河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1506- ハンニガン、リゲティ、マカーブル、細川、松風アリア、霧の中で、準・メルクル、東フィル、2013.9.5

2013-09-05 23:29:34 | コンサート

1506- バーバラ・ハンニガン ワールド、リゲティ、マカーブル、細川俊夫、松風アリア、霧の中で、フィリデイ、全ての愛の身振り、準・メルクル、東フィル、2013.9.5


2013年9月5日(木)7:00pm サントリー

フランチェスコ・フィリデイ 全ての愛の身振り 18分
 チェロ、多井智紀
 準・メルクル 指揮

細川俊夫 松風のアリア 16分
 松風、バーバラ・ハンニガン(ソプラノ)
 村雨、ジェロエン・ベルヴェルツ(トランペット)
 準・メルクル 指揮

休憩 20分

細川俊夫 トランペット協奏曲「霧の中で」 16分
 トランペット、ジェロエン・ベルヴェルツ
 準・メルクル 指揮

休憩 10分

ジョルジ・リゲティ ミステリー・オブ・ザ・マカーブル 8分
 ゲポポ、バーバラ・ハンニガン(ソプラノ)
 振付、バーバラ・ハンニガン(これはたぶん)
 衣装、バーバラ・ハーニガン(これもたぶん)
 演技、バーバラ・ハンニガン
 バーバラ・ハンニガン 指揮

以上、
東京フィルハーモニー交響楽団

*リゲティ以外はそれぞれの曲を演奏後、作曲者オンステージでご挨拶


20分と10分の休憩がはいった演奏会。10分の休憩の方はセッティングの為といった感じ。
最後の8分、バーバラ・ハンニガンが全てを持って行ってしまったが、最初からそんなことを、わかっていながら観て聴いていたわけでもなく、やはり細川の2作品、強く印象に残るものとなっていたのだ。


冒頭のフィリディの曲は、自分の感覚と違っていたら拒んだら、そうは言っていないと思いますが、この曲を作るための作曲家の性格の一部分が高まっているときにそのことだけを取り上げた、もしくは、全体の性質の一部分のみを曲として表現した。換言すると、感情も表現する技術も全て一部しか見えない。もどかしく感じた。劈頭の曲で結果的にこの日一番時間のかかった曲。いきなりちょっと弛緩気味。
曲のあと隣のご婦人がいきなり立ち上がったので、まだ休憩ではありませんよと言ってあげたら、耐えられないといって帰りました。おそらく、こんな感じのわけのわからない曲があと3曲もあるのは耐えられないということだったと思います。

細川の松風のアリアは縦のバー(小節の区切り)がまるで感じられない曲。日本人らしいと言えばそれまで。メルクルも両腕を左から右へ、右から左へ、風のような指揮ぶり。メリハリのない流れは聴いているうちに慣れてくる。
音が静かに現われて風のように流れていく曲。ストーリーは悲劇を帯びたもので、そのなかからのアリアの断片。ハンニガンのソプラノは曲想にマッチしながらも明快。
聴いているうちに細川の音に魅了されていく。不思議なアリア。トランペットの出番はそれほどでもない。

休憩後の同じく細川のトランペット協奏曲。一種独特なスモーキーサウンド。曲想は前曲と似ている。独特な音の響きを作っており、マウスピースをはずして本体を吹いたり、はたまたその音高のまま奏者が奇声をあげる。ユニークな曲。
ミュートをつけたトランペットからマウスピースをはずし、直接吹くと、音程がさがりちょっと深みが増す感じ。燻したような響きになりますね。とにかくユニークな協奏曲でした。見ないで聴くとどんな感じなのかちょっと興味あります。

最後のリゲティ。これはグラン・マカブルからの断片で、何かに取りつかれたゲポポのクイレジーな部分を表現。振付、衣装、演技、歌、指揮、全部一人でやっちまった。ハンニガンの才気爆発。
黒のレザーコート風をまといハイヒール、頭はシルバーなウィッグで決め舞台上手からはいってくるところから演技が始まっていて、そのままクレイジーな歌と踊りと指揮が。
今夜は最高のエンタメ・ショー風。たぶん、グラン・マカブル全部をみないとわからないと思うのですが、かといってこの白熱の演技、8分以上持たせるのは大変。ここらあたりがギリギリの長さかと思います。
ニューヨーク・フィルが2010年にグラン・マカブルを演奏してます。出演者はこの日と同じバーバラ・ハンニガン。奇抜さをサイト確認してください。
グラン・マカブル バーバラ・ハンニガン
おわり


