草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

飯山陽氏の孤軍奮闘の言論は傾聴に値する

2023年11月17日 | 思想家
 言論戦での飯山陽氏の孤軍奮闘に敬意を表したい。大方の日本のマスコミや識者が、イスラエルとハマスがどっちもどっちの議論を展開している。多くのパレスチナ人や子供が犠牲になると、イスラエルのガザ侵攻を批判している。
 しかし、飯山氏はテロリストハマスを糾弾し、イスラエルは国家の自衛権を行使しているだけだと弁護しているからだ。飯山氏の主張を嘲笑することは容易いが、彼女が指摘しているのは、識者と称する者たちの平和ボケへの痛烈な皮肉なのである。
 今起きているイスラエルとハマスとの戦いは、非対称的なものである。正規軍のイスラエルは、誰が敵だか分からないなかで、テロリストをせん滅しなければならないのだ。
 暴力的に拉致された同胞の救出も待ったなしであり、自国民を殺害したテロリストが特定されていれば、地の果てまでも探し出して、罰するとまで明言している。
 イスラエルは、最悪の事態に備えて核兵器をも所有している。欧米に頼らなくても、自国民を守る術を手にしているのだ。国民皆兵であることは言を俟(ま)たない。
 飯山氏はイスラエルをことさら擁護しているのではない。あくまでも国家的危機にどう対処するかを問題にしているのだ。日本有事が迫っている中で、日本国民にいざという時の覚悟を説いているのだ。
 池内恵氏は飯山氏の考え方だけではなく、虚言癖があると罵り人格をも否定しているが、飯山氏をこき下ろす理由としては、ガザのシファ病院がハマスの指令部ではなかったというだけである。テロリストがシファ病院を軍事施設化しているというのは、アムネスティも認めているところで、その規模がどうのこうのよりも、拉致された人たちがいる可能性があれば、警告を発した上で攻撃するのは、それなりに国際法に適っていることではないだろうか。
 そこで明確になっているのは、池内氏は非対称的な戦いの本質をまったく理解せず、ハマス側の宣伝の旗振り役をしているということだ。そこにあるのは、学者としての冷酷な視点ではなく、飯山氏とは違って一過性のジャーナリズム的な感情なのである。
 日本のアカデミズムの真相が、またもや飯山氏によって明らかにされたが、安全保障を議論する上で欠かせない、核武装についてはまったく触れず、口当たりのよいことを述べているだけの東大教授よりも、在野の飯山氏に説得力があるのは、現在直面している危機の深刻さを痛感しており、リアリストとしてマックス・ヴェーバーの流れをくむ真の研究者であるからなのである。

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