズビアンを見ていることになるのかホモセクシャルを見ていることになるのか、という…
 これで退団のヒナちゃん(朝比奈慶)があちこちでものすごく元気に踊っていて、うれしかったです。モエさん(萌水せりか)、アッコちゃん(第6場!)もキレたように踊っていましたね~
 そして、ハナちゃん再発見。実はプログラムを見たときに、ひと場面くらいアッコさんなりミホコちゃん(彩乃かなみ)なりに譲ればいいのに、巷で「女帝」とも噂される強権ぶりは本当なのか?とか思わないではなかったんですよ。
 でもねえ、ハナちゃん、いいんだわ。特にネズミS。こんなに踊れた印象って持ってなかったし、しかも芝居っ気あふれてて感動しました。乙に澄まして佳人ぶるところが全然ないんだもん。これは生半な新進娘役には脅かせませんよ。娘役トップになって長いんだけれど、まだまだ、やりたいだけやってほしいなあ。デュエットダンスのときのストレートロングの髪型もたいそう美しゅうございました。ドレスの裾と同じ感じでなびくのが幻想的で夢のようでした。
 ひとつだけ…プロローグとパレードの上級生娘役の、金のオーバーオールっつーかパンタロン(!)っつーかなお衣装が…ワタシ的にはちょっと…でした。
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