恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

風のような孤独

2009年03月30日 | インポート

 20日の夜中に師匠が急逝しました。何の予兆もなく、まったくの突然。なるほど、生きているとこういうこともあるのだな、としみじみ思いました。

 私とは13歳しか違いません。二人でいると師弟ではなく、誰か別の師の下にいる兄弟弟子のように思われることもしばしばでした。

 思い出すことは多いけれど、二つだけ書いておきます。

 数年前、師匠は寺の老朽化した庫裡を新築しました。練りに練った計画から10年以上、全部自分で取り仕切り、建築業者を自ら引率して、本山やこれはと思う寺院の建物を見学させ、腕を磨かせることまでしました。檀家さんはもちろんのこと、有形無形、多くの方々の協力を仰いで、ようやく完成に漕ぎ着けた、まさに心血を注いだ畢生の事業と言うべき仕事でした。

 ところが、ついに迎えた落慶法要当日、私はあろうことか、不注意で真新しい白壁に大きな傷をつけてしまったのです。それこそ、この晴れの日に、です。どれほど怒られるか見当も付きません。かといって、黙っているわけにもいかず、私は覚悟を決めて師匠のところに詫びに行きました。

「あの・・・・・」

「なんだ」

「その・・・、実はつい躓いて、玄関の白壁に傷をつけてしまいました!」

「あ? ばかだな、気をつけろ」

 言ったのはこれだけ。ひょっとして聞こえなかったのかと思い、

「あの・・・、壁にかなり大きい傷・・・」

「作ったものは、いつか壊れる! 適当に隠せ!!」

 出家したての頃、師匠にこう言われました。

「お前はとにかく仏教を勉強したいんだろう。しかし、オレは違う。この寺を今よりよくして、檀家さんを安心させ、次の世代に引き継ぐ。オレとお前は道が別なんだ。だけど忘れるな。オレたちは師弟だ。お互い、立てた志を精一杯果たすんだ」

 師匠にとって新築なった庫裡は「志」であって、「財産」ではなかったということです。

 もう一つ。以前、私の若い知人にある役職就任の要請が来ました。このとき、本人から相談された私は、彼の実力を知るものの、まだ少し時期が早いのではないかと思っていました。そこで師匠ならどう言うか意見を聞こうと、ちょうど用事で会ったついでに、このことを話してみました。すると、いきなり、

「よけいな邪魔をするな!」

 と一喝。

「時期だのなんだの、お前が言うことか!! 何かをやろうとしている人間を他人がアレコレ言うな。おお、一生懸命やれよ、がんばれよ。そう言えば十分だ。失敗したら、そのとき励ませば、それでいいんだ。第一、若いうちの失敗なんぞ、栄養剤みたいなものだ」

 この人だからこそ、どこの馬の骨ともわからぬ、海のものとも山のものともつかない私を弟子にしてくれたのだと、今は思います。

 一昨年は父を喪い、今度は師匠が亡くなり、もう私を遠慮なく叱ってくれる人はいなくなりました。この歳でいささか情けないですが、吹きさらしの荒野にいるような気持ちが止みません。