恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

連休終了

2009年05月11日 | インポート

   最大16連休とも言われた今年のゴールデンウィークも、昨日で終わり。大勢の参拝の方々でにぎやかだった恐山の境内も、午後には人もまばらとなりました。期間中、全国各地からお参りいただきました皆様、お疲れ様でした。ありがとうございました。

 写真は連休中のものです。撮影は去年に引き続き、恐山の名カメラマン、木村さん。それぞれ、満開になった山内唯一の桜、晴天の早朝、霧が立ち込めた宇曾利湖に浮かぶ大尽山(おおつくしやま)、そして恐山から薬研温泉へと通じる道の途中に群生する水芭蕉、です。

Photo  連休中のとある1日、偶然、同じくらいの年頃の若者と、同じような話をする機会がありました。彼らはそれぞれ、いわゆる「引きこもり」 だったり、他人が恐ろしくてなかなか外に出られなかったり、リストカットを繰り返しているような事情のある人たちでした。そして彼らはみな、自分の気持ちを上手に他人に伝えられないことに苦しんでいました。

 その翌日、私は彼らとまったく縁のない、ただ祈祷や先祖供養のお参りにPhoto_2 来られた方々に、次のような短い話をしました。

 皆様、本日はお参り、お疲れ様でございました。連休中、行楽地でくつろがれるという方も多いところ、わざわざこの下北半島、恐山までお越しいただき、功徳を積んでいただいたこと、ありがたく存じております。

 皆様の正面壇上は、恐山の御本尊、延命地蔵菩薩さまでいらっしゃいます。御開山慈覚大師自らの手によって刻まれたと言われ、以来1200年、この地で人々の帰依を受けられているわけでございます。

Photo_3  お地蔵様といえば、仏教に数ある仏様菩薩様の中でも、もっとも人々に親しまれた菩薩様でしょう。地獄から天上世界にいたるまでを巡り歩き、お釈迦様がお亡くなりになってから次の弥勒如来様が出現されるまでの間、一切衆生の苦しみをお救い下さる菩薩様でございます。

 Photo_7 そのような菩薩様の慈悲の力を、我々凡人が推し量ることはできません。とても、人間の力の及ぶところではないでしょう。そもそも救うと言っても、人々の苦しみは千差万別です。時代がかわり、場所がかわれば、なおさらのことです。餓えや災害、戦争や経済の混乱、今日おいでのご年配の方には、そのすべてを経験された方もあるかもしれません。

 ところが最近、そういうこととは違った苦しみを持つ人、特に若い人が増えているように思います。彼らは家の中から出られなくなったり、自らを刃物で切りつけたり、睡眠や食事に障害があったり。そしてそのほぼ全員が、人間関係をうまく結ぶことができなくなり、疲れ、孤立してしまうのです。

 厳しい時代を生き抜いてきた方々からすれば、なにを甘えたことを、と思われるかもしれません。そんなことは気持ちの問題で、苦しみのうちに入らない、というご意見もあるでしょう。確かにそうかもしれません。

 ただ、私は、菩薩ならぬ我々にも可能な慈悲の行があるとすれば、ここで少し見方を変えられないだろうかと思うのです。つまり、そういう苦しさもあるのだろうな、と認めてあげることです。理解しなくてもいいのです。ただ、それがあることを否定しない、時には死を招きかねない苦しみだということを否定しない。このことが、思いのほか、大切なことなのです。

 かつて私は、体に障害を持つ息子さんのお母さんの話を聞いたことがあります。

「私は息子の障害の辛さを理解してほしいと思っているわけではありません。障害者なのだから、周囲に助けてもらって当然だとも思いません。もちろん、理解されれば嬉しいし、どうしても助けが必要なときもあります。でも、私がいま最も望んでいることは、息子のような、そういう生き方も世の中にはあるんだと、思ってもらえることなんです。何も特別に思われるのではなく、重い軽いの違いはあっても、人は皆それぞれに荷物を背負って歩いていくように、息子も自分の荷物を背負って、それなりに歩いていることを、認めてほしいのです」

 私は、ここに慈悲が慈悲でありうる根本があると思います。そして、ここに我々に可能な慈悲行があると思います。

  本日はまことにありがとうございました。道中ご無事でお帰りいただき、それぞれに周りのご縁を大切に、また機会がありましたら、恐山にお参り下さい。