くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「K町の奇妙なおとなたち」斉藤洋

2013-04-11 05:27:20 | YA・児童書
 新しく届いた本のカタログに、斉藤洋さんがコメントを寄せていました。
 だから、というわけでもないんですが、読みかけて枕元に置いたままのこの本を読み切ってしまいたいと思いまして。
 「K町の奇妙なおとなたち」(講談社)は、現在ではとっくにおとなになった「わたし」が、曖昧模糊とした幼年期を振り返る体裁で描かれています。おそらく斉藤さん本人の生活がベースになっているのでしょう。省線と私鉄の駅をもつK町に住んでいるおとなたちの姿を、「わたし」はある謎をもって見つめています。写真館のおじいさんは銭湯で二人きりだと「潜水」をしようと誘いますし、隣りのアパート「K荘」では「わたし」を非常に可愛がってくれる大家さんがよく食事に呼んでくれます。ここでかけるふりかけが、錦松梅といってめっぽうおいしいんですって。ここの娘カズちゃんは、近所の友人三人と(みんなカズちゃんという名前!)踊りをしているようですが、不思議なことにみんなおかめのおめんをつけている……。
 入院中のはずなのに、池に飛び込む教頭先生。かたぬきに魅入られて精魂を傾ける近所のお兄さん。父に怒られるのに嬉々としてやってくるサブロウさん。ひっそりと本名を教えてくれる「ベティーさん」。幼い日の「わたし」には困惑するようなことが次々におきるのですが、彼は淡々と受け入れる。やがて物心つくようになると一応の解決策はあるんですが、これが真実かどうかは誰にもわからない。
 筆者は、それを電車の車窓から見る景色にたとえます。例えば木の根元にいる人を判別するにはそれなりの速度でなければなりません。一瞬の時の流れが速すぎては、様々なエピソードも埋もれてしまう。おとなになるとなんでもないようなことでも、こどもにはなにがしかのものが見えるということでしょうか。
 可愛がってくれた大家さんが亡くなり、お見舞いをした彼はどうも魅入られてしまったようになるエピソードが印象的でした。八百屋のおじさんが祈祷してくれます。目の赤い像のメタファがよくわからなくてもやもやするんですけど、二度めに見たことと、花見での披露宴は関わっているのかも。
 自分の幼少期はどうだったろう、と考えてみましたが、忙しい日常を送っていると思い出すにも時間がかかるように思います。斉藤さん、物語をいつも自然に考えてしまうということですが、様々な現象が結びついていくんでしょうね。