恐山の地蔵殿、その裏手の山の奥に、不動明王がお祀りしてあります。不動明王はもともと密教のご本尊・大日如来の化身と言われ、如来の命を受けて怒りの相を示し、人間の煩悩を焼き、一切の仏敵・魔軍を滅ぼし、仏法を擁護する守護神とされます。
恐山では、右の写真のような、いささか勾配のある坂道を登った奥に位置しており、境内から直接その姿を見ることはできません。 この不動明王像は、一見したところ、そう古いものには見えないのですが、最近のものとも言えず、いつごろからこの場所にあるのか、はっきりとしません。
ところで、霊場である恐山には、独自の仏教教義があるわけでもなく、あらゆる宗派や民間信仰を受容して今日に至っていますが、この不動明王像のある場所には、一つの立て札があり、ここに面白い説を書いています。教義というほどのものではないのですが、経典の説なども引きながら、この不動明王と地蔵殿の本尊地蔵菩薩、そして釜臥山の釜臥山大明神の本体・釈迦如来とは一直線上に並び、このことは三者が一体であることを意味すると言うのです。
これは恐山独自の解釈で、いつごろから説かれているのか、やはりわかりません。ただ、阿弥陀仏や薬師仏をはじめ、諸仏菩薩や諸神が信仰されるているにもかかわらず、不動明王だけが特にとりあげられて、本尊の地蔵菩薩や仏教の教主・釈迦牟尼仏と一体だとされていることを考えると、やはり、密教系の修験者の影響が大きいのかもしれません。
文字の記録として資料が残る以前、どのような教義があったのか無かったのか、もはや知りようもありませんが、興味が尽きず、往時が偲ばれてならないところです。