ここ数日暖かい日が続き、会津地方もようやく桜の季節を迎えたが、私の一押しは会津若松市飯盛山の太夫桜である。昭和17年刊行の『若松市史』には「寛永の頃いっき太夫と呼ぶ遊女、此辺にて兇徒のために殺されしを舎弟南秀と云へる僧(當時瀧澤町南岳院)其跡を弔ひ、後ちの印に墓側の植ゑたるものと云ふ。春陽満開の候、絡繹として観る者絶えず」と記されている。惨劇の血潮が、舞い落ちる花びらを染めているかのようで、あでやかさでは、どこにも引けを取らない。長蛇の列ができた昔とは違って、今では通りすがりの観光客がふと足を止めるだけとはいえ、忘却の彼方に追いやられたわけではない。長寿のエドヒガンであることから、いっき太夫が美しかったことを、後の世にも語り伝えるのだろう。目印は白虎隊記念館であり、一週間後あたりが一番の見頃ではないかと思う。梶井基次郎が「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか」(『檸檬・ある心の風景』)と書いているように、惨劇に遭った遊女を思い出させるからこそ、なおさら美しいのだろうか。このほか、会津五桜としては、会津美里町伊佐須美神社境内の薄墨桜、同町法用寺境内の虎尾桜、猪苗代町磐神社境内の大鹿桜、会津若松市一箕町の石部桜、会津坂下町舟形の杉の糸桜などがあるが、悲しい物語が伝わっているのは、飯盛山の太夫桜だけである。
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