くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「前世探偵カフェ・フロリアンの華麗な推理」大村友貴美

2013-04-15 08:47:57 | ミステリ・サスペンス・ホラー
 朝六時の開場とともにグラウンドに入り、シートを引いて場所取りする顧問のわたし。生徒は八時集合なのでこれでいいのかは疑問ですが、時間があるのでこの本を読んでいました。大村友貴美「前世探偵カフェ・フロリアンの華麗な推理」(角川書店)。この方の本は初めて読むんですが、岩手県出身とか。この本も岩手の図書館で借り、この日いたのも岩手県の競技場です。うーん、環境が近いなぁ、と思っていたら「虐げられた男は逆襲する」の主人公寺見鈴太の前世は和賀の残党でありながら伊達政宗に仕えたサカタトウゴだというではないですか。
 佐沼城に籠城した兵を千五百人撫で斬りとか、葛西大崎一揆とか、まさにわたしの地元です。なんだか不思議な感じがしました。
 カフェ・フロリアンは、三十歳くらいのショウという男性がママをやっています。
 えっ、この文が変ですって? ショウは茶色の縦ロール巻き髪でロングドレスを着ているんです。夜はゲイバーになるし、シェフのマナも乙女っぽい男性。大理石のテーブルに革張りのソファ。なぜかケチャの曲が流れるこの店には、自分の前世が見えるらしいショウに相談をしにやってくる客がたくさんいるのです。
 サカタトウゴの生まれ変わりである鈴太もその一人。勇ましい武将だったはずなのに、現在は妻の尻にしかれ、仕事はクレーム処理専任。他の人は誰も変わってはくれない。
 そんな彼に、前世はあなたの人生に直接関係があるものではないのだとショウは言います。前世からのメッセージではあるけれど、その人物はあなたとは違う人なのだと。
 なにやら困ったことがあると前世のことを思い出したり、死期が近づいてそういう話をしだしたりする人も出てきます。鈴太のように、夢でその人物の行動をなぞる人も少なくない。いや、もちろん前世のことを全く覚えていない人もいるんですが。
 小料理屋の女将と駆け落ちしたと噂された祖父。五年経ってやってきた男の子が、祖父とすっかり同じ行動をする。
 同級生の女の子が、前世は殺人事件の被害者だったと訴え、自分もそれに共振するような夢を見るようになる。
 誤解を受けて殺される人生を繰り返し、今生での人間関係がうまくいかない。
 そんな相談に、常連客のオヤジとともに乗ってくれるショウ。第一話の主人公だった南美ちゃんがその後も協力してくれるのが楽しい。
 わたしは生まれ変わりにはちっとも興味ないんですが、自分の前世が見えるのにそれに振り回されないショウには好感をもちます。前世を知ったからといって、何かが変わるわけではないですよね。
 それにしても、現地踏査に行くこともあるようですが、ショウはどんな格好をしているのでしょう。山奥の村を訪ねるときでもロングドレスなのか、な?

「ホテル・コンシェルジュ」門井慶喜

2013-04-12 20:34:15 | ミステリ・サスペンス・ホラー
 門井さんにしてはぬるい気がします。設定はすきなんだけど。
 「ホテル・コンシェルジュ」(文藝春秋)、老舗ホテルポラリス京都を舞台に、新人受付の麻名とエグゼクティブスイートに長期滞在する桜小路清長、そしてベテランコンシェルジュ九鬼銀平が謎を解きます。
 普通コンシェルジュといえば、チケットの手配とか観光名所の紹介をするものなんですが、桜小路清長は伯母の家から盗まれたらしい仏像の行方を尋ねます。しかし、伯母宅を見聞した結果当の伯母が隠したとわかる。どうすればいいのかという問題に変わっているのです。
 この伯母さんが強烈。「歩く圧政」と呼ばれています。清長がなかなか大学を卒業できないのはぼんやり家にいるからだとホテルポラリスに部屋をとってくれるんですが、なにかあるとその資金を打ち切ることをほのめかして頼みごとをするんです。
 「共産主義的自由競争」がおもしろかった。ウォッカバーのマスター串灘さんの人生がこれまた強烈です。KGBに勤めていたんだって。黒パンを賽の目に切って塩水をくぐらせてオーブンで焼き、木の実と合わせたおつまみがおいしそう。
 九鬼さんの回転の速さはとてもいいんですけど、回を追うごとに情けなくなる清長、と思っていたら、伯母さんに就職させられて思いもよらない仕事につき……。人って変わるものなのね、と見直したのも束の間。
 うーん、いつもの門井さんキャラではないような気もします。わたしはうんちくが好きなのかも。

