くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「これからの誕生日」穂高明

2013-03-02 19:30:12 | 文芸・エンターテイメント
 タイトルから考えると、ここに描かれているのは「これまで」なのです。未来への優しい展望が見えるような気がしました。
 穂高明「これからの誕生日」(双葉社)。
 高校二年の秋、合宿に向かった演劇部員の乗ったワゴン車と、女子バレー強豪高のバスが事故を起こし、橋本千春という女子生徒だけが生き残ります。事故の衝撃から引きこもりがちになった千春を配慮して、学校は公欠扱いの措置を取りますが、友人や顧問の葬式に出ようとしない様子は一部から反感を買います。
 千春の弟拓真は、同じ高校に通っているのですが、ある日千春の同級生久住から学校裏サイトの情報を知らされる。そこには千春への暴言が溢れていました。伯母から気晴らしにと誘われた東京でのオペラ観劇にしても、
「ねえねえ、オペラ行くのも公欠でいいの? いいなー」「ふざけるな! 死んじゃった他の子達のことも考えろ!」なんて書き込まれる。
 千春は氷ばかり食べるようになり、拓真は心配です。
 物語は視点を変えて、親友だった美香の母親、タイムスの記者小泉、伯母の久江、担任教師谷原から見た事故と千春の様子が語られます。その間に、陸上部のエース久住が、何故中学時代は頑なに駅伝を走ろうとしなかったのかということが解明します。母親が勝手にした壁紙の張り替えに千春が激怒し、伯母の家に逃げ込んだ夜、食中りで病気に担ぎ込まれるのですが、これはある悪意が含まれていたこともわかってくる。
「今まで味方だと信じていた人に裏切られたような気がした」「最初はショックだったけれど、人間なんてそういうものだと自分で割り切ることができた」臨床心理士に話したというこの言葉は、久江の行動についてのものだと思います。
 人間同士の感情は、善意が百でも悪意が百でもない、ということでしょうか。可愛い姪っ子なのに、古くて食べられそうにないひじきを出す。(拓真には作りたてを出しています!) かといって、千春が嫌いなわけではない。気晴らしにオペラに誘ったり、このときも病院に運び込む運転手を買って出る。
 どの人も遠く近く、事故を振り返り千春にもどかしさを感じるのですが、担任の谷原は自分の出生について知らされたことで、これまで彼女の苦しみを他人事として受け止めていたのだと気づきます。自分の命は、他の人の犠牲の上に成り立っている。
 最終話はそれまでから半年近く経過しています。それまで度々出てきたケーキ屋さんのご主人が、バースデーケーキを予約にくる千春と拓真の様子を見つめます。
 それまでサバイバーとしての苦しみを一身に背負っていた千春が、ケーキを買いに来られるようになる。美香の家にケーキを持って訪ねることができるようになった。その回復の過程を、読者は想像するしかありませんが、「これからの誕生日」への期待を確信することはできるのです。
 「ひさえ ちはる たくま おたんじょうびおめでとう」
 ろうそくが増えるごとに、千春の傷は癒えていくでしょう。悲しみは深く残るにしても。新しい誕生日、とても愛しい物語でした。