暮れも押し詰まってきて、何の風情もない話で恐縮ですが、またぞろ「霊感商法」の事件がマスコミに報道されています。
無論、こういう苦境にある人々の弱みに付け込む商売は、する方が悪いに決まっているのですが、こう再三繰り返されるのは、いわば被害者になる方にも勘違いがあって、この勘違いが直らない限り、何度でも起こるような気がします。
ここで最大の問題は、詐欺師が神仏への信仰を利用していることではありません。そうではなくて、彼らが人を誘い込む枠組みが、信仰ではなくて、信仰に見せかけた神仏との「取り引き」だということなのです(だから「商法」と言うのでしょうが)。
これだけお金を出せば、もっと教祖に奉仕をすれば、それだけ「よいこと」がある・・・・この語り口は、取り引きそのものです。だから、望む効用を得られなかった被害者が「よいことが無い」と抗議すると、詐欺師側は「それはあなたの信仰が足りないせいだ」と言い、さらに金品を要求するのです。つまり、信仰が金に換算されて効用とバーターされているわけです。
被害にあいやすい人は、この取り引きに嵌っているのです。ですから、信仰が取り引きではないことに目覚めない限り、同じ間違いをしやすいわけです。
信仰は神仏と取り引きすることではありません。それはまず、われわれ人間が自らの力の限界を自覚することなのです。計算した上で神仏に向き合うことではありません。損得の勘定が成り立たない世界に踏み込むことです。
ならば、信じても報われないことを受け容れることのできる人だけが、深い信仰を持つことのできる人なのでしょう。
今年も読んでいただいてありがとうございました。皆さん、よい新年をお迎え下さい。