恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

自由と尊厳

2015年01月20日 | 日記
 最近思うところを、少々。

一、「表現の自由」を無条件・無制限に主張する根拠も、「宗教の尊厳」を絶対的に肯定する理由も、およそあり得ない。「自由」なんだから何を言ってもよいとか、「尊厳」を守るためには人を殺してもよいなどという幼稚なアイデアは、せいぜい思春期のうちに「卒業」すべきである。

一、「自由」は大切な道具である。とても大切だから、手入れを怠らず丁寧に扱わなければならない。が、所詮「道具」であれる以上、その正当性は使用目的と使用結果によって判断されるほかはない。

一、「尊厳」は大切な目標である。とても大切だから、それを守るべき手段が自ら「尊厳」を毀損しないよう、慎重に選択されなければならない。

一、宗教的であろうが政治的であろうが、イデオロギー(人間の実存を規定する言説・観念の体系)は、イデオロギーであるがゆえに、言葉によって主張されて他者に支持されるべきものである。もしイデオロギーが言葉以外のもの、すなわち暴力や金銭などを手段として強制されるなら、その時点ですでにイデオロギーとしては無意味である。それは単に支配体制を維持するためだけの装置か、あるいは暴力や支配への身勝手な欲望を実現するための武器にすぎない。

一、何らかの主張あるところ、かならず反対意見あり。反対意見の存在は、その主張に意味あるが故なり(全員賛成の意見は主張自体が不要)。よって反対意見の抹殺・封殺は主張の自己否定と心得るべし。