1505- ブリテン、ラクリメ、シンフォニア・ダ・レクイエム、ウストヴォーリスカヤ、怒りの日、ストラヴィンスキー、詩篇、カンブルラン、読響、2013.9.3

2013-09-03 22:49:48 | コンサート

2013年9月3日(火)7:00pm サントリー

ブリテン ラクリメ ~弦楽とヴィオラのための
 ヴィオラ、鈴木康浩

ブリテン シンフォニア・ダ・レクイエム

Int

ウストヴォーリスカヤ コンポジション第2番 怒りの日

ストラヴィンスキー 詩篇交響曲
   合唱、新国立劇場合唱団

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団


実質的なシーズン初日だと思うのですが、何かセレモニーがあってもいいような気もする。日本の場合、諸外国とは異なり、だいたいどこでも何事もなく初日をむかえることになる。
今節のカンブルランのプログラムは意欲的なもので、この日のプログラム・ビルディングも考え抜かれたもののように思え、前日のコンサートのような趣向を考えた人たちとはだいぶ異なる。

ワーグナー、ヴェルディ生誕200年、ハルサイ初演100年、そしてブリテン生誕100年。まず、ブリテンもいるのだよとその主張があって、4曲の流れは、キリストの涙、レクイエム、怒りの日、祈り、感謝、そしてハレルヤまでもっていく。
生誕100年のブリテンを2曲入れることにより主張させ、そのレクイエムのあとは破天荒な曲、怒りの日、そしてこのハンマーリズムが呼び起こす詩篇。
少なくとも前日の演奏会のようなプログラミングとは思考の深度が全く違うと思わざるをえない。
怒りの日のインパクトはものすごいものですが、それでもそれを含め全くギクシャクしないシームレスな流れの構成。カンブルランの勝利。


この日一番インパクトがあったウストヴォーリスカヤの怒りの日。作曲者、曲名ともに未知の状態で臨みました。
中央から向かってやや右に一列に並んだ八つのベース、その前にあるのはハンマーで叩かれる直方体のわりと大きめの箱、左にはピアノ、これだけである。あとは指揮者がいつもの場所にいる。
怒りの日と言えば、ベルリオーズの幻想に代表される例のふしで勝手にイメージを作っている。そのイメージがあればこの日の演奏会の流れ、結構助けにはなる。このウストヴォーリスカヤの曲でも真っ暗闇の暗黒ながら、その筋は見えてくる。どのような思考でこのような楽器編成になったのが全く分からないが、脳内理屈はいかばかりであろう。
ややメタリックなベースが突き刺す感じでフレーズを進める。ピアノは複雑に飛び回る。そして、うっすらとハンマーで叩かれる箱の音。弱く始まり、強靭に鳴り、微妙なずれで変化をつける。最初の弱音は心臓の音のように聴こえる。見た目は握り拳を上にあげることの無い鍛冶屋風、イメージが広がっていく。
カンブルランの棒は熱を帯びている。まるでプレイヤーの一人としてアンサンブルをしているようなおもむきなのだ。ピアノのカデンツァ風なところでは、スコアに指をあて、オタマジャクシを追っている。いやー、芸術の創作さ中、そのまっただ中にいるような雰囲気。最高です。それから、怒りの日という言葉がこれほどストレートに音楽に結びついているのは稀有な気もします。

後半2曲目は、ストラヴィンスキーの詩篇交響曲、合唱がはいるのはこの曲だけでちょっともったいない気もしますが、全体構成を考えた上での選曲でしょうからカンブルランの強い意志。怒りの日のリズムとの連関を意識させたプログラム・ビルディングということになるのでしょうか。最後にハレルヤで解決というストーリー展開も意識下。
この必然性を感じさせる後半2曲にヴァイオリンとかヴィオラはありません。前半でお仕事終わり。一種独特な雰囲気の演奏会でした。


前半のブリテン。ラクリメはこれも初めて聴きます。品のある響きで、済みきった涙か。
読響のサウンドはだいたい重心がやや下にくる感じですが、指揮者によって引き締められており美しくややウエット、潤いを含んだ演奏でした。曲の流れはスローテンポのBGMとの淵にいるような気もする。
前半2曲目のシンフォニア・ダ・レクイエム、カンブルランにより音の幅がボテ系にならず非常に引き締められており、パーカッションをはじめとしてリズムの形が浮き彫りとなる。なにか求心力があるというか響きが一点に収束していくような鳴り。この曲はブリテンにとってもしかして苦渋の曲なのかもしれませんが、カンブルランの見事なコントロールでわかりやすい。堪能しました。
ブリテン生誕100周年とは言ってもこの曲自体若書きで、このあと深度を増していったのだと思います。「ニ調」はやにっこい。
おわり


