駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇花組『ミケランジェロ/VIVA!』

2009年11月09日 | 観劇記/タイトルま行
 東京宝塚劇場、2001年10月30日マチネ。
 16世紀のローマ。サン・ピエトロ聖堂に飾られたミケランジェロ(愛華みれ)の彫刻「ピエタ」像が人々の評判を呼んでいた。ミケランジェロはかつてメディチ家が作った彫刻学校で学び、当主ジョバンニやその姉妹ルイーズ(遠野あすか)、コンテッシーナ(大鳥れい)たちとは兄弟のように育った。今はリドルフィ伯爵未亡人であるコンテッシーナはミケランジェロに想いを寄せていたが、やはりミケランジェロを愛していたらしき姉・ルイーズの事故死の真相が気になっていた。だがミケランジェロは自分の世界に閉じこもったまま答えない。そんな中、ミケランジェロはフィレンツェ共和国からの招聘を受けるが…愛華みれのサヨナラ公演。作・演出 谷正純、作曲 吉崎憲治。
 花組を観たのが久々だったので、主要キャストの声の悪いのに驚いてしまいました。専科から特出の義賊メンドリーニ役・樹里咲穂の登場が目の覚める思いでしたよ。あと、さすがの法王ユリウス2世役・未沙のえる。『ルードヴィッヒ』を観ていないのですが、今の花組ってあまりこういう大芝居というかコスチューム・プレイには向いていないのでは…?
 史実を元にした物語としてはなかなかうまいことドラマティックにしていたとは思うのですが、よくわからなかったのが主役ふたりの役作りです。
 コンテッシーナの第一声は私にはものすごく傲慢でえらそうに聞こえて、
「ええ? これがヒロイン?」
 と思っちゃいましたよ。すごく意地悪そうなんですもん。勝ち気で我が強いヒロインでも全然かまわないんですが、あまりにも愛敬というかいじらしさが見えないのは問題ではないでしょうか。
 しかしヒロインはまだいい。ミケランジェロのあの、わがまま偏屈がらっぱちオヤジといったキャラクターは、演出なんでしょうか役者の考えなんでしょうか。宝塚歌劇の主人公らしくないし、百歩譲って白薔薇のプリンスにはせずとも愛すべき人物ではあってほしいのですが、とてもそうは見えませんでした。ミケランジェロの壮年期の物語だからこうさせたのかもしれませんが、ここは史実を無視してでも、芸術家肌のナイーブな青年、とかにした方が、まだタモさん(愛華みれ)のイメージだったんじゃないでしょうか。
 そんな繊細な青年が、兄弟のように育った姉娘と心通わせ合っていた。だが彼女は家の繁栄のために他国へ嫁がなければならなくなる。さらって逃げることなど彼にはできはしない。絶望した彼女は自死を選び、ショックを受けた彼はもう二度と誰も愛さないと誓い、芸術に打ち込む。妹娘もまた彼を愛していたが、やはり家のために他の男に嫁いだ。だが心は彼に捧げていた、彼もそれを知らないではなかったが…というようなことであれば、もっと感動的だったのではないかしらん、と思うのですがね。
 とにかく主役ふたりがそんななので、私にはなんだか感情移入しづらかったんですよ。もったいなかったです。
 あとはやはり、ミケランジェロとジュリアーノ(匠ひびき)に友達同士らしいシーンが欲しかったこと。史実なのかもしれませんがコンテッシーナの餓死というのはやはりいかがなものか、ということ。ミケランジェロの成功を祈るうちに病死、とかでいいと思うんですよね、断食しなくても…
 個人的な収穫としては、渚あきの組替えでルイーザ役をやることになった遠野あすかがなかなかよかったことでしょうか。
 グランド・ショー『VIVA!』は作・演出 三木章雄。私には何やら『ダンディズム!』や『ラ・ノーバ!』の幻が見え隠れしましたが…しかし花組にはショーの歌手がいないなー。エトワールもなんだかなあという感じだったし、シャンシャンが変なのも嫌でした。普通の羽の扇じゃ駄目だったのかねえ…ま、チャリ男(と私は勝手に呼んでいる…匠ひびきの愛称「チャーリー」の由来は、かつて自転車通学していたからだそうです)が元気に踊りまくってくれていたので、それはうれしかったのですが。
 三木先生の大好きな男役同士の絡みも、なんだかあまり色気を感じなかった私は、疲れているのでしょうか…おかしいなあ、かつては一番好きな組だったんだけどなあ…次回に期待。
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遊◎機械/全自動シアター『ラ・ヴィータ』

