ある人と話をしていたときのこと。彼、問うていわく、
「バーチャルなものと現実とはどこで区別したらよいと思いますか?」
私、答えていわく、
「思いどおりにならないものが、現実です。あるいは、本人がそれを望まないのに、彼の考え方や行動パターンを変えてしまうものが、現実です。それ以外は、根本的にバーチャルとリアルを区別できないと思います。ということは、リアルとは本質的に苦しいものです。お釈迦様の説くとおりですね」
「しかし、夢の中でも、思いどおりにならず、苦しいときがありますよ。これもリアルなんですか?」
「夢を見ている最中の当事者にとっては、まちがいなく現実で、リアルでしょう」
「では、夢と現実はどこで区別するのですか?」
「覚めるかどうか、ただそれだけです。夢に夢の根拠を求め、現実に現実である理由を求めても、それは無駄というものです。両者を区別するのは、目覚めという出来事ないし行為だけです。ならば、夢とは覚めてしまった『現実』であり、現実とは覚めない『夢』だと言えるでしょう」
「しかし、目覚め自体が夢だいうこともあるでしょう」
「そのとおり。だから何度も目覚めなければなりません。道元禅師が『夢の中で夢を説く』と教えるのは、まさにそこのところです。仏教はそこを修行するのです」
時には、世間話からこういう問答になることもあるのです。