マゼール/NYPOが今年も11月に来日するが、旧神童も76才。あと2シーズンでNYPOを去る予定のようだ。
新たな常任指揮者はフレッシュな人材が欲しい。マズア、マゼールと続いた高齢時代はいったん終わりにして、1978年メータのときのような血肉が騒ぐような指揮者が欲しい。
イタリアのジャナンドレア・ノセダなんかどうだろう。彼のジャンピング・エルボー、キックドロップ、オケが根こそぎなぎ倒されるバックドロップ、ブレンバスターなど、見た目のはでさでは超一流。しかし彼のすごいところは音楽が全て伴っているところ。日本人にありがちな意識されたタコ踊りとは一線を画す。そのノセダも1964年生まれだから早めにゲットしておきたいものだ。
いずれにしてもメジャー・オケの常任になるということは才能に加え体力も必要だ。メジャー中のメジャーであるNYPOの2006-2007年シーズンの定期公演数は120-130回ほど。これ以外に催し物・国内外の演奏旅行をいれるとざっと200回前後。それに拘束される練習日をいれると大変な数だ。
そのうち、常任指揮者が全てを振るわけではないが、N響のように有って無いような音楽監督制とは状況が異なる。N響のアシュケナージは定期を何回振るのであろうか。今シーズンも多分少ないと思うが先シーズンも、「N響が音楽監督の色に染まるのを拒んでいる」、ような回数であったかと思う。レコーディングなどではそれなりに存在感を示しているようでもあるが、このシステムはN響にはむかない。いかにも中途半端なシステム。精神集中も中途半端になりがちではないかと思う。チャイコフスキー全集、ベートーヴェン全集、のCDが出来上がったら、もういいのでは。。
オペラの存在を否定し続けるアシュケナージは、N響の、ふところ大きく、やさしい定期会員に包まれて、これからも指揮を続けていけるのだろう。がそろそろお互いの将来のことを真剣に考える時期にきている。
。
ところでNYPO。
第1回目のシーズンから今年で164年ほど経ったわけであるが、いまでこそ年間200回におよぶ公演数などといっているが、昔からこんなに多かったわけではない。
120年前の1886-1887シーズンはこんな感じ。
1886.11.13
1886.12.04
1887.01.15
1887.02.19
1887.03.19
1887.04.09
ざっと6回。定期公演のほかにもさまざまな催しものがあったかと思うが、200回とは大違い。
1887.02.19の拡大図はこんな感じ。
・ベートーヴェン/交響曲第4番
・ブラームス/ピアノ協奏曲第2番
ピアノ、ラファエル・ジョゼフィ
・サン=サーンス/交響曲第3番 (新作(副題ではなく))
テオドール・トーマス指揮
メトロポリタン・オペラ・ハウス
。
ほかの日は何をやっていたのかしら。
。
河童はこの演奏を見逃してしまった。
デジタル機器全盛の昨今とは異なり、当時、録音再生といったものはないわけだから、河童の皿力で想像をたくましくするか、はたまたタイムマシーンを作り続けるか。はたまた、昔のことは忘れ先のことだけ考えようか。消費社会にふさわしい聴き方に徹するべきか。迷うところもたまにはある。
この日のプログラムは3曲であるが、現代であればどのような組み合わせになっても2曲で一夜。つまり三分の二。内容の濃度はどうであれコンサート時間は短くなり、コンパクトにシステム化された。その突き詰めた現代究極のコンサートがカラヤンの晩年にあった。
・プロコフィエフ/交響曲第1番「古典」
・ベートーヴェン/交響曲第5番「運命」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニカー
休憩を除くと、合計50分未満。CD1枚にもならない。内容は濃かったか?
晩年の指揮者を盛り上げた聴衆は偉かった。音楽の楽しみ方を知っている。でもその聴衆は氷のように限りなく冷たい存在でもある。演奏家が死ねばすぐに忘れる。やはり今生きている演奏家からしか生の音は出てこない、ということをよく知っている。