2009年11月09日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 世田谷パブリックシアター、2001年10月16日ソワレ。
 人は誰しも、人生で二度主役になるという。一度は生まれ出るとき、もう一度は死にいくとき…死を目前にして、ひとりの男(白井晃)が人生を振り返る。父(陰山泰)、母(高泉淳子)、妻(山下容莉枝)、弟(平沢智)、娘(瀧山雪絵)、友人(小林隆)、愛人(秋山菜津子)との関係…自分が生きてきた意味はあったのだろうか。作・高泉淳子、演出・白井晃。91年に初演された高泉初のオリジナル戯曲の、10年ぶりの再演。全1幕。
 コンパクトで、客席と舞台が実に緊密ないい劇場で、美しい装置のもと8人の男女が過去と現実と幻想を描き分けてみせる、いいお芝居でした。よくできている佳品だと思います。
 ただ、好みじゃないとは言いませんが、あんまり興味がないというか、私には用がないモチーフを扱っているとは思いました。
 要するに私は、この主人公のようにナイーブでデリケートな人間ではないもので。もっと図太く生きてきてしまっているもので。あるいは、自分の人生に疑念を抱くような根性を持ち合わせていないもので、と言ってもいいです。
 ぶっちゃけて言うとこのお芝居の筋は、主人公が、上手く愛してもらえなかったので、上手く愛することを覚えられず、上手く愛せず、でたらめな人生を歩んできてしまい、死を目前にしてそれを後悔して、でも愛されていなかった訳ではないことに気づき、愛していなかった訳でもないことを再確認し、まず自分を大切にすれば人生は捨てたもんじゃないのだと言って、幸せに無に帰っていくというものです。ち、ちがうかな?
 でも私は幸福なことに、愛されて生まれてきたことを知っているのです。幸せになるために生きていくのだということを基本的に疑ったことがないのです。そう育てられたんですね、幸運なことに。
 そうでない人もいる、そんなふうに考えられない人もいる、ということも、今の私は知っています。
 でも、スタートが不運でも、チャンスはどこにでもあるもので、死ぬまですねてひとつことを思いつめる方がよほど根性がいるようにも思えます。楽になれる、幸せへの扉は、いつも、どこにでもあるのに。青い鳥は必ず身近にいるものなのです。
 主人公は、回想と幻想の中で幼い日の自分に出会い、目覚めます。それは嘘、まやかしかもしれません。関係を再構築するべき人の半数近くがすでに鬼籍に入り、自身もまた死の縁に立たされていてのことで、遅きに失したことだったかもしれません。でも、やっぱり、よかった。観客の中にも迷っている人がいれば、ひとつのヒントになったのではないでしょうか。ただ私は、自分だけの羅針盤を握り締めて
「迷子になんかなってないもん」
 とうそぶいている人間なので、あんまり関係なかったわ、ということなのです。
 でもひとつおもしろかったのは、私は主人公には似ていませんが、子供を持ったら主人公の母親のようにはなってしまうかもしれない、と思ったことです。
「完璧じゃないなら無の方がマシ」
 と言い放ち、無駄とか失敗とか冒険とかの価値を認めず、良かれと思って世話を焼き、結局は子供をスポイルしてしまう、そんな親。心当たりありすぎです。気をつけなければ…
 そんな母親と、幼い日の主人公を、同じ役者が演じる妙味(高泉の少年役は今回もやっぱり絶品!)。配役上たまたま、というのもあるでしょうが、やはり母親の影響というのは大きいのだろうなあ、と思います。それだけでも、女性というのはもっともっと尊重されていいのになあ。
 と、話がちょいと筋違いのフェミ方向に向いたところで、おしまいにすることにします。あ、パンフレットが上質で寄稿が的確だったことは特筆ものでした。
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シルク・ドゥ・ソレイユ『サルティンバンコ2000横浜公演』

2009年11月09日 | 観劇記/タイトルさ行
 横浜ビッグトップ、2001年10月13日マチネ。
 1984年にカナダ・ケベック州に設立された、曲芸と大道芸を融合しショーアップした異色のサーカス公演を行うシルク・ドゥ・ソレイユの、世界ツアー日本最終公演。
 この日の演目は、アーティストたちが客席にあふれ出る客いじりから始まって、アダージオ、ディアボロ、チャイニーズ・ポール、クラウン、ダブルワイヤー、ボレアドーラス。休憩を挟んでロシアン・スイング、ジャグリング、ソロ・トラビス、ハンド・トゥ・ハンド、バンジー。
 いわゆる「サーカス」というものを観るのが初めてだったんですが、いやあ、夢のようでした。魔法にかけられたようでした。ゾウが玉乗りしたりライオンが火の輪くぐりをしたりするようなものはなくて、むしろ大道芸よりのショーなのですが、でも綱渡りも空中ブランコもあるんだから、やっぱりサーカスなのかな。
 「しあわせ家族計画」なんかでやらされるディアボロやジャグリングの、プロの手にかかるとなんと鮮やかなこと。観客をリングに上げてパントマイムだけで客席中を笑わせるクラウンのすばらしいこと。ポールに対する握力や筋力だけで体を支えてみせるチャイニーズ・ポールや、力技大爆発のハンド・トゥ・ハンドには、「人間の体ってすごい!」と息を呑んでしまいます。
 私はバレエなんかを観るときも、物語の美しさはもちろんですが、人間の体の美しさ、人間の体にできることのすごさにも感動したりするんですが、今回もそうでしたね。体操競技やフィギュアスケートなども観るのが好きですが、通じるものがありました。加えて、器材の設置や撤収までもショー化して見せる美しさ。本当に楽しかったです。大きなブランコを使って人間がジャンプするロシアン・スイングではちょっとしたミスも出て、ハラハラ感も味わわせていただきました。
 圧巻はバンジー。バンジージャンプのような伸び縮みする命綱を使った空中ブランコというんでしょうか、白い衣装を着た四人のアーティストが天に地にくるくると回転し飛びかう様は、本当に妖精もかくやという感じで、夢を見ているようでした。
 芸術一点張りではなく、見世物としての猥雑さも残していて、そこらへんはすごく西洋的で、でも土曜日の昼公演で客席は家族連れでいっぱいでほのぼのしていて、なんだか妙で楽しかったです。ああ、なんか子供の日記のようになってしまいました。
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