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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年1月29日(水)7:00pm サントリー
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ギヤ・カンチェリ アル・ニエンテ (日本初演) 30′
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Int
チャイコフスキー 交響曲第4番 18′10′6′9′
(encore)
エルガー 愛の挨拶 3′
ストラヴィンスキー 組曲『プルチネッラ』から第7曲ヴィーヴォ 3′
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ユーリ・テミルカーノフ 指揮
サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団
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前の晩に続き連夜。
プログラム前半のアル・ニエンテはテミルカーノフに捧げられた曲。ゆっくりと水の紋のように音が広がっていく。惑星ソラリスを遠くから見ているような雰囲気にさせてくれる。
かなり長い曲で先をわかっていないと、今なぜここでこうゆう響きなのだろう、間があるのだろう、といったあたり、日本初演ですから当然と言えば当然ですが、わからないところもあります。ただ、先のことを思い浮べるのは楽しいことでもありますね。
良い音楽でした。
マイクが乱立しておりましたので、日本初演のこの曲テイクしたものを是非とも聴きたいものです。
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後半のチャイコフスキーは前の晩とだいたい同じ感想です。16型でベース8、チェロ10の男連中の圧倒的な木こり状態の響き。特にチェロ化人間のあまりに充実した響きには脱帽するしかないし、このインストゥルメントがこのオーケストラを引っ張っているのは間違いのないところ!
この4番ですが、テミルカーノフの棒が動きました。第1楽章導入部のねっとりとしてやたらとスローな解釈棒。これは第1楽章の導入部ではなく曲全体のフレームだと思わせてくれる。例でいうとフルトヴェングラーが運命を振るとき、最初の主題表現を曲のモチーフとして別枠で響かせる手法と同じです。
そのあとの提示部以降は前の晩と同じような解釈で進行。チャイ4ですから音の爆発はラフマニノフの上を行くのはあたりまえですが。
ブラスセクションはおとなしくなったと思います。トランペットやトロンボーン、ホルンなどの音圧は減ったし、ビブラートもなくなった。この2要素が昔は目立ったがそれでもピッチの狂いが無いため水平線のような地響きだった。弦の威力、特にベースの骨太さは変わらないが今回はチェロの威力にあらためて驚きました。充実の響きです。この楽器を中心に世界が回っている感じ。
第4楽章のうなる弦は世界トップクラスレベルのオーケストラだけで味わうことのできる技です。圧倒されました。
それと2曲目のアンコールが凄かった。ストラヴィンスキーのソロパート、コントラバス1本でホール鳴らし切る腕連中の集合体というのがよくわかりました。あのコントラバスサウンド、在京オケ5弦がが束になってもあれにはおよばない。
楽しい一夜でした。ありがとうございます。
おわり
2014年1月28日(火)7:00pm サントリー
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 20′6′7′
ピアノ、エリソ・ヴィルサラーゼ
(encore)
ショパン マズルカ第47番イ短調 op.68-2 3′
Int
ラフマニノフ 交響曲第2番 19′7′12′10′
(encore) シューベルト『楽興の時』D780 (弦楽合奏) 2′
ユーリ・テミルカーノフ 指揮
サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団
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ムラヴィンスキーはラフマニノフを振らなかったと思うので、こうやってレニングラード・フィル(旧名)で聴くのは格別のものがある。とにかく響きの充実度だけで十二分すぎるほど聴かせてくれるオーケストラなので、それがこうやって中庸な解釈のラフマニノフを聴かせてくれればさらにオーケストラの能力に感心するばかりなり。
ブラスセクションは昔ほど大胆な響きではなくなったように見受けられます、奏者に起因するものなのか、指揮者のコントロールによるものなのかは判然としませんが。
弦の素晴らしく太くて魅力的なサウンドは本当に変わらない。
まず前半のチャイコフスキー、ホルンの響きに導かれたビロードのようなオーケストラサウンド、角が無く、滑らかに骨太に滑る中、全てが朝飯前のようなヴィルサラーゼのピアノが鳴る。この演奏家たちのなんという高密度な音楽の表現。つれも唖然としていたが、それは自分も同様。身を任すしかない。チャイコフスキー最高の姿がステージに屹立している。作曲家の音楽がまずそこにあり、演奏がある。逆はない。少なくともこのオーケストラにあっては最高レベルの水準クリアがデフォルトで存在している、それは空気であってその中に作曲家の音楽のことが第一義的にあり、演奏表現の話はその瞬間消えているようなものなのだ。美しい音楽だと思わせてくれる。素晴らしい。完璧だ。
ヴィルサラーゼのピアノは強弱のダイナミックの幅もさることながら、横幅のアンプリチュードが大きい、太くなったり細くなったり変幻自在。どのようにすればこのような響きになるのかわかりませんが、演奏の表現幅の種類を何個も持っていて、それが同時にあふれ出てくる感じなのだ。いろんなことを同時にやっていて、作為がなく自然。聴き手としては驚きと安心感の両方を同時に得ることができる。
バックのオーケストラ、バックというのは完全に憚る言葉であって、最高度のオーケストラサウンドがピアノとマーベラスに溶け込んでいる。どちらがどちらに溶け込んでいるのかわからない。同質DNAが同じ方向を見ている、そんな融合。
あっという間の出来事、巨大なチャイコフスキー。
後半のラフマニノフ、このオーケストラでこの作曲家の作品はこれまで聴いた記憶が無い。3番だとはじけそうな気もするが、テミルカーノフはしなやかな2番を奇をてらうことなくやりたいのだろうと感じる。
全体は素晴らしく滑らかブラスセクションの主張は昔ほど前面に出てこない、ながら、弦の骨太サウンドは快感以外のなにものでもなく胃の底を通り越しお尻がむずむずするような激快感。
ブラスは抑制ではなく伝統の変化を感じるところもある。チェロは人間楽器のようになっていて中核どころ、鳴る鳴る。木こりがぶんぶん振り回しているような充実の響き。ものすごい圧力。一人分のチェロで国内オケのパート分の音を出しているのではないか。
ベースよりチェロがポイントですね。
テミルカーノフの棒はオーソドックスであって一見自然な流れなんです。が、前半やその場その場の小さなしぐさ、動きを見ているとオーケストラへの強烈なコントロールが効いていることがわかる。非常に小さな動きにものすごく反応している。指揮者の長期間にわたる手綱締めとオーケストラメンバーによる自発性、両方がうまくマッチしているのだと思う。装備能力の積極的な出し合いと融合。
1,3楽章は緊張の緒を切ることなく継続させるには厳しいところがあるが、隙間なくこれだけ魅力的に味わいをだして聴かせていただけるとワンフレーズずつ愛しみたい。
偶数楽章の爆発はエキセントリックなところがなく中庸な表現です。レニングラード・フィル(旧名)によりさらに偉大な曲へと変化。
テミルカーノフの解釈では、曲が走り出すということがありません。ホップステップジャンプ感がない。躍動よりしなやかな美しさの表現ということになる。それでいてだれない緩徐楽章の見事さには脱帽。そしてラフマニノフの巨大さにこれまた唖然。
これ以上ないチャイコフスキー、ラフマニノフ、ありがとうございました。
おわり