「K町の奇妙なおとなたち」斉藤洋

2013-04-11 05:27:20 | YA・児童書
 新しく届いた本のカタログに、斉藤洋さんがコメントを寄せていました。
 だから、というわけでもないんですが、読みかけて枕元に置いたままのこの本を読み切ってしまいたいと思いまして。
 「K町の奇妙なおとなたち」(講談社)は、現在ではとっくにおとなになった「わたし」が、曖昧模糊とした幼年期を振り返る体裁で描かれています。おそらく斉藤さん本人の生活がベースになっているのでしょう。省線と私鉄の駅をもつK町に住んでいるおとなたちの姿を、「わたし」はある謎をもって見つめています。写真館のおじいさんは銭湯で二人きりだと「潜水」をしようと誘いますし、隣りのアパート「K荘」では「わたし」を非常に可愛がってくれる大家さんがよく食事に呼んでくれます。ここでかけるふりかけが、錦松梅といってめっぽうおいしいんですって。ここの娘カズちゃんは、近所の友人三人と(みんなカズちゃんという名前!)踊りをしているようですが、不思議なことにみんなおかめのおめんをつけている……。
 入院中のはずなのに、池に飛び込む教頭先生。かたぬきに魅入られて精魂を傾ける近所のお兄さん。父に怒られるのに嬉々としてやってくるサブロウさん。ひっそりと本名を教えてくれる「ベティーさん」。幼い日の「わたし」には困惑するようなことが次々におきるのですが、彼は淡々と受け入れる。やがて物心つくようになると一応の解決策はあるんですが、これが真実かどうかは誰にもわからない。
 筆者は、それを電車の車窓から見る景色にたとえます。例えば木の根元にいる人を判別するにはそれなりの速度でなければなりません。一瞬の時の流れが速すぎては、様々なエピソードも埋もれてしまう。おとなになるとなんでもないようなことでも、こどもにはなにがしかのものが見えるということでしょうか。
 可愛がってくれた大家さんが亡くなり、お見舞いをした彼はどうも魅入られてしまったようになるエピソードが印象的でした。八百屋のおじさんが祈祷してくれます。目の赤い像のメタファがよくわからなくてもやもやするんですけど、二度めに見たことと、花見での披露宴は関わっているのかも。
 自分の幼少期はどうだったろう、と考えてみましたが、忙しい日常を送っていると思い出すにも時間がかかるように思います。斉藤さん、物語をいつも自然に考えてしまうということですが、様々な現象が結びついていくんでしょうね。

「エンジェル・ハート」北条司

2013-04-10 05:53:59 | コミック
 先日、夫が大人買いしてきた「エンジェル・ハート」(徳間書店)1stシーズン24巻+2ndシーズン5巻。いやいや、まず「ソロモンの偽証」を読んでから借りるから、と言って、やっと読みはじめたのですが、これもまた長かった。
 ご存知、「シティハンター」の続編です。わたしは単発読み切りで雑誌に載った第一話をリアルタイムで読んだんですよ。アニメ化されたのはわたしが十代の頃。だからなのか、バックミュージックにTMが流れているような気分です。
 とはいえ、全部読んではいないので、エンディングがどうなのかわからないのですが。
 物語は、冴羽と結婚写真を撮ることになっていた日に事故で亡くなった香の心臓が盗まれることから始まります。台湾マフィアの殺し屋「グラスハート」の命をつなぐために移植されたのが、香の心臓。そのときから、彼女の心に香の存在が入り込み、やがて二人は親子のような関係になっていく。もちろん、冴羽もその思いに寄り添って、今はいないはずの香を仲立ちに親子として暮らしていくように。
 実は「グラスハート」は組織のドン李大人の一人娘。本人はそれを知りません。李大人は冴羽に彼女を託し、本人も知らなかった本当の名前「シャンイン」を伝えて帰途につく。
 かくして少し奇妙な三人(?)の暮らしが始まるのですが。
 喫茶店「キャッツアイ」を拠点としてシティハンターの仕事を始めるシャンイン。ここはあの「海坊主」が経営しているんですよ。シャンインを追ってやってきた信宏という少年に、居候を許すのですが、つい「海坊主さん」と呼んでしまうところを「ファルコンだ」と訂正していくシーンがおもしろかった。
 やがて彼は義理の娘ミキと暮らすようになります。小学校の名簿を見て、秋穂ちゃんというお友達のお父さんに電話をかけるとき、「ミキの父のファルコンです」と名乗ります。ミキ、どんな苗字で学校にいっているのかな。
 で、さらには恋人もできるんですよ。海坊主ファンとしては嬉しい。
 あと、わたしは槇村(香の兄)が好きだったんだなー、と。もう遠い記憶すぎて、はじめは冴子すら忘れていました。いろいろなエピソードを読んで、前作も読みたいように思います。冴子が槇村の墓に毒づく場面もいい。
 新しいキャラとして、陳チーフと玄武の皆さんも素敵です。老練な戦士たちの行動がたまらない。林忠さんの話は涙ぼろぼろでした。
 親子の愛が随所に描かれます。義理でも親子の情は深い。あれからずいぶんと時が流れたのだな、と感じました。作中で冴子が三十九になるシーンがありましたが、青年だった彼らももう親の世代なんですね。……いや、わたしもか。
 まんがの中では刻々と時が流れ、冒頭十四歳だったシャンインは、現在十九です。若者たちの成長も描かれているわけですね。わたしとしてはミキちゃんが大きくなっていくのが楽しみです。
 楊芳玉とかカメレオンとかいろいろ印象的なキャラも楽しい。
 ちなみに携帯電話の表示がカタカナなのが現実的ですよね。シャンインはまんがでは漢字なんですけど、この携帯では字が出ません。冴羽のリョウという字も同じ。
 わたしが読みはじめたら、夫も読み直していました。

