草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

玉川徹氏を降板できないテレビ朝日を嗤う

2022年10月19日 | マスコミ評
 公共の電波を使っていい加減なことを言っても許される。そんなことがあってよいのだろうか。玉川徹氏のフェイクに対して、ネット民からの批判は強いが、テレビ朝日はコメンテーターではなく、現場に出るということで、一件落着させたいようだ。これまで同様に、玉川氏は言いたいことを口にして、ネット民の笑いものになるのだろう。
 玉川氏を「文化人」と呼ぶのには抵抗があるが、上から目線の発言は、福田恆存が命名した「文化人」の部類に属する。民衆は心理的に動くから、論理的に考えることができる高学歴の自分が、愚昧な者たちに教えてやろうというのである。福田恆存にいわせれば、とんでもない見当違いの手合いである。
「さういう『文化人』が、私の眼には、無辜(むこ)の良民をうしろから袈裟(けさ)切りにして、溝河(どぶがわ)に蹴落としておき、『南無阿弥陀仏、成仏しろよ』と手を合わせる辻斬り侍のように見えてしかたがないのです。選挙民をたぶらかすインチキ政治家とどこがちがふのでせう。国民の一人一人に竹槍をもたせようとした狂信的軍閥政治どこがちがふのでせう」(平和論と民衆の心理・Ⅲ・二七)
 実際は無辜(むこ)の良民の方が賢いのである。安倍さんの国葬儀の一般献花の列に並んだ人の方が、はるかにまともなのである。一時的なアベガ―を代弁して、死者を貶めた玉川氏は、感情に流されただけではないだろうか。
 今のテレビは、事実の報道よりも、下手な「文化人」に成り下がって、偉そうなことを臆面もなく言いたがる。「ミヤネ屋」に出てくるコメンテーターもそうだが、正義は我にありという口ぶりである。これではテレビを見たくなるのも無理はない。斜陽産業の最後の悪足掻きなのである。

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