修行僧時代、ある老師にこう言われたことがあります。
「何と言うか、直哉和尚にも困ったものだな」
「え? 私、まずいことでもしましたか?」
「アンタの話を聞いていると、意味がよくわからないうちに、正しいような気がしてくる」
私が説教や講演のようなことをし始めたころ、友人が言いました。
「直哉さんは不幸だね」
「何のこと?」
「だって、頭脳と才能がバラバラだもん。キミが頭で考えることはとても現実的で、厳しく言葉を選んでいるけど、最大の才能はアジテーションだぜ。何かを丸呑みして、感情全開のまま言葉を爆発させたら、とんでもない熱狂だってつくりだせるかも」
そう言えば以前、手相を見るという人に「見せてください」と言われ、何を言うのかと思ったら、
「和尚、アナタに禅は向きませんな。アーメンか、南無阿弥陀仏だったら、大成功したでしょうに」
所詮、私は救われない、報われないということか?
しかり! でも仕方ないんだよ。救われるとは何かわからないし、報われたいわけでもないのだから。
ただ、私の話を聞いた人! くれぐれも話半分に聞いておくこと!! 念のため。
追記:次回「仏教・私流」は4月10日(金)午後6時半より、東京赤坂・豊川稲荷別院にて行います。