河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

ツイン・スカイスクレイパー

2006-09-10 19:00:00 | 音楽

この日は、静かな悪友S君と渋谷道玄坂中腹右まがる百軒店の奥の今は駐車場になっている郷土料理Bのカウンターでいつものとおりお酒を飲みながらクラシック音楽界の今後について談義をしていた。

まだ週初であるしここであまり盛り上がってしまうと週末に向けて調子を落としてしまうし、なにしろ仕事がはかどらなくなる。それに9月といえば、そろそろ芸術の秋、例年通り9月後半から海外演奏団体の来日ラッシュとなるわけだし体力温存ということでいつになく早めの21時頃切り上げた。

帰宅しテレビのスイッチをいれたらニュースステーションにかぶるようなかたちで速報の衝撃的な映像が映っていた。最初はなんのことかわからず、ワートレということは姿かたちでわかったのだが、CGのはめ込みフィクション番組でもやっているのだろうと感じた。しかしだんだん事態が飲み込めてくると今晩のお酒は冷めてきて目も醒めてきた。

そして呆然として放心しているさなかもう一つもやられた。唖然呆然から少し落ち着いてきて、あの高い階の壁に出来た飛行機の穴をどうやって修復工事するのか見ものだ。と変に冷静にクールになってきた。

しかし、その考えは打ち消された。ワートレは幾何学的に垂直にあまりにも見事というほか言いようがないような瓦解が始まったのだ。まるで瓦解の形まで計算しつくしたような設計、鳥かご設計があだとなり完膚なきまで6000度のプレスが全てをブラックホール的圧力の中に押し込めた。

ジップコード10048のワンワールドが先にやられ、ツーにもすぐに突っ込まれた。先に突っ込まれたワンワールドのほうが衝突階が90階よりも上のほうであり、ツーの80階前後よりも高かった為か、あとで崩壊した。ファーストイン・ラストクラッシュ。

このあと、マンハッタンは心象的にも夕暮感、ひなびた感が力なく漂うような気が今でもする。

静かな悪友S「あのお酒のあと大変なことになってたなぁ。」

河童「そうだね。いくら他国のこととはいえ、象徴的なものを失うというのは相手の意思があまりにも明確に感じられるし。それに崩壊の仕方が幾何学的すぎで作為的でさえある。」

S「お河童さんの事務所もあすこらあたりにあったのではないのかね。」

河童「そうだ。先に突っ込まれあとで崩壊した方の79階あたりだ。でも今は必衰のことわりどおり撤退していたから問題ない。というよりもそれ以前にカンパニー自体が盛者に食われ崩壊していたのだよ。時の流れ方が運命を変えたのかもしれない。」

S「そういうことか。でもそれなりの思い入れはあったわけだし、ショックではあっただろうね。」

河童「そうだね。ある部分、過去が消え去ったような感じかもしれない。マンハッタンのスカイラインはワートレが出来るときその景観に問題を呈した人もいたが、こうやって典型的なスカイスクレイパーがなくなってしまうと元に戻ったというよりも、落ち着きのないアンバランス感を感じる。最近はポスト・モダンの建築物に興味を抱くようになってしまった。みんなそれなりに心の平衡感覚をとりもどそうとしているのかもしれない。」

S「消し去れるもの、そうではないもの、いろいろとあるわけだね。」

河童「この写真は、その事務所から撮ったものらしい。ブルックリンブリッジもヘリにでも乗らない限りこの角度からは見れなくなってしまったわけだ。」

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イーストリバーを泳ぐ河童がブルックリンブリッジにたどり着いたところ。

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北方向を望む。左がハドソンリバー。雲のじゅうたんに乗る河童。

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おまけ。河童ハウスの47階から南方向の蒸し蒸し感。

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行方知れずのCD ゲルハルト作曲ペスト by カミュ

2006-09-09 23:29:55 | 音楽

6()に電車に置き忘れたCD8枚は戻ってこない。地下鉄各路線取集先に毎日電話をしているがそんな白袋は知らない、と言われるが先、電話口の最初の一言のトーンで、無かったことがわかる。諦めた。そのCDはクラシック・ファンの裾野を広げる為に差し上げましょう。そして買いなおす。でもゲルハルトのCDは同じのが店頭においてあるかな。無ければ河童ライブラリーから昔の音源を探し出してみるか。差し上げたCDを手にした人も何がなんだかわからないと思うので、せめてこの説明でも見ておいておくれ。

