恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

ささやかなアドバイス

2007年05月08日 | インポート

 ゴールデンウィーク終了。各地もにぎわったでしょうが、恐山も期間中は比較的好天に恵まれ、大勢の参拝をいただきました。うかつにも、カメラを持ち込むのを忘れてしまい(デジタルカメラは硫黄ガスに弱いので、普段は置いていないのです)、今日は山内の写真を載せられず、申し訳ありません。

 連休中は、宿坊も満室の日がありましたが、それでも宿泊者の人数は100人にはなりませんでいした。つまり、すべて個人の方で、団体のお泊りがなかったのです。すると、15畳と4畳半の和室をたった一人で使うという場合もあり、いつだったか、都会でのアパート暮らしが長いという人が、広すぎて落ち着かないと言って、係が15畳部屋の真ん中に敷いた蒲団を、自分で4畳半の小部屋に敷きなおして寝ていたこともありました。

 今年は知人が来たり、メディアがらみの人が泊まったりで、いささかバタバタしましたが、まずは無事にすんでほっとしたところです。

 ところで、ほとんどが個人のお泊りで、数もそれほど多くないときなどに、私がラウンジを通りかかったりすると、声をかけられて、そのままお話をしたりすることがあります。そんな場合に結構多いのが、人間関係の悩みを相談されることです。

 およそ世の悩みはこれに尽きるといってもよいほどで、逆に人間関係が円満なら、人に耐えられない苦労はないでしょう。

 原因はたいてい、金か異性か地位名誉の争いです。この三つが無いならば、そこがすなわち「極楽」でしょうが、そうすると今度は、我々は「極楽」ではなく「地獄」に住みたがるものです。「この世では金と女が敵なり。どうぞ敵にめぐり会いたい」という川柳があります。

 私の経験では、人間関係を扱うのに、どこぞのノウハウ本にあるような、箇条書きにできる原則やマニュアルなど、所詮、役に立ちません。役に立つなら、それは大した悩みでも問題でもありません。人間関係は、失敗することでしか、本当のところを学ぶことはできないものです。他人は、その根底において正体がわかりません。したがって、こちらの手持ちのマニュアルで捌こうとしても、決定的な局面で捌き切れないことが多いのです。

 私は、失敗したほうがよいとは言いませんが、失敗しない限りわからない以上、失敗することを覚悟の上で、そうなったときには必要以上に落ち込まず、失敗から学ぶという、心の準備をしておくほうが利口だと思います。

 こう、ことわった上で、最近質問された仕事上の人間関係の問題について、参考までに若干の考えを申し上げます。

 一つは、仕事の仲間や相手のキャラクターを見ず、仕事の局面から人の好き嫌いを排除することです。これができないと、重要な判断が遅れ、さらに正確さを欠きます。キャラクターとは、性格もそうですが、男女の別、年齢の違い、国籍の違いなど、人の属性全部です。仕事という人間関係のフレームの中では、仕事の成否だけを見るようにするのです。

 もう一つは、共に行う仕事の目的や意味、価値を仲間で互いに共有する努力を惜しまないことです。仕事である以上、意に沿わない仕事もあるでしょうが、そうであっても、お互いの生活や会社の社会的使命などのコンテキストに位置づけ、それぞれ自分なりに仕事の意味を定義し、共同作業の目的を明確にする努力が必要だと思います。これが、仕事上のコミュニケーションの最も大切な土台です。

 この二つは、私のささやかな体験から申し上げることです。