それなりの年月を経るうちに、若い人達を指導したり育成するような立場に何度か立ってみて、よく思うことは、人にはタイプが二つあるということです。
タイプの一つは、放し飼いが似合うタイプです。指導者は守るべき大きな枠だけ示して、あとは本人の好きなようにやらせると、彼はそれこそ実力以上に頑張るわけです。
もう一つは、リードをつけておくほうが伸びるタイプです。指導者は本人を身近に置き、本人は指導者の側近となり、上司が行動するのに支障がないよう配慮したり補佐しつつ、自分なりに経験を積み、多くを学んで実力をつけ、やがて大成していくタイプです。
私は完全に前者の「放し飼い」タイプです。「任せるからお前の好きなようにやれ」と言われると非常に張り切り、任せてくれた人に恥をかかせてはいけないと、妙な忠誠心まで持つようになります。
ただ、私の経験から、「任せるから好きなようにやれ」と言って、文字通り実行する指導者は非常に稀です。「任せる」とは、任せた相手の仕事の出来に自分が責任を持つということです。
ところが、任せると言った指導者は往々にして、その責任を回避します。あるいは、責任をとることが嫌なのか、仕事の途中で「好きなように」させてくれず、つまらない介入をしてくるのです。結局、「任せる」には度量が必要だということです。
「リード」型の場合は、上司の指示責任は誰の目にも明らかで、多くは部下も一蓮托生ですから、この「責任」問題はそれほど顕在化しません。
これまで生きてきて、「放し飼い」型の私に、「君に任せるから好きなようにやれ」と言って、本当にその通り私に任せた人物は3人しかいません。父親と師匠と修行道場時代の上司です。
父親は、私が出家すると言い出したとき、泣いて反対する母親を、「男一匹決めたことだ。柱に縛ってもおけんだろ」と説得してくれました。
師匠は、道場で「好きなように」やっていた私を心配した人が、「いいかげん自粛させろ」と忠告してきたときに、「あいつにはあいつのやり方がある。黙ってやらせてやるのがオレの役目だ」と言ってくれたそうです。
上司は、出会ったその日に開口一番、言いました。「直哉さん。私はこの道場のことをよく知りません。ですから、内部で行う仕事はすべて君に任せます。ただ、君の決定で行ったことは後日報告してください。私が責任をとるためです」
何年か後、「どっちが上司かわかりませんな」と傍から言われると、「いいんだよ、お互い楽なんだから」と笑っていたそうです。
上司は一昨日亡くなりました。これで私の「恩人」は3人とも、二度と会えない人となりました。私のように愚かな者は、もはや報いることができなくなって初めて、受けた恩の大きさをつくづく実感するのでしょう。
タイプの一つは、放し飼いが似合うタイプです。指導者は守るべき大きな枠だけ示して、あとは本人の好きなようにやらせると、彼はそれこそ実力以上に頑張るわけです。
もう一つは、リードをつけておくほうが伸びるタイプです。指導者は本人を身近に置き、本人は指導者の側近となり、上司が行動するのに支障がないよう配慮したり補佐しつつ、自分なりに経験を積み、多くを学んで実力をつけ、やがて大成していくタイプです。
私は完全に前者の「放し飼い」タイプです。「任せるからお前の好きなようにやれ」と言われると非常に張り切り、任せてくれた人に恥をかかせてはいけないと、妙な忠誠心まで持つようになります。
ただ、私の経験から、「任せるから好きなようにやれ」と言って、文字通り実行する指導者は非常に稀です。「任せる」とは、任せた相手の仕事の出来に自分が責任を持つということです。
ところが、任せると言った指導者は往々にして、その責任を回避します。あるいは、責任をとることが嫌なのか、仕事の途中で「好きなように」させてくれず、つまらない介入をしてくるのです。結局、「任せる」には度量が必要だということです。
「リード」型の場合は、上司の指示責任は誰の目にも明らかで、多くは部下も一蓮托生ですから、この「責任」問題はそれほど顕在化しません。
これまで生きてきて、「放し飼い」型の私に、「君に任せるから好きなようにやれ」と言って、本当にその通り私に任せた人物は3人しかいません。父親と師匠と修行道場時代の上司です。
父親は、私が出家すると言い出したとき、泣いて反対する母親を、「男一匹決めたことだ。柱に縛ってもおけんだろ」と説得してくれました。
師匠は、道場で「好きなように」やっていた私を心配した人が、「いいかげん自粛させろ」と忠告してきたときに、「あいつにはあいつのやり方がある。黙ってやらせてやるのがオレの役目だ」と言ってくれたそうです。
上司は、出会ったその日に開口一番、言いました。「直哉さん。私はこの道場のことをよく知りません。ですから、内部で行う仕事はすべて君に任せます。ただ、君の決定で行ったことは後日報告してください。私が責任をとるためです」
何年か後、「どっちが上司かわかりませんな」と傍から言われると、「いいんだよ、お互い楽なんだから」と笑っていたそうです。
上司は一昨日亡くなりました。これで私の「恩人」は3人とも、二度と会えない人となりました。私のように愚かな者は、もはや報いることができなくなって初めて、受けた恩の大きさをつくづく実感するのでしょう。