河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

フィルハーモニック散歩

2006-09-26 00:01:00 | 音楽

Noseda

マゼール/NYPOが今年も11月に来日するが、旧神童も76才。あと2シーズンでNYPOを去る予定のようだ。

新たな常任指揮者はフレッシュな人材が欲しい。マズア、マゼールと続いた高齢時代はいったん終わりにして、1978年メータのときのような血肉が騒ぐような指揮者が欲しい。

イタリアのジャナンドレア・ノセダなんかどうだろう。彼のジャンピング・エルボー、キックドロップ、オケが根こそぎなぎ倒されるバックドロップ、ブレンバスターなど、見た目のはでさでは超一流。しかし彼のすごいところは音楽が全て伴っているところ。日本人にありがちな意識されたタコ踊りとは一線を画す。そのノセダも1964年生まれだから早めにゲットしておきたいものだ。

いずれにしてもメジャー・オケの常任になるということは才能に加え体力も必要だ。メジャー中のメジャーであるNYPO2006-2007年シーズンの定期公演数は120-130回ほど。これ以外に催し物・国内外の演奏旅行をいれるとざっと200回前後。それに拘束される練習日をいれると大変な数だ。

そのうち、常任指揮者が全てを振るわけではないが、N響のように有って無いような音楽監督制とは状況が異なる。N響のアシュケナージは定期を何回振るのであろうか。今シーズンも多分少ないと思うが先シーズンも、「N響が音楽監督の色に染まるのを拒んでいる」、ような回数であったかと思う。レコーディングなどではそれなりに存在感を示しているようでもあるが、このシステムはN響にはむかない。いかにも中途半端なシステム。精神集中も中途半端になりがちではないかと思う。チャイコフスキー全集、ベートーヴェン全集、のCDが出来上がったら、もういいのでは。。

オペラの存在を否定し続けるアシュケナージは、N響の、ふところ大きく、やさしい定期会員に包まれて、これからも指揮を続けていけるのだろう。がそろそろお互いの将来のことを真剣に考える時期にきている。

ところでNYPO

1回目のシーズンから今年で164年ほど経ったわけであるが、いまでこそ年間200回におよぶ公演数などといっているが、昔からこんなに多かったわけではない。

120年前の1886-1887シーズンはこんな感じ。

1886.11.13

1886.12.04

1887.01.15

1887.02.19

1887.03.19

1887.04.09

ざっと6回。定期公演のほかにもさまざまな催しものがあったかと思うが、200回とは大違い。

1887.02.19の拡大図はこんな感じ。

・ベートーヴェン/交響曲第4

・ブラームス/ピアノ協奏曲第2

 ピアノ、ラファエル・ジョゼフィ

・サン=サーンス/交響曲第3番 (新作(副題ではなく))

テオドール・トーマス指揮

メトロポリタン・オペラ・ハウス

ほかの日は何をやっていたのかしら。

河童はこの演奏を見逃してしまった。

デジタル機器全盛の昨今とは異なり、当時、録音再生といったものはないわけだから、河童の皿力で想像をたくましくするか、はたまたタイムマシーンを作り続けるか。はたまた、昔のことは忘れ先のことだけ考えようか。消費社会にふさわしい聴き方に徹するべきか。迷うところもたまにはある。

この日のプログラムは3曲であるが、現代であればどのような組み合わせになっても2曲で一夜。つまり三分の二。内容の濃度はどうであれコンサート時間は短くなり、コンパクトにシステム化された。その突き詰めた現代究極のコンサートがカラヤンの晩年にあった。

・プロコフィエフ/交響曲第1番「古典」

・ベートーヴェン/交響曲第5番「運命」

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮

ベルリン・フィルハーモニカー

休憩を除くと、合計50分未満。CD1枚にもならない。内容は濃かったか?

晩年の指揮者を盛り上げた聴衆は偉かった。音楽の楽しみ方を知っている。でもその聴衆は氷のように限りなく冷たい存在でもある。演奏家が死ねばすぐに忘れる。やはり今生きている演奏家からしか生の音は出てこない、ということをよく知っている。

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