草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

暗記だけの歴史教育では国家観は育まれない

2023年09月21日 | 祖国日本を救う運動
 保守思想家として現存しているのは、西尾幹二や長谷川三千子の二人位である。ニーチェ研究者でもある西尾には『地図のない時代 反時流的考察』というのがある。
 そこでルソーの『エミール』を引用しながら、歴史教育の危険性を指摘していた。西尾は「歴史という学科は日本の生徒にはいつも入試のための暗記物でしかないのだが、そのために、歴史は事実のかき集めだという間違った観念を子供に与えてしまう。歴史を教えるなら、むしろ昔の偉人の話をきかせるのがいい。困難な時代を過去の人がどう生きたかという心を伝えるのが歴史であって、〇×式テストは歴史という科目には一番ふさわしくないのだが、現代日本ではこれが普通になっている」と書いている。
 受験エリートが駄目なのは、歴史の中に、人間の秘めたるドラマを見ようとしないことだ。それは単なる知識の寄せ集めでしかない。知っているだけであり、生きる上での示唆を汲み取る力はないのである。知っていることと、理解することとは異なるのである。歴史を学ぶということは、先人の智恵に触れ、それを生きていくためにどう生かすかなのである。
 小林秀雄も「歴史について」で「子供が死んだという歴史上の一事件の掛け替えの無さを、母親に保証するものは、彼女の悲しみの他はあるまい。どの様な場合でも、人間の理智は,物事の掛け替えの無さというものについては、為す処を知らないからである。悲しみが深まれば深まるほど、子供の顔は明らかに見えてくる。恐らく生きていた時よりも明らかに。愛児のささやかな遺品を前にして、母親の心に、この時何事が起こるかを子細に考えれば、そういう日常の経験の裡に、歴史に関する僕等の根本の智恵を読みとるだろう」と述べている。
 よく今の政治家や官僚には国家観や歴史観がないといわれる。しかし、そうした歴史教育が行われてことへの弊害はまったく問題にされない。何をどのように学習したかで、人間のかなりの部分が形成されてしまうのである。戦後の歴史教育を否定する立場から、僕は知り合いには平泉澄の『物語日本史』(上中下)を勧めている。

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