「ソロモンの偽証」3 宮部みゆき

2013-04-07 05:56:17 | ミステリ・サスペンス・ホラー
 野田健一の物語だ、と思いました。
 バブル期の中学生たちを主人公にしたのは何故だろうと、冒頭からずっと考えていたのですが、二十年の時を経て野田健一が戻ってくる物語だからなんですね。あの人は、そしてまたこの人は、とその後を想像したい人もたくさんいますが、宮部さんは敢えてそれを描かない。
 「ソロモンの偽証」、やっとエンディングまでたどりつきました。三冊めは、ずっと学校法廷の様子が続きます。リーガルサスペンスではないんですけど、証言と検証による謎解きは、非常に緊迫しています。でも、床屋さんで借りてきたケープを法衣にして、汗をかきながら場を作り上げていく井上の、ふとした中学生らしさとか、裁判を通して変わっていく三宅樹理や大出、陪審員の個性的な面々など、なんていうか、大人でない姿に胸を打たれるのです。
 気分は、この裁判に三中の父兄として傍聴にやってきた誰か(作中人物ではない誰か、です)のお母さん、がいちばん近い。藤野さんや山埜さんのことはなんとなく子供から聞いているような。
 だから、終盤にとうとう和彦が自分がどのように柏木とかかわっていたのかを語る場面は、涙なしには読めませんでした。前回も触れたように、自分としては電話をかけたのは和彦で、彼の死に対して語っていないことがあるのだろうという読みはありました。ただ、宮部さんはそこでとどまらない。野田や樹理の行動の真摯な思いが、じわじわと涙腺を刺激してくれます。
 明かされていく柏木卓也という少年の姿。彼がそこまでひねくれたような考えをもつに至った根底には、やはり塾の滝沢先生がいなくなってしまったことがあるのだと思います。信頼できる先生が、スキャンダルのためにいなくなる。噂を否定しきれない、ということは、大出たちの暴力沙汰や樹理の告発状でも触れられているように、本作のテーマのひとつだと思うんです。で、書いてはいないけど、先生と噂された保護者というのは和彦の養母ではないかと。そして、不登校になった柏木に、滝沢先生に相談してみてはどうかといった場面。柏木がどう答えたのか覚えていないと和彦がいい、この場所ではいえないのではないかと野田が思うシーンがあるんですけど(605ページ)、滝沢先生を卑下するような言葉が返ってきたのでしょうね。
 養母の人生も、ふっと浮かび上がってくる。
 あとは、いろいろと些細な場面も胸に残るんですよ。佐々木礼子刑事が、不良少年たちにおばさん扱いされるのも仕事のうちだと考えているというところとか。あ、山崎が体育館に土足で入っていいといっているのをみると、ちょっとぞっとします(笑)。体育館の床は砂や土が入ると傷むのです! 張り替えるのにお金がかかるよ!
 こういうところ、つい気になるんですよね……。
 それから、宮部さんは涼子が嫌うほど楠山先生を嫌な奴だとは思っていないのではないかと感じました。地元出身で、柔道部で、山崎に勝負を挑んだりして、本人は出てこなくても、ちょこちょこエピソードが語られる。社会の授業で「よく作文を書かせる」なんて、結構ちゃんと授業をしているのではないですか? 事象を羅列するだけの授業ではないということですよね。
 さらに、母校の校長までしていた事実には驚きました。
 中学生にも、読ませたいですね。随所に、今の悩みからふと解放されそうな言葉があります。
 

