書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

竺沙雅章監修 間野英二編 『アジアの歴史と文化』 8 「中央アジア史」から ④

2009年12月03日 | 抜き書き
 元来タリム盆地のオアシス定住民は,固有の民族名称を持たず,異教徒に対してはムスリム,異邦人に対してはイェルリク(土地の者)と称するのみであった。事柄は東トルキスタンに固有の現象ではなく,西トルキスタンの定住地帯においても同様であった。しかし,ソ連で「民族的境界区分」のために民族とその自治領土の確定がいわば人工的に強行されると,ソ連に在住していた東トルキスタン出身者(その多くは1881年にイリ渓谷から移住した人々およびその子孫)は,トルコ学者セルゲイ・マローフの提案に基づいて、古代のウイグルという名称を復活させて,自らこれを名乗ることを決定した。1921年アルマアタでの出来事である。以後この名称は,新疆でも次第に知られるようになり,1935年には公式に採用され,その際に維吾爾という漢字表記も決定された。新たな民族名称は,タリム盆地の人々の民族意識が結晶する核となった。 (濱田正美「Ⅲ 現代の中央アジア 1 中央アジアと中華民国および人民共和国」 本書201頁。太字は引用者)

 *“1881年にイリ渓谷から移住した人々”とはつまりタランチのことであろう。
 *学究であったマローフがどうしてこんな畑違いの政治的な言動に出たのか、不明。

(同朋舎 1999年4月)