恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

ある永訣、またはニルヴァーナ断想

2016年07月20日 | 日記
ニルヴァーナは安楽ではない。ニルヴァーナは消滅ではない。ニルヴァーナは拒絶である。

ニルヴァーナは意味を、自己を拒絶する。つまり、「私の」ニルヴァーナは、「私への」拒絶の甘受である。

ニルヴァーナは、修行の必然の結果ではない。修行の途上の偶然である。

ニルヴァーナのための「正しい」方法などない。偶然は偶然であり、必然にならない。

誰もが誰をも理解せず、すべてがすべてと一致せず、何もかもが一時に破断する。救済なき終極としてのニルヴァーナ。

ならば、「私」とは、ニルヴァーナへの異議である。まったく無意味な、しかし、ニルヴァーナがニルヴァーナであるための異議である。