まず、この作曲家の発音表記がよくわからない。スペルはroberto gerhard。ヨーロッパ多国籍の親のもとスペイン生まれ。

ロベルト・ゲルハルト。

ロバート・ジェラード。(英語ではhなし。)

ロバート・ジェラール。

Wikiにはかなり詳細に彼のことが書かれているので、興味のある人はそちらをみて欲しい。ちなみにwikiにはロベルト・ジェラールとある。

曲のペストというのは、Plagueプレイグ=la peste 例の疫病のことである。

カミュ原作のペストを下敷きに1963年に作曲したカンタータ。但しリブレットは作曲者自身によるもの。彼自身シェーンベルクの信望者。この曲はシェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」とか、ノーノの曲などがそのイメージの前提にあるようだ。語り手、合唱、オーケストラで演奏される。とここまではWikiには書いてない。

河童はカミュのペストを読んだことが無いので曲をその意識で聴くことが出来ない。

さて、最後の手段として取り出した河童ライブラリーの音源はかなり古いがあることはあった。こちらはロベルトのスペルがさらに異なる。(理由はWikiを。)

スペルはRobert Gerhard。そして当時のNHKの表記がゲルハルト。カタカナ表記はだんだんどうでもよくなってきた。

ゲルハルト作曲ペスト

語り手:カール・ハインツ・ベーム

エリアフ・インバル指揮

フランクフルト放送交響楽団

北ドイツ放送合唱団

19751025,26

ヘッセン放送大ホール

(NHK-FM1976.7.5)

良くぞ残っていてくれた河童ライブラリー。オープンリール・テープ→カセット・テープ→DATとここまでコピーを重ねて残っていてくれた模様だ。このあとCDRに焼き付けて、そのあとは。。。。。河童は万年。これからもメディア変遷は続くであろう。

そっとDATデッキを動かして聴いてみる。30年以上前の音源であるが比較的良好なサウンドである。当時、ヘッセン放送協会の音源はNHKが多量に流していた。そのサウンドが非常にクリアということもあり、あたり、の放送であった。

最近は蜘蛛のようなアルテ・オーパーでのこれまたグーなサウンドで魅了されるものがあるが、このヘッセン放送のホールも響きにホール感の余裕が感じられ良好である。

音は良い。中身は?よくわからない。これが大体当時の12音階系のいわゆる現代音楽に対する一般的な感想。あらためて聴いてみると、語り手の声の音域が上中下の中あたりを占めていて、その上をいくヴァイオリンの非常に密度の濃いサウンド、そして下を行く中低弦の船酔いサウンドがこれまた良い響きをかもし出し、ときおりパーカッションが激しく刺激を与える。全体的に彩が豊かで約50分飽きさせないで、何か新鮮でクリーミーなローフィッシュでも食べたような不思議な食感。曲後の拍手にはかなりの戸惑いが感じられ、ドイツ北部なみのスローな反応、というよりも初めて聴く違和感かもしれない。日本のフライング聴衆もこの程度の遠慮があれば演奏会もばつの悪いものにはならないであろう。何故あすこまで競って拍手をフライングするのか、フライング人間の頭蓋骨をカチ割って脳みそに訊いてみたいものだ。

いずれにしろ、カミュの本を読んでからもう一度聴けばまた別の感興があるのかもしれない。機会があれば読んでみたいが厚い本らしい。

ところで、1990年前後にフランクフルト放送交響楽団を引き連れて日本に現れたポニーテールのインバルはミラクルであった。彼は単独でも来日していたが、やはり手兵のフランクフルトと上陸した際のマーラー演奏の輝きは素晴らしかった。やがて自分の時代がくると作曲家が言ったように、インバルもやがて自分の時代が来た、と感じたことであろう。少なくとも河童にはあのポニーの音楽の輝きに耳を奪われた。自分の時代が来る20年前、地道にというか現代音楽の掘り起こしというか、まだヘッセン放送協会には良質のサウンドの音源、そして下積み時代のインバルの軌跡が残っているはずだ。

こんな演奏もあったなぁ。

マーラー/大地の歌

エリアフ・インバル指揮

フランクフルト放送交響楽団

テノール、ロバート・テアー

ソプラノ、クリスタ・ルードヴィッヒ

1976226,27

ヘッセン放送大ホール

(NHK-FM 1976.9.24)

