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山王山に散歩に行った

(故郷の日吉神社)

故郷の朝、毎日歩くことを日課にしている長兄を誘って散歩に出掛けた。お天気は晴れて、午前10時を回って日差しが暑くなってきた。駅の西に山王山と呼ばれる小山があって、山頂に日吉神社がある。日吉神社は在所の町の氏神様であった。目標をその山王山とした。


(「世界連邦平和都市」記念碑 )

15分ほど町を歩いて山王山の登り口まで来た。坂を登って行くと左手の山上の広場に、「世界連邦平和都市」と台座に題字が入った碑があった。この碑はかつては忠霊塔であった。台座の上に大きな槍先のようなモニュメントが載っていた。今は「忠霊塔」の文字も外されて、台座上には二人の子供が地球儀を見上げている像が載っていた。

何か裏切られたような気がして、長兄が嘆いた。静岡の古文書の講師は口癖のように「戦(いくさ)に負けて以来」を連発していた。例えば「戦に負けて以来、新字が旧字に取って代わり、自分たちは新旧二つの文字を覚える羽目になった」などと。その言葉を拝借するならば、戦に負けて以来、平和を口にしておれば免罪になると、平和都市宣言を議会で議決したり、記念碑を造ることが流行った。大切な戦没者の慰霊を忘れているように見える。戦争の善悪を云々する前に、戦争で命を落とした人々に対して、敵味方を問わず慰霊する気持が、日本人の心にはあったはずである。戦に負けて以来、そんな心を無視することが、平和運動の第一歩だと考えているように思う。

赤い陸橋をわたって日吉神社へ続く参道を上った。社殿は昔から変らず存在していた。参拝しながら、長兄は49年前、この神社で結婚式を挙げたと話す。手前の社務所で披露宴もしたという。自分に記憶が無いのは、まだ中学生で、学校があって、結婚式には参列しなかったからである。

社務所から出て来た女性に長兄がそんな話を掛けると、先代は亡くなったけれど、お母さんはまだ元気だと話す。昔はここで結婚式をする人がたくさんいたと聞いているともいう。

山王山を下って駅に向いながら、長兄は来年金婚式だが、子供たちがお祝いをしてくれるようで、何か計画しているらしいと話した。

結婚式を神社で行うのはよいことだと思った。ホテルや結婚式場は50年もするともう仕事を終えていることも多いと思う。そうなると、結婚式はここで行ったと、誰かに話すことは出来なくなる。しかし、神社なら50年や100年経っても、無くなることはまれであろう。

約1時間の散歩を終わった頃には、汗でTシャツがぐっしょり濡れた。
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