沖縄ブームの火付け役の一端を担った両者が、その終息ともいわれるこんにちの時期に際して、「落とし前をつけ」るため、“癒しの島”でも“楽園”でもない、“問題の山積した南の島”、ただ“「ゆるさ」というエネルギー”だけは確かにある、沖縄県の現状ひいては現実――沖縄ブームの結果、物的にも心的にも本土の人間に荒らされたという面も含めて――を、本土人に伝えるべく書いたとのこと。おそらくは懺悔の念を籠めて。
文中、その山積する“問題”についてはもちろんのことだが、おそらくはブームのさなかなら決して取り上げることができなかったであろう沖縄本島人による伝統的な先島人(宮古・八重山諸島の住民)差別についても、隠すことなく書いている。たとえば先島では明治36年まで、沖縄本島でも施行されなかった人頭税が行われていたことなど(事実自体は司馬遼太郎氏がすでに『街道をゆく』で指摘しているが)。そして宮古・八重山の人たちが、自分たちを決して沖縄人(ウチナーンチュ)と呼ばないこと(先島差別については司馬さんも触れていない)。ちなみに著者のひとり仲村氏は本土生まれとはいえ沖縄人である(現在は沖縄在住)。えらいものだと思った。
(講談社 2011年2月)
文中、その山積する“問題”についてはもちろんのことだが、おそらくはブームのさなかなら決して取り上げることができなかったであろう沖縄本島人による伝統的な先島人(宮古・八重山諸島の住民)差別についても、隠すことなく書いている。たとえば先島では明治36年まで、沖縄本島でも施行されなかった人頭税が行われていたことなど(事実自体は司馬遼太郎氏がすでに『街道をゆく』で指摘しているが)。そして宮古・八重山の人たちが、自分たちを決して沖縄人(ウチナーンチュ)と呼ばないこと(先島差別については司馬さんも触れていない)。ちなみに著者のひとり仲村氏は本土生まれとはいえ沖縄人である(現在は沖縄在住)。えらいものだと思った。
(講談社 2011年2月)