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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

Чокан Валиханов 『Избранные произведения』

2011年02月15日 | 人文科学
 前項の続き。
 チョカン・ヴァリハーノフ(1835年-1865年)の選集1巻本。近くの大学図書館にこれが所蔵されていることは知っていた。館内閲覧なので、大急ぎで内容を点検。前半は私が英訳でもっている東トルキスタン紀行の一部を含む、東西トルキスタンの紀行文である(注)。
 本書の後半は、その東西トルキスタン(主としてカザフ・キルギス)の民俗・文化・歴史に関する論考集。残念ながら選集であるがゆえに私の求めていた彼の曾祖父アブライ・ハーンと清の乾隆帝の書信のエピソードについて書かれた文章は含まれていなかった。
 ただ、カザフ人・キルギス人の伝統を論じた文章(‘Следы шаманизма у киргизов’, 本書298-318頁)のなかで、彼らに多大の影響を及ぼしたジューンガル帝国の興亡とからめて東トルキスタンのカルムイク人について触れているところがあり、そこで1771年のカルムイク人の東遷の際、彼らをヴォルガ流域からカザフのウリタウ山脈まで彼らを追尾あるいは監視するべく動員されたロシア軍の一隊を率いていたニコライ・ルィチコフ(Николай Петрович Рычков)というロシア軍人が、作戦期間を通じて日誌をつけていたことがわかった。名を『Дневные записки путешествия в Киргиз-Кайсацкую степь в 1771 г.』(СПб. 1772年出版)という。これだけでも大収穫である。

 注。この紀行文の部分で、ヴァリハーノフはほぼ一貫して“トルキスタン(Туркестан)”の名称を用いている。例えば “Восточный Туркестан(東トルキスタン)”というふうに。当時(19世紀中頃)東トルキスタンを意味したもうひとつの言葉“小ブハーラ”は、彼はあまり使っていない。或いは、“小ブハーラ”という呼称は、その名が示すとおりブハーラ(ウズベク)およびそれに隣接するアルトゥシャフル(カシュガル)だけでもっぱら使われる地域的な呼称であったのかも知れない。ヴァリハーノフはカザフ人である。もっとも私のもっている英訳(内容としては完全版)では、もうすこし“小ブハーラ”を使っていたような気もするが・・・・・・。正否を確かめていないまま、とりあえずの疑問として記しておく。

(Москва : "Наука" , 1986)