「百年の誤読」岡野博文・豊崎由美

2013-04-06 05:17:28 | 書評・ブックガイド
 これも古い日記から。「文人悪食」と対になっている感じがします。

 ダ・ヴィンチ連載中からいちばん好きなコーナーで、毎号楽しみにしていた。二〇世紀中の「ベストセラー」と呼ばれる本を選んで、今の視点で評価していく対談。徳富蘇峰の『不如帰』から『ハリー・ポッター』まで百年百冊! (その後、二〇〇〇年以降の十冊も附録として紹介されているので、収録は一一〇冊)
 本誌にあった「いま読んでも鑑賞に堪え得る度」ランキングがなくなっているのが残念~。私は春樹・ばなな系統が苦手なので、その辺の作品が出てくると「ふーん……」としか思わないのだが、あとは大体妥当だった。あ、でも『恩讐の彼方に』は好きなんだけどなぁ。
 脚注もおもしろくて、そこでやっと三島の本名を発見。平岡公威(きみたけ)。なるほど。華族さんだっけか。でも、嵐山光三郎の本名にはびっくりした。祐乗坊英昭 だって。本名の方がペンネームみたいじゃないか!
 思わず膝を打ったのは『だからあなたも生きぬいて』。「巧妙に書かれずにいることがいくつかある」として、代表的な二点をあげている。
 � A子に声を掛けられたのに返事をしなかったことがいじめられる きっかけだったというが、なぜ返事をしなかったのか。また、そのときのA子の心象はどうだったのか。(あとから取材すれば判ることだろう、とのこと)
 � 司法試験の勉強をしているときの生活費はどこから出ていたのか。(これもわざと伏せているのでは? との推測)
このことから、「人生のつまずきのいちばんの理由から目が逸らされている。根本が全く解決していない」と語る。
 私はこれを読んだとき、どうして極道の世界に堕ちていったのか、その中でどういうエピソードがあったのか、そういう部分が全く書かれずにさらりと次に行ってしまうので、ちょっと待ってよー、私が読みたいのはあなたの人生のその部分なのにー、と思ったものだ。正直、司法試験に受かるところよりも、そのへんに筆を費やしてほしかった。変か?
 それから、『積木くずし』。
   岡野 きつい言い方かもしれないけど、これは「虐待」本だと思うよ。
   豊崎 この本を出すこと自体が虐待ですよね。
   岡野 こんなふうに自分のことをあからさまに書いた本が出たとして、学校に行ける?
 というやりとりは肯かされる。私はこの本読んでないけど。
 でも、娘の由香里さんが死んだときのワイドショーにゲスト出演する穂積の厚顔無恥ぶりにボー然とした。ふつう出ないだろう! さらにその死をネタにして新しく本出してるし。信じがたい。
 さて、特に今回おもしろかったのは、最近のベストセラーについて語っている「附録」の部分。紹介されているのは『バカの壁』『世界がもし一〇〇人の村だったら』『盲導犬クイールの一生』など。
 中でも大ウケしたのは、『Deep Love  第一部 アユの物語』に関する豊崎さんのあらすじ紹介。「グレた女子高生が援助交際の果てにエイズになって死ぬ。その過程で、犬、ばあさん、少年、オヤジなどに会う、それっきりの話。筋とおってない、理屈とおってない、意味わからない」。 
 ぶははははは! 本文を引用している部分も笑えるし、ケータイの小さい画面に表現されていたから、主人公アユの視野が狭くなっているのではないかという指摘も可笑しかった。
 作者・Yoshiのインタビューを読んだことがあるけれど、ストーリーが全部できあがる前に読者からのメールがどんどん入ってきて、それにかなり影響を受けたらしい。辻褄が会わない部分があっても、読んでいるときのおもしろさを優先させたというようなことを云っていた。それはちょっと小説を書く上で許されること? と思ってたら、「小説」ではなくて「物語」を書いているつもりなんだってさ。なんかなー。こういうナルシスティックな人は、苦手だ。『Deep Love』、本屋に平積みしてあっても、胡散臭くて手に取らなかったが、やっぱりそうだったか。
 そして、噂の『世界の中心で愛をさけぶ』。
 「主人公の朔太郎っての、究極のバカ。だって最後の最後まで、世界の中心で愛をさけびたいくらい好きな恋人、アキちゃんの名前を漢字でどう書くか知らないんだよ」
 ……笑った。読んだことないし読む気もないけど、生徒の書いてきた読書感想文であらすじは聞いている。そんなんだから二人で修学旅行のやり直しをしよう! としたこともばれるんだよ。
 それにしても、出版当時同僚のうち二人までが「好きな本」として名前をあげた『チーズはどこへ消えた?』。文字通り、消えちゃったんですかね。ベストセラーの寿命、短し。

