原書名 Николай Петрович Рычков 『Дневные записки путешествия в Киргиз-Кайсацкую степь в 1771 г.』(СПб. 1772)
〈http://kz.ethnology.ru/kz_lib/rchkv01/graf/rchkv01_annot.htm〉
2011年02月15日「Чокан Валиханов 『Избранные произведения』」より続き。
懸案となっていたニコライ・ルィチコフ大尉の日誌。
だが読んでみて分かったのは、日誌そのものではなくどうやらそれを書き直したものであることだ。これは考えてみれば当たり前で、もとの日誌は軍事機密であるから、そのまま公表できるはずはない。一般向けに書き直した跡が随所に見られる。“次の日に(на другой день)”などという、漠然とした市井的な表現を、軍人が作戦日誌で使うわけがない。文体としては、スタインやヘディンのシルクロード探検記を想像してもらえれば近い。ただし彼は軍人であって、その報告は軍人らしく客観的な事実の記録に徹していて主観的な臆測や価値判断がまったくないことは素晴らしい反面、べつに中央アジアについての専門的な知識もないためであろう、きわめて表面的な見方となっている。軍事日誌なら見て聞いたことをそのまま、正確に記録すればそれでよいが、一般向けあるいは研究者向けとしてはそれでは十分ではないだろう。
彼は、カルムィク人についても、アジア系の遊牧民というほか、なんの知識も持っていなかったらしい。任務の対象であるにもかかわらず、この著作中、名前以外ほとんど言及されるところがない。かえって密に接触のあったキルギス人(カザフ人)についての記述のほうが多いくらいである。この点、1世紀ちかく後になるがおなじく忠良なロシア帝国軍人であったチョカン・ヴァリハーノフ(カザフ人)の探査報告が、これもおなじく主観を厳しく排しながらも、親しく見聞する事物・事象に対して、その背景となる知識に裏打ちされた深い観察と洞察を示すのとは、著しくありかたを異にする。
〈http://kz.ethnology.ru/kz_lib/rchkv01/graf/rchkv01_annot.htm〉
2011年02月15日「Чокан Валиханов 『Избранные произведения』」より続き。
懸案となっていたニコライ・ルィチコフ大尉の日誌。
だが読んでみて分かったのは、日誌そのものではなくどうやらそれを書き直したものであることだ。これは考えてみれば当たり前で、もとの日誌は軍事機密であるから、そのまま公表できるはずはない。一般向けに書き直した跡が随所に見られる。“次の日に(на другой день)”などという、漠然とした市井的な表現を、軍人が作戦日誌で使うわけがない。文体としては、スタインやヘディンのシルクロード探検記を想像してもらえれば近い。ただし彼は軍人であって、その報告は軍人らしく客観的な事実の記録に徹していて主観的な臆測や価値判断がまったくないことは素晴らしい反面、べつに中央アジアについての専門的な知識もないためであろう、きわめて表面的な見方となっている。軍事日誌なら見て聞いたことをそのまま、正確に記録すればそれでよいが、一般向けあるいは研究者向けとしてはそれでは十分ではないだろう。
彼は、カルムィク人についても、アジア系の遊牧民というほか、なんの知識も持っていなかったらしい。任務の対象であるにもかかわらず、この著作中、名前以外ほとんど言及されるところがない。かえって密に接触のあったキルギス人(カザフ人)についての記述のほうが多いくらいである。この点、1世紀ちかく後になるがおなじく忠良なロシア帝国軍人であったチョカン・ヴァリハーノフ(カザフ人)の探査報告が、これもおなじく主観を厳しく排しながらも、親しく見聞する事物・事象に対して、その背景となる知識に裏打ちされた深い観察と洞察を示すのとは、著しくありかたを異にする。