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紛失した河童、拾った人。CD8枚

2006-09-08 00:14:33 | 音楽

河童「大失敗をしてしまった。」

静かな悪友S「なんだ。また酔っ払って身ぐるみはがされたとか。」

河童「似て非なる。実は一昨日の6()、山野楽器で買ったCD8枚。うちに着いたらないのだよ。つまり山野の白袋をどっかに置いてきてしまったみたいだ。」

S「ははぁん。山野楽器のあと、どこぞの並木のクラブで撒き餌につられてしけこんだのだな。酩酊状態の河童の荷物なんかだれが拾うものか。」

河童「いやいや、最近は河童の皿が渇いてしまって、お酒を飲まなくてもめまいがするんだ。」

S「おやおや、仕事のせいとは言わせないぜ。」

河童「原因がいまひとつ不明で、ストレスではないかという医療診断もあるようだ。」

S「まぁ、いままでの悪行の数々のことを思えばそれぐらいのリバウンドがあってあたりまえかもしれないな。少しは反省してるのかね。」

河童「ざんげは済んだ。Time is gone.

S「人生リセットありだな。それでどこでどうなったんだ。」

河童「その日は、山野楽器を出たあと、地下鉄を3つ乗り継いで帰ったんだが、途中例のめまいがして眠りこけてしまい、どこまで山野の白袋をもっていたのか記憶が飛んでしまってるんだ。」

S「それで?」

河童「それで最寄の駅で事情を説明したのだが、地下鉄会社の紛失届け係りに電話をしろ、と電話番号の印刷してある紙切れをもらいその日は帰った。翌日朝その3路線に電話をかけまくったんだが、いずれからもそんなものはないと割と丁寧に無視された。」

S「ということはまだプロセスの途中ということだな。」

河童「そういうことだ。」

S「それでその河童の聴くCDっていうのはどんなものなんだい。」

河童「最近出たマルケヴィッチの20タイトルのうち、まだ買ってなかった4枚。それにデニス・ラッセル・デイヴィスの棒でブルックナーの2番と3番。それに、」

S「それに?」

河童「ロバート・ジェラードのプレイグ、と、ロベルト・ゲルハルトのペスト。」

S「ちょっとまて、その最後の2枚。同じものだろう。」

河童「そうだね。同曲異盤。NHK風に言うとゲルハルトのペスト。」

S「誰も知らない。みんな知らない。知ってなくても生きていける。」

河童「そうゆうこった。」

S「曲者デニスのブルックナーは怪しいな。」

河童「よもや彼がブルックナーを振るとは思わなかったが、最近は頭もすっかり禿げて高僧のような趣があるね。ブルックナー8番とか超面白演奏だし。今回の2番3番も帰ってすぐ聴こうと思ったのだが、夢は散る、めまいのごとく、そこはかと。」

S「また買えばいい。ところでマルケヴィッチのCDは聴きものだな。」

河童「そうなんだ。16枚そろえて、残り4枚というところでこの体たらくだ。」

S「そう言えばあのDVD見たか。右左の腕別々に4拍子と3拍子を同時に振ってたキモイ映像。」

河童「ああ、あれね。でも死ぬ間際の生演奏見たことあるから、それに比べたらリアルさではかなわないよ。」

S「ほほぉ、また出たな、ナマ話。」

河童「マルケヴィッチは1983年に死んだのだが、直前N響を振っちゃってるんだな。」

S「らしいな。」

河童「あの時は、たしか、ムソルグスキーの展覧会の絵、と、チャイコフスキーの悲愴、だったと記憶する。もうかなりきていて、手先がプルプル震えて危ない指揮だった。それでも鋭い目つきだけは忘れられん。彼は目でも指揮出来た。演奏の内容はまた思い出すとして、彼の目口とんがった鼻、なんとなく河童風な顔だよね。」

S「そういわれてみればそうだな。知る人ぞ知るいい指揮者だった。」

河童「ところで紛失物戻るかな。」

S「各路線会社から、無い、って言われたんだからもうアウトだろ。」

河童「いや、拾った人間の気が変わって駅に持ってくるかもしれない。だから23日は電話しようと思う。」

S「いくら分ぐらいだったのかね。」

河童「8枚で1万円ちょいだね。」

S「その拾った人間にあげればいいじゃないか。クラシック普及に貢献できたら1万円ぐらい惜しくないだろ。それこそ並木あたりでその何倍も落とし続けてきたんだろ。過去に。