「文人悪食」嵐山光三郎

2013-04-05 05:06:56 | 書評・ブックガイド
 今回も古いものから。……「ソロモン」長くてなかなか終わりません。

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 嵐山光三郎、もっと読まなくては! 『文人悪食』、ひじょーーーーにおもしろかったよ。国文学出身には、たまらない一冊だった。
 漱石から三島まで三十七人の「文人」の好んだ「食」についてまとめた本。文体にも軽やかなリズムがあり、うまい。読んだあと、その作家の作品をひとつでも読んでみようかという気にさせられる。
 彼が担当編集者だったという壇一雄と深沢七郎の回は特におもしろかった。昔の本棚から『壇流クッキング』を取ってきてみたよ。
 直哉の章には座談会の内容が箇条書きされているけど、実際に喋っている文を読みたい。こんな冗談まで紹介されている。
  
 �南方に行って二人でワニを撃った。一人は本物のワニを撃ったが、もう一人は海亀を撃った。これはアリゲーターではなくてマチゲーターというワニである。

 私にとって文人たちの新しい「素顔」を見せてくれたのも感嘆の一つ。特に石川啄木。「わがままで自分本位の性格」で、「函館へ逃げてからは妻の義弟である宮崎郁雨にたかり、東京へ出てからは金田一京助にたかった」。金田一の記録によれば、二人でそば、天ぷら屋に行き、さらに洋食を食べてビールを飲んだとあるが、「京助はおごってやったとは書いていないが、京助が払ったのに決まっている」!
 さらにうけたのは谷崎。『美食倶楽部』を構成する五人のメンバーについて、「大きな太鼓腹を抱えていて、脂肪過多のためでぶでぶに肥え太り頬や腿のあたりは豚坡肉(トンポウロウ)の豚肉のようにぶくぶくして脂ぎっている。つまり、晩年の谷崎潤一郎が五人いると想像すればよろしい」だって!
 こういうオトシのきいた文章を読むのは楽しい。梶井については、
「この世に写真がなければ、梶井基次郎は、九歳上の芥川龍之介に負けない世俗的人気を得ていたはずである」と書いている。
 そうそう、写真といえば、中也の「黒帽子の美少年像」は大岡昇平によると複写されつづけて「まるで別人」になっているという話。聞いたことある。嵐山氏はグラビアでその変遷史を作ったこともあるそうだ。見たいよ! 三十歳の中也は、「どこにでもいるオトッツァン顔」なんだって。
 中也は酒癖が悪くて太宰にしょっちゅうからんでいたとか。あの写真のイメージだと中也ってすごく若いような感じがするから、よく年齢関係が判らないので生年を確認してみた。中也の方が二つ年長だった。
 文壇一の大男は高村光太郎(推定一七七センチ)、次いで太宰の一七五センチ。対して小男は三島で、一五八センチくらいだという。
 三島のペンネームは「三島へ行く男」をもじってつけられたそうだ。三島! もう随分前に旅行して市内をうろつき回る楽しさを味わった場所なのでなつかしい。でも、彼の本名って何だっけ? 啄木とか鴎外なら知っているんだけど……。


