草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

東京裁判史観から脱却できなければ危機に対応できない

2023年07月14日 | 歴史
 東京裁判史観に縛られてしまったことで、今日の日本の悲劇が惹起されることになったのではないだろうか。米国や中国に物を言えないのは、自虐的な考え方から抜け出せないからなのである。
 大原康男が昭和58年に『東京裁判の問題性』で述べていたように、東京裁判史観を再検証することによってのみ、日本人は戦後レジームから脱却することが可能になるのである。
「もとより、東京裁判をやり直すことなど不可能であることはわかりきっている。しかし、法的意味における再審は無理だとしても、歴史的事実の上での再審は可能である。理由不尽のまま却下された弁護例の証拠を再発掘して、それを公正に評価し、裁判のゆがんだ事実認定を是正して昭和史を再検証すべきことは緊急を要する課題である。日本だけが侵略国であり、日本人だけが犯罪国民であるという、いわれなきいいがかりに対しては断固として反撃すべきであろう」
 とくに、国際法の見地からして違法であるのは「平和に対する罪」として裁かれたことである。そんな法律は国際法上は確立されていなかった。にもかかわらず、事後法によって罪を着せられたのである。
 また、共同謀議に関しても、一枚岩のナチスとは違って、我が国ではまとまった意見の集約はなかった。東条英機ですら「清水の舞台から飛び落ちる」という覚悟で、開戦に踏み切ったのである。
 さらに、無辜の民を殺戮した広島、長崎の戦争犯罪を裁けなかったことで、とんでもない汚点を残すことになったのである。逆にそのことを正当化するにあたって、米国などは、日本人を世界侵略を目論む民族であり、抹殺されても仕方がなかったという論理を展開したのである。
 ことさら正義を主張することで、敵を抹殺することを良しとする考えは、スターリンなどの共産主義者特有の思想であったが、東京裁判の根本的な立場は、それと全く変わらないのである。
 東京裁判の結果、世界は平和になっただろうか。日本が降伏してからも世界各地で戦争は続いており、より深刻になっているのではないか。戦争の当事者の国家は、それぞれに正義を主張して、相手を徹底的にせん滅するという傾向が強まっただけではなかったか。
 にもかかわらず、国家としての尊厳を喪失してしまった多くの日本人は、憲法に明記された「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」という平和ボケに慣れきってしまった。
 目前に迫った危機にも対応できないでいるのだ。東京裁判史観の過ちは必ず正される日がくるだろうが、もはやそれを待ってはいられない。日本という国家を覇権国家の脅威から守り抜くために、日本人一人ひとりが、押し付けられた価値観を拒否することから始めるしかないのである。

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