それを思えば音楽の普及なんて安いもんだぜ。」

河童「論理が飛んでるような気もするが、実感がある分、なんとなく説得力あるね。」

S「でもなぁ、ゲルハルトのペストなんて誰が聴くんだろう。拾った方も迷惑かもしれない。ヤフオクでも売れない。どこのジャンルに出しいいかもわからないかもしれない。」

河童「それは余計な心配だよ。とにかくもうすこし探すぜ。見つからなければ最後の手段がある。」

。。

。。

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ズービン・メータのテニスひじ -3-

2006-09-06 00:01:00 | 音楽

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シーズンが終わりきっていない中、ニューヨーク・タイムズにはメータのキャンセルに伴う代替指揮者の評や、もともと予定されていたほかの指揮者のキャンセルも含めいろいろと下世話な話が続く。

198457()ニューヨーク・タイムズ

Philharmonic Copes with Mehta’s Elbow but Pays a Price

フィルハーモニックはメータのひじへの対処を実行。しかし付けは払う。

By BERNARD HOLLAND

バーナード・ホランド

アンドリュー・デイヴィスとロバート・ショウは、休暇の最中であった。ヴァツラフ・ノイマンはチェコ・フィルとともにアメリカ・ツアー中であった。ウエールズ国立オペラで2ヶ月のオペラ公演を計画していたマイケル・ティルソン・トーマスは監督とともにそれを放り投げ、自分のスケジュールの予期せぬギャップを見つけることとなった。ニューヨーク・フィルハーモニックは今春、たくさんの指揮者を発見したし、指揮者はいないものだということもわかったが、これらの指揮者や他の人たちはフィルハーモニックを助ける為に駆けずりまわった。

フィルハーモニックの3月後半の危機はメータの痛むひじのせいであった。329日に指揮をしなければなならないので、その二日前にリハーサルを始めるためにフィルハーモニックの音楽監督は320日イスラエルから電話してきた。予定されている公演を危惧するに足る痛さであった。メータが翌月曜日に到着するまで確定的なことは何も言えない。最初の衝撃が駆け抜け、フィルハーモニックの管理監督であるアルバート・K・ウエブスターと音楽運営のフランク・ミルバーンは電話をかけ始めた。

音楽家の仕事のスケジュールはしばしば4,5年先までいっぱいである。従って、運と少しばかりの禁欲が必要である。どこのリストも多くのビックネイムは空いていないという認識で満たされていた。音楽家のマネージャーたちには相談があった。誰がそこにいなくて、誰がやる気があって、誰が可能なのか。

「すごくはやく。

私たちは世界中のどの有名な指揮者がどこにいるのか把握できる専門家になった。」ウエブスターは言い放った。

オーケストラにとっては既に悲惨なシーズンであった。手首を骨折したラファエル・クーベリックは当月前半の2週間におよぶフィルハーモニック・コンサートから退いていた。アンドレ・プレヴィンはつま先の怪我のため12月の契約をキャンセルしていた。1983-1984年シーズンはオーケストラ35週の定期公演のうち11週は代替指揮者の公演になってしまった。ウエブスターが言うには、「普通、キャンセルにともなうノルマは1年に4週間ぐらいだ。」

メータのひじの問題は新しいものではない。ミルバーンはベルリンにおける9年前のトリスタンとイゾルデを思い出した。同様なひじの不快感からの回復の為、第3幕前の休憩が長くとられたのだ。

「これは大きな問題になるとここ一年半ほどの間に認識しました。」とウエブスターは言った。「コーチゾン注射は効かなかった。6ヶ月の不在(6週間の誤り?Kappa)は計画通りだったかもしれないが、彼のようなキャリアをもった人間は休みを取りたがらない。外科手術は最後のリゾートであった。」

Laid Up for Two Weeks

327日、メータは極めて深刻なひじの慢性的な腫れ、外側上果炎、の手術を行い成功した。ある意味、この損傷はテニスひじと同様なものであったが、もっと重いものであった。それは指揮のときの精力的で激しい腕と手の動きの結果であった。

メータは一週間入院したし、もう一週間はニューヨークで家にとじこもっていた。のちにメータは、オーディションを行う場所そして先のプログラミングをとりおこなうニューヨークと、自宅のあるロス・アンジェルスの時間を切り分けていた。

