恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

閉山しました

2014年11月10日 | 日記
写真は10月31日、閉山の日の恐山です。紅葉ももう終わり。久しぶりに木村和尚さんに撮ってもらいました。

「私は、中学生になるまで自分の母親が、実の、生みの母親ではないことを知りませんでした。まったく知らなかったんです。母親は弟や妹たちとまったく変わらずかわいがってくれました。それどころか、私が一番わがままを言っていたくらいです。その母親が育ての母で、生みの母親とは違うのだとある日突然知って、私は父親に生みの母親が誰か尋ねました。

 すると、普段ほとんど声を荒げたことのない父親が、恐ろしく厳しい声と表情で、『死んだ! お前を生んで死んだ!』とだけ言いました。

 それは、もう何も訊いてはいけないんだと私に思わせるに十分な態度でした。『ああ、何かあるんだ』。その後ずっと、私は質問することを自らに禁じてきました。

 私が事実を知ってからも、育ての母親の態度は、全然変わりませんでした。しかし、私の方はそうはいきませんでした。仕方ないでしょう。彼女への気持ちにどこか、これまでとは違う、ズレた感じが生まれ、少しづつそれが大きくなっていったのです。そして、その気持ちのすきまに、顔も名前も知らない、かつて存在していたということしかわからない、生みの母親に対する思いが広がっていきました。

 5年前、育ての母は90歳で亡くなりました。私はその葬式を出し、法事も何度かしました。すると、そうするたびに、ますます生みの母親が思われてならないのです。本当はまだ生きているのだろうか。いや、やっぱり死んでいるだろう・・・。

 供養をしてやりたいな。正直そう思いました。ですが、それを育ての母親の時のようにはできません。菩提寺の住職にも頼めません。戒名はおろか、名前も知らないのです。何よりにまだ、父親が生きています。衰えたとはいえ、頭はしっかりしています。いまさらまた、あんなふうに「死んだ!」と言った人のことを持ち出せません。

 そうこうするうち去年、たまたま私は恐山にお参りする機会がありました。そこで受け付けに行き、『戒名も本名もわかりませんが、私の母、ということで供養はできませんか』とお願いしてみました。受け付けの和尚さんは『かまいませんよ』と、拍子抜けするほど簡単に言ってくれました。

 私は和尚さんたちのお経を聞きながら、はじめて、私を生んだということ以外、まったくわからない、しかし一度は私を抱いてくれたに違いない人とのつながりができたような気がしました。

 急に涙が出てきてビックリしました。それは私にとって、思っていたよりずっと大事なことだったのだと、あの時しみじみ思いました」

 今年の夏東京で聞いた、70歳くらいの男性の話です。