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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

大東亜戦争は沈痛な国の民の已むに已まれぬ決断であった!

2014年08月09日 | 思想家

大東亜戦争は欧米列強の覇道のイデオロギーから生まれたのではなかった。それを教えてくれるのが保田與重郎の『近代の終焉』である。棟方志功の装丁であり、日輪が表紙に描かれていた。昭和15年の夏から執筆が始まり、昭和16年12月23日に出たその本にこそ、日本の草莽の者たちの思いが脈打っている。あの戦いは我々民族が望んだものではなかった。アメリカの謀略であったことは、歴史が示す通りである。しかし、避けて通ることはできなかった。それは国家権力が強制したものでもなく、体制翼賛のマスコミのせいでもなかった。保田もまた「我々は、ものの考への基底を、つねに最も沈痛な國の民として草莽の志から發するものにおくべきである」と主張したように、我が民族の一人ひとりが已むに已まれぬ決断をしたのである。すでに保田はその時点から大いなる敗北を予期し、そのためのレイクエムを奏でていたのだ。情勢論で戦争に与するのではなく、我が民族の精神から若者に死を説いたのである。文章はいずれも、大東亜戦争勃発の前に書かれているのに「我が國の文化を思ふものは、明日や明後日を思ふ代りに、永遠を思はねばならぬのである。先代の志士文人は至誠のためには國を危きにも投ずるといふみちをとり、ひたすら神國の神のさとしのまゝに國の傾くことない信念を生き貫いたのである。彼らがもし神國の信念の至誠に生き貫かなければ、すでにその日に國は傾いて了つたわけだつたからである」と呼びかけていた。捨て身の行動しか残されていないことを知っていた予言者は、権力が押しつける国家主義とは別な日本人の情において、戦争に協力せざるを得なかったのである。たとえそれが大いなる敗北であっても。

  

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