指揮者たちはしばしば長生きする。彼らはテクニックが衰弱しばらばらになることを心配することなく(ピアニストやヴァイオリニストはめったに楽しむことは出来ない)、老年においても行動的で興味深いものを保持することが出来る。指揮者の行動的なアッパーボディー動作は循環系統を強くし寿命を延ばすと誰でも思うだろう。

その一方で指揮者たちは整骨上の問題を引き起こしやすい。プレヴィン、トーマス・シッパース、小沢征爾、その他多くの指揮者たちが背中、ひじ、腕に問題を抱えている。フィルハーモニックは今春、良い状況を得たと言える。危機により良い側面を経験した。つまりフィルハーモニックと聴衆はあまりなじみの無い指揮者を見る機会を得た。実際のところ、ギュンター・ヘルビッヒとヴァツラフ・ノイマンにとってこれらの演奏会はフィルハーモニック・デビューになっている。

それでも、当初予定されていた多くのプログラミングは失われてしまった。メータの在任期間中いろいろと不満はあるが、多くの評論家から彼は関心を引く演奏を行うということで同意されている。

The Program Changes

プログラミングの多くはなくなってしまった。クーベリックのキャンセルで、スメタナのわが祖国、他にマルティヌーやノヴァークの曲を削除することにより喪失感が始まった。三つの新作、ブーレーズのノーテイションⅠ、エリオット・カーターの三つのオーケストラの為の交響曲、ギュンター・シュラーのConcerto Quarternio、が抜け落ちなければならなかった。うわさによると、代替指揮者の一人がブーレーズの曲を志願したが、数日後当惑してもとの楽譜に戻った。

「これらは難しい曲なのだ。」ウエブスターが言った。「とにもかくにも、客演指揮者がニューヨークに持ってくるようなたぐいの曲ではないのだよ。彼らはここニューヨークでベストをつくし自分たちを目立たせ大きな契約が欲しいのさ。」

予定されていたドイツ・レクイエムはロバート・ショウにより危機から救われた。しかし、ブーレーズとハイドンの曲に代わって演奏されたノイマンによるフランクの交響曲は退屈で面白みがない置き換えと評されたようだ。同様にドヴォルザークの交響曲第7番は繰り返し演奏されて陳腐になったチャイコフスキーの第5番にとって代わられた。クーベリックによるわが祖国の演奏は、セミヨン・ビシュコフによるベートーヴェン、リスト、ラフマニノフに代わってしまった。

質問されたフィルハーモニックの奏者たちは指揮者の変更ですこし影響を受けたように見えた。「私たちはたくさんの客演指揮者たちと、今春もほぼ普段どおりの演奏を行うことができるのさ。」一人の奏者が言っている。「私たちは自分たちの前にあるものを毎週毎週揺さぶり続けるのさ。彼らが連れてきた誰でもみんな有能なんだから。彼らはスターではなかったけれども、私たちが嫌いな多くのスターではなかった。」

Need for One Conductor

しかしながら、首尾一貫したコントロールのなかで一つのパーソナリティーが相違を作るという感覚がオーケストラのなかにある。一つのコメントとして「それが私たちが好きなものなのかどうか、広く受け入れられているアプローチを我々は必要としている。」

ある奏者は、注意深く細部を構築し効果的なリハーサルを行ったロバート・ショウは印象深かったと言った。メータの離脱の結果として代わりに指揮することにおいて、それは衰退することはないという警告だとフィルハーモニックは言っている。それは、定期公演のチケットホルダーの間で予約していながら来なかった人たちをチェックすることではない。

演奏されなかった重要なアイテムはこの先、本来スケジュールされていた指揮者のもと演奏されるということをフィルハーモニックは強調した。つまり2シーズンにわたるクーベリックによるスメタナ、数年以内のメータによるカーター、ブーレーズ、シュラー。

メータは6月にロンドンのコヴェント・ガーデンでアイーダの新演出を予定している。今月からリハーサルを行う予定だ。最初のリハーサルは他の指揮者が行う予定だが、メータがそんなに早く再び指揮をすることが出来るのかどうか、いまだ疑いの目で見られている。フィルハーモニックは再び負傷することを懸念している。しかし、ウエブスターは言っている。「我々は何をすべきかズービンに言う立場に無い。」