1504- ロルフ・リーバーマン、ジャズバンド協、野平、炎の弦、池辺古希7作品、杉山洋一、都響2013.9.2

2013-09-02 22:51:26 | コンサート

2013年9月2日(月)7:00pm サントリー

ロルフ・リーバーマン ジャズバンドと管弦楽のための協奏曲 20分
  ジャズバンド:角田健一ビックバンド

野平一郎 エレクトリックギターと管弦楽のための協奏曲「炎の弦」 12分、14分
  エレキギター:鈴木大介

古希を祝う7作品による管弦楽 <世界初演> 34分
  小出稚子 元気・長生き・古希音頭
  西村朗 池辺晋一氏の名によるヘテロフォニー
  猿谷紀郎 悲しみの森の中へ
  権代敦彦 秋
  野平一郎 水のほとりにて
  新実徳英 祭典Si-宇宙、樹、風-
  池辺晋一郎 原風景へ~オーケストラのために

杉山洋一 指揮 東京都交響楽団

サントリー芸術財団サマーフェスティバル 2013
新企画 ザ・プロデューサー・シリーズ 池辺晋一郎がひらく
「ジャズ、エレキ、そして古稀」


毎年恒例サマーフェスティバル、今年はホールが8月いっぱい保守点検で9月開始となる。いつもならこれをもってシーズン・エンドだが、今回はこの日の演奏会をシーズン・スタートにしておきます。

まず企画「ジャズ、エレキ、そして古稀」、支離滅裂だと思います。池辺氏御自身で、それを狙った企画なのでしょうか、この3語並べて意味あるのでしょうか。「音楽様式、楽器、作曲家70才」?、疑問のある企画だと思います。この3語に共通するのは“一騎打ち”ということのようで、こじつけとは言わないが言葉ではそれなりにいくらでも説明出来ると思いますが、この3語のフレーズからは何の音も出てこない。作曲者自身のコメントとして、古希おろしてくれ、という話で、話にならない。
ホールが半分以上埋まったからいいじゃないか、たしかにそうかもしれませんけど。
連関のない音楽3曲を一晩にやる演奏会です。それ以上でも以下でもない。日常でもこのような演奏会はありますし。

結果的に演奏水準の高さにフォローされた内容となりました。都響のまろやかで明るくて粒立ちの良いレコーディング向きのサウンドと、指揮者の抜群のコントロールが効いた内容の濃い演奏となりました。
一曲目のロルフ・リーバーマンの曲は1954年作。現代音楽というには60年経っているわけで、むしろ時代の音楽とでも言うべき。
古典ならまず曲の美しさとかフォームの出来具合の方に耳が自然と行きますが、いわゆる現代ものだと、いつまでたっても、どの時代の?といったあたりのことが先に来てしまう。この曲はこのタイトル通りコンチェルトを楽しめばいいと思いました。
通常編成のオケで、サイズはソリストたるべきジャズバンドに負けないぐらいのもの。指揮の杉山の指示が的確で、悪乗り風なリズムの取り方はせず実に品のあるもの。また、オーケストラにだけでなくバンドへの指図がうまい。ツボを押さえているというか吹きたくなる棒。
今となっては大時代的な曲で相応な時代音楽、融合の実験ミュージック、一度終わったものを再度聴いているような錯覚に陥る。
この曲、聴き進めるうちにゲルハルト・ウィンベルガーGerhard Wimbergerのプレイズplaysに雰囲気が似ているかと。プレイズの方はイレギュラーな楽器編成ですが、ジャジーな感じが特に後半似てくる。プレイズは1975年の作で、この曲の方が似ているということになるかと思いますけれど。

前半二曲目の野平の作品、これはエレキギターがソロをつとめる協奏曲。目を開けて見ればギターだが、目を瞑ればシンセサイザーとか電子楽器の鳴り。ミュージック・コンクレート風味があり、1990年作の割には時代を遡ってしまった感のある曲。この曲聴くの2回目のような気がする。
ソリストの赤衣装は、炎の弦か。

後半の7曲は古希祝い。いろんな引用とかそれぞれの作曲家たちのユニークな発想に基づくイメージを曲にしたもの。これはこれで楽しめました。曲ごとの主張もよくわかりました。
ただ、曲ごとに楽器編成や位置を変えるのに時間がかかりすぎ、ちょっと興ざめ。オア(Or)で置いておけばいいと思うのだが、なぜしないんだろう。
おわり