草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

三島森田の義挙は天皇の栄誉大権の回復を切望したからだ!

2015年11月24日 | 思想家

三島由紀夫がなぜ憲法改正を主張したか、なぜに「天皇陛下万歳」を叫んで腹を切らなければならなかったのか。その点を無視して憲法9条さえ改めればいいというのは、単なる小手先の議論でしかない。三島さんは日本の国柄を問題にしたのである。『文化防衛論』に収録された「学生とのティーチ・イン」において、三島さんは栄誉の大権について持論を展開している。「私はやはり最高指揮権(自衛隊)というものは総理大臣に置いたほうが一応は無難だと思います。けれども、光栄ないし栄誉大権という形でその上にさらに天皇が勲章を授与する、もとは天皇なんですから、勲章や軍旗は天皇から授与されたらいいのじゃないかということを前書いたことがあるのです。それは民主国家とちっとも矛盾しないでーイギリスやスウェーデンでもそういうふうにやっているわけですからね」。三島さんは天皇親政を目指していたわけではない。「統帥権の問題は旧憲法のような統帥権独立というかたちにはできないと思います。非常にこれは弊害が多いと思いますね。ですから今後はあくまで、天皇は栄誉の中心ではあられるけれども、また文化の象徴ではあられるけれども、政治的責任を負うような立場へ天皇を持ってくることはできないと思います」とも語っていた。「もとは天皇ですから」との言葉が強烈であるが、それは政治的とは異にするハイレベルな次元なのであり、それこそ「反革命宣言」の「われわれの護らんとするものは、我が国の文化・歴史・伝統である」との文言に集約されるのである。そしてそれが至上の価値であることを、自らの死を通じて私たちに訴えたのである。忘れまい。11月25日の義挙は天皇の栄誉大権回復のための行動であったことを。

 

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