メータは’84ホライゾン現代音楽コンサートにおいて67日にエイヴリー・フィッシャー・ホールで指揮をする予定だ。そして8月にはアウトドア・セントラル・パーク・エクストラヴァガンザで指揮をする予定だ。

ニューヨーク・フィルハーモニックは、彼の準備が出来ているのか確信があるのか?ウエブスターは「我々は確信しなければならない。」と言っている。

おわり

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ズービン・メータのテニスひじ -2-

2006-09-05 00:04:08 | 音楽

メータに代わって棒をとった一番バッターはマイケル・ティルソン・トーマスである。彼はその初日1984329()、フィルハーモニックから謝辞を受けている。当然だ。何故って。彼もオペラを棒に振った。

3/29,30,31,4/3 MTT

バーンスタイン/ディヴェルティメント

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4

(pf)アレクシス・ワイセンベルク

チャイコフスキー/交響曲第5

(本来はドヴォルザークの交響曲第7)

このあと、ヤング・ピープル・コンサートを挟んで次のようにどんどん進んでいく。棒が代わってもひたすら前進し続けなければならない。

3/31,4/4 ラリー・ニューランド

ヤング・ピープル・コンサート

4/5,6,7,10 ヴァツラフ・ノイマン

チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1

(pf)ブリジッテ・エンゲラー

フランク/交響曲

4/12,13,14,17 アンドリュー・デイヴィス

ハイドン/交響曲第44

ブロッホ/シェロモ

(vc)ローン・マンロウ

ショスタコーヴィッチ/交響曲第5

4/19,20,21,24 ロバート・ショウ

ブラームス/ドイツ・レクイエム

4/26,27,28,5/1デイヴィット・ジンマン

ブラームス/ヴァイオリン協奏曲

(vn)アイザック・スターン

(vn)グレン・ディクテロウ(5/1)

5/3,4,5,5/8 ギュンター・ヘルビッヒ

ブリテン/セレナーデ

(T)ペーター・シュライヤー、

(hrn)フィリップ・マイヤーズ

ブルックナー/交響曲第9

そしてここからは当シーズン最後までエーリッヒ・ラインスドルフが棒をとった。やはり彼の存在感は普通ではない。

5/10,11,12,5/15

ショスタコーヴィッチ/チェロ協奏曲第1

(vc)ヨー-ヨー・マ

ブルックナー/交響曲第1

5/17,18,19,22

モーツァルト/交響曲第35

ルーセル/交響曲第3

ラヴェル/左手の為の協奏曲

(pf)レオン・フライシャー

ラヴェル/ラ・ヴァルス

5/24,25,26

マーラー 交響曲第3

(ms)フローレンス・クイヴァー

(ポストホルン)フィリップ・スミス

これで1983-1984シーズンは終了したが、このあと5/31からすぐにホライゾン‘84ニュー・ロマンティシズムのイヴェントが始まる。

これは10回シリーズで、ニューヨーク・フィルの公演が5回。メータはこのシリーズのうち第9回目に復帰した。

ホライゾン‘84プログラムⅨ

6/7 ズービン・メータ指揮

オリヴィエ・クナッセン/Where The Wild Things Are

ホライゾン・コンサートについては別記します。

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ズービン・メータのテニスひじ -1-

2006-09-04 00:01:00 | 音楽

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指揮者たちの上半身の患いは他人が思うほど楽ではないものらしい。首、背中、ひじ、腕など、とにかく動かすところは運動選手なみに擦り切れているのだろう。晩年のフリッツ・ライナーのような指揮だと決して磨耗するということはないだろうが。

ズービン・メータは1983-84シーズンの最後6週間を手術で指揮をまさに棒に振った。その代わりいろいろな指揮者を見ることが出来たわけであるが、オリジナルのプログラムが代わってしまった定期もあるわけであり、一概に良かったとは言えない。

ニューヨーク・タイムズはメータの手術の翌日、そのレポートを載せた。

1984328()ニューヨーク・タイムズ

Zubin Mehta Out for Season

ズービン・メータ、シーズンを離脱

By JOHN ROCKWELL

ジョン・ロックウエル

ズービン・メータは昨日の朝、右ひじ筋肉の重度の慢性的な腫れを治すために手術を行った。今シーズンのニューヨーク・フィルとの定期は終わりまでの6週間を指揮することが出来なくなるだろう。