「ソロモンの偽証」2 宮部みゆき

2013-04-02 22:03:07 | ミステリ・サスペンス・ホラー
「今のおまえ、カッコいいよ。それが本来の野田健一なんだろ。ずっと隠してたんだな」
 北尾先生のこの言葉に、涙が出ました。
「おまえ、デキる奴なんだよな」 
 と語りかける先生と、弁護人助手として動きはじめた健一の輝きが、涼子のピンチを救おうとしたあの図書館の場面と重なって、ぐっときたのです。
 柏木と仲が良かったのだという他校生神原和彦。恐ろしいほどに頭の切れる彼といるうちに、本来の自分を見つけていく健一。しかし、彼にはわかるのです。和彦が何かを隠していることを。 
 なんといいますか、この巻を読んでいると「ソロモン」とは誰のことなのかを探りながら物語を咀嚼しているような気持ちになります。冒頭の少年は柏木のように描かれているけど、和彦のことだよね? 公衆電話から連絡して、自分の揺れ動く気持ちを語った少年を「本人」といったのはそういうことだよね? どうして大出の弁護人になったのかも、それでわかるように思うんですが。
 いやいやいや、宮部みゆきのミスリードを誘う手法かもしれませんね。そんな状況なので、非常にわくわくします。
 学校内裁判の準備をしていたところ、にわかに怪しくなる大出の近辺。瞬間的に爆発するような男ですから、自分のことを考えるのに慣れていません。でも、和彦のペースに巻き込まれていく。
 二十年以上前、バブルの時期を舞台にしているのは、暴力的な大出の父の仕事に翳りが見えてくることを意図しているのでしょう。金をつぎ込み、悪事を肯定し、暴力で家族を支配する男。学校に乗り込んで文句をつけ、テレビ記者を殴り、そして、ある事件がおきることになります。
 時代は過去でも、登場人物たちは現代を映しているように思いました。それは学校の体制が変わらないからかも知れませんが、やはり書き手にしろ読み手にしろ、今の立脚地から物語を見るからでしょう。
 森内先生を語る生徒や教師が、結構ちぐはぐなのがおもしろい。取り巻きや目立つ生徒だけをひいきすると語る健一は、自分は相手にされない生徒だったと感じています。でも、北尾先生は、彼ができないふりをしている、仮面をかぶっているように感じる、と森内先生が話していたことを語ります。
 告発状を破って捨てるような人ではなかったと向坂は言いますが、柏木への対応はよくなかったと涼子は感じています。
 多様な視点があり、それぞれの考えが見渡せる。
 あとは山崎晋吾が颯爽としていて恰好いい。佐々木吾郎もいいですね。こんなに登場人物が多いのに、しっかり書き分けられているのはすごい、としか言いようがありません。

宮沢賢治記念館

2013-04-01 05:11:46 | 〈企画〉
 夫と花巻に行ってきました。宮沢賢治童話村と記念館、二館で五百五十円でした。
 すごく寒くてどうしようかと思うくらい。雪までちらついて、館内の暖房が嬉しい。前に行ったときは夏だったので、広場を走り回っている子どもも多かったんですが、銀河トレインも運休。リボンフラワーのおきなぐさが素敵でした。賢治の世界をログハウスで紹介しているところがあって、わたしはそこが好きなんですよね。入り口付近では賢治が作詞作曲した「星めぐりの歌」が流れています。いい曲ですよ。
 急ぎ足で回って、記念館に行きました。いつも思うけど、坂がものすごい。急だしカーブしてるし。
 わたしは高校生のときに初めて来てから、五回くらい来館していると思うんですが、今回は「スペース」だの「ビブリア古書店」だの「花もて語れ」だのを読んでいたので、なんだかこれまでよりもじっくり見られたように思います。
 例えば、農学校を退職すると決意した賢治が教え子に書いた「告別」という詩。
 展示を読んだ時点で非常に胸に迫ってきました。で、つい最近これを何かで読んだはずだという確信があるのですが、それが思い出せなくてイライラするんですよ。うー、うー、と考えていたらひらめきました。平田オリザ「幕があがる」! 先生が女優になるために学校をやめるとき、演劇部の部長高橋さおりに伝えた詩です。あぁ、重なるんだな、と感無量でした。
 この物語は、賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフにしています。そのことも含めて、なんともしんみりとしました。
 実をいうと、わたしはそれほど賢治が好きではありません。高校の文化祭で企画展示したことがあるし、短編をいくらか読んだくらいで。でも、賢治を愛する人たちの情熱のようなものが、感じられます。
 あとは、棟方志功が描いたという挿絵や、賢治が自分で描いた「月夜のでんしんばしら」の絵も味がありました。(上手なんです)
 平泉を訪れたときの資料を集めた企画展をしていました。修学旅行でいったそうです。こんなのを詠んでいますよ。
「桃青の夏草の碑はみな月の青き反射のなかにねむりき」
 桃青は芭蕉の昔の筆名ですね。義経の時代に思いをはせた芭蕉のことを、後年賢治が思う。そのつながりが、しみじみと伝わります。