恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

らしくなれない。

2018年04月20日 | 日記
「あなた、今年還暦でしょ」

「そうだよ」

「だったら、もう『老師』って言われるでしょ」

「うん。40代で呼ばれた時は、『オレが老人に見えるか』って若い坊さんに文句言ったが、最近はあきらめてる」

「だったら、もう少し、らしくしなさいよ」

「老師っぽく?」

「そう。もうちょっと話し方を穏やかにするとか、立ち居振る舞いに威厳があるようにとか」

「確かにさア、アナタ変わりませんねえ、いつまでも昔と同じで若いですねってのは、もう誉め言葉と思っちゃまずいよな。苦労が身に染みない軽薄男みたいで」

「でしょう?」

「でもさあ、ぼく、昔から『らしく』がダメなの。いつもソレ、言われてたの。子供のときに『子供らしくない』、学生の時に『学生らしくない』、就職したら『社会人らしくない』。ついに坊さんになったら、また『坊さんらしくない』ってさ」

「まさにはみ出し者だな」

「そう。で、そのうち気がついた。『らしく』はことごとく思い込みで、その思い込みがある程度の人数に共有されると、一種の価値判断になって、時には人を圧迫するんだって。お前は規格外というわけ」

「まあ、そうだな」

「かくのごとく苦労してきていま、私が思う最大の『らしさ』問題は『自分らしく』だな。『自分らしく生きる』とか」

「どうして」

「自分は他人に由来する。『自分らしさ』は他人から作られる。だから『自分らしく』しようとすると、その実、他人の視線に支配されるようになる。つまりジレンマだ。『らしさ』を欲望して苦しむことになりかねない」

「そうかなあ。他人は関係ないんじゃ」

「違う。『自分らしく』は、他人にそう認められて初めて『らしく』なる。無人島でたった一人生きる人間に『自分らしく』は存在せず、無意味だ」

「じゃ、君はどうなの?」

「他人から言われようを見れば一目瞭然だろ。『らしくない』のがぼく『らしさ』さ」

「いちいち面倒なヤツだな」