ズービン・メータの症状は外側上果炎、いわゆるテニスひじと呼ばれている極めて深刻なものである。痛みが激しかったりそうでなかったりして、運動選手と同じようにしばしば指揮者を苦しめる症候群である。メータはここ2年間、外科手術はしたことがなかったが痛みが激しくなり、最近になって手術することを決めた。マンハッタンの外科専門の病院で手術を担当したレオン・ルート博士はメータの手術を、完全な成功、であると言った。

メータの右腕には少なくとも3週間、副木(そえぎ)があてがわれる。メータは回復までニューヨークにとどまり、フィルハーモニックの運営行事に出席する。しかし、415日のアジア協会主催のオーケストラ室内楽シリーズを指揮することは出来ないであろう。オーケストラとしては、67日からのホライゾン‘84現代音楽祭に復帰できることを希望している。

Four Conductors Selected

代わって選ばれた4人の指揮者

1977年来フィルハーモニックに登場していないマイケル・ティルソン・トーマスが今晩と明日、そして火曜日にエイヴリー・フィッシャー・ホールで指揮することになっている。プログラムは、バースタインのオーケストラの為のディヴェルティメントと、アレクシス・ワイセンベルクのピアノによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、チャイコフスキーの交響曲第5番である。

45,6,7,10日の指揮者はチェコ・フィルのヴァツラフ・ノイマンでフィルハーモニックのデビューとなる。ノイマンのプログラムには、ブリジッテ・エンゲラーのピアノによるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が変更無くはいっている。

アンドリュー・デイヴィスは412,13,14,17日に指揮する。ローン・マンローのチェロによるブロッホのシェロモも演奏される。翌2週間分の指揮者はまだ決まっていない。

419,20,22,24日のプログラムはブラームスのドイツ・レクイエムのままである。ソリストはレオナ・ミッチェル(424日のみマルヴィス・マーティン)、トーマス・アレン。合唱はウエストミンスター合唱団である。426,27,28日、51日のプログラムには、ブラームスのヴァイオリン協奏曲がはいっている。3日間はアイザック・スターンのヴァイオリン、最終日はグレン・ディクテローである。

最後の週はデトロイト交響楽団の音楽監督に内定しているギュンター・ヘルビッヒが、フィルハーモニック・デビューとなる指揮をする予定である。プログラムには、ブリテンのテノール、ホルンのためのセレナーデがはいっている。ソリストはペーター・シュライヤーとフィリップ・マイヤーズの予定。

331日と44日のヤング・ピープル・コンサートはアシスタント・コンダクターのラリー・ニューランドが指揮をする。今春予定されていた二つの現代音楽、エリオット・カーターの3つのオーケストラの為の交響曲と、ギュンター・シュラーのConcerto Quaternioは翌シーズンに持ち越しとなった。

おわり

こんな感じで代替も豪華だと思えるのだが、予定通りでないこと自体がニューヨーカーにとっては不満なのであろう。ニューヨーカーを通り越して他のイヴェントに乗り換えたのなら怒りもわかるが、今回は指揮者のアクシデントであるため、お忍びで他のオーケストラを指揮する、といったことではなく、とにかく修復計画を早期に立てるのが最優先されたわけだ。

それでは、代替指揮者はどんな曲を振ったのか?またこの時点で決まっていない指揮者は一体誰になったのか?さらに、その評はどうだったのか?

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究極の双子技

2006-09-01 00:01:00 | 音楽

「koto.wma」をダウンロード

(無菌ファイル)

古都の女  ザ・ピーナッツ

このあまり知られていない曲のメロディーラインの美しさは「大阪の女」と双璧だろう。

ただ、中間部のハモりがカラオケ的でないということと、提示部の美しいメロディーラインに負けてしまっているところが惜しい。

全体としては、フレーズの終り毎に現れるヴィブラートさえも二人で補完しあっているという究極の双子技を聴くことが出来る。

別れた人を 夢にみて

おわれるように 旅に出た

弱い女心のふるさとは

古都のたそがれ 涙の小道

斑鳩あたりに 通り雨 ああ通り雨

人恋しさに 化粧して

一人たたずむ 法隆寺

弱い女の過去を せめないで

やさしく私 見つめて欲しい

桃山あたりに 春の雨 ああ春の雨

甘い香りの 香水が

女の胸を しめつける

人目さけて たたずむ坂道に

花は散る散る 未練を秘めて

一人旅立つ 朝の雨 ああ朝の雨

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