草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

ネット民の知識人批判は既得権益者への批判だ!

2015年01月13日 | 思想家

ネットをやるようになって、一番痛感したことは、普通の人たちが持つ知識人への違和感である。それは勝ち組への負け組による反発でもある。人類が言葉を使用するようになってから今日まで、言葉をあやつる者たちが支配する社会が続いてきた。シモーヌ・ヴェイユはそのことを理解していた。実用性を欠く定式文であるにもかかわらず、日々労働にいそしみ、まともに暮らしている人たちよりも、はるかに優位な立場を与えられたからだ。「事物をあやつる人々より言葉をあやつる人々が優位を占めるという状況は、人間の歴史のあらゆる段階にみいだされる。附言すべきは、総体として祭司または知識人といった言葉の組み合わせや組み立てにたずさわれる人間が、つねに支配者の側、つまり生産者に対立する搾取者の側に立ってきたことである」(『シモーヌ・ヴェイユの言葉』冨原眞弓訳)。格差社会といわれるが、その背景にあるのも知識人の優遇である。誰もがネットで発表できるようになったために、当然の如く知識人への風当たりが強まったのである。日本の場合はそれが、進歩的文化人やそれに連なる者たちへの批判となった。大学教授やジャーナリストの特権を与えられているのに、自分たちが負け組であるかのように、表面を取り繕っているからだ。偽物のサヨクが没落したのはそのせいだ。ネット上の不満分子を知識人は「ネトウヨ」と嘲けているが、深刻な問題を孕んでいることを忘れてはならないのである。

 

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