草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

道徳観が曖昧な鳩山首相の平和論

2010年03月20日 | 思想家

 能天気もここまでくれば笑うしかない。怒る気力すらなくなってしまう。鳩山由紀夫首相の無責任ぶりは、並外れている。普天間基地の県外移設は難しいとほのめかしたと思ったらば、その舌の根も乾かないうちに、またまた前言を翻した。「努力している最中だから」という言葉に逆戻りしてしまったからだ。こんな総理大臣が今までいただろうか。いくらヨイショしたがるテレビメディアでも、もはやかばい切れなくなっている。一番問題なのは、鳩山首相が泥をかぶりたくないということだ。責任を取りなくないのが、見え見えである。できれば、「前政権が駄目だったから」と言い逃れしたいのだろうが、もはやそれもできずに、時間稼ぎをしているだけだ。深刻なのは、鳩山首相の頭には、国の安全保障に対する識見がまったくないことだ。共産中国との海洋資源をめぐる争いについても、まったくの他人事だ。「友愛の海」とか「平和の海」とかいう言葉を口にすれば、解決できると信じている。福田恆存が『日本を思ふ』で書いているように、平和を主張するのは、政治上の消極的な意味しか持たないのである。「命に替へても守りたいもの、或は守るに値するものと言へば、それは各々の民族の歴史のうちにある固有の生き方であり、そこから生じた文化的価値」である。しかし、それに目を向けることなく、平和だけを叫ぶというのは、日本人の道徳観を「甚だ曖昧なものにした」のである。鳩山首相に道徳観が欠如しているのは、守るべき日本の精神文化について無頓着だからであり、命だけに固執するのは、個人のエゴイズムを重視するからだろう。それこそが、鳩山首相を含めた日本の平和運動の問題点なのである。福田恆存が突きつけた批判に対して、鳩山首相がどう反論するのか、ぜひとも聞いてみたい気がする。

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疑惑を晴らす挙証責任は、鳩山首相、小沢幹事長にあり

2010年03月20日 | 思想家

 鳩山由紀夫首相や民主党に期待する国民は、ほとんどいなくなってしまった。内閣支持率も30㌫をようやく維持している程度だ。そうなったのには二つ理由がある。一つは鳩山首相と小沢幹事長の政治と金をめぐる問題だ。もう一つは民主党がマニフェスト違反をやらかしたことだ。いずれも挙証責任を果たしていないことが致命傷だ。小室直樹が『大国日本の復活』のなかで指摘していることだが、刑事裁判においては、有罪か無罪かの立証は原告の検察側にあるが、汚職などの疑惑をもたれた場合には、政治家自身がそれを晴らす努力をしなくてはならないのだ。刑事裁判では「疑わしきは罰せず」ということになっても、政治家であれば「疑わしきは罰する」が原則なのである。公約やマニフェストを守らなかったかどうかについても同じだ。中曽根康弘が総理であった時代に、大型間接税の導入をめぐって公約違反の疑いがもたれたことに、小室は言及している。中曽根は総選挙にあたって「国民や党員の皆様が反対する大型間接税をやる考えはない」と演説した。「国民が反対し、自民党が反対する大型間接税」と断っていたことで、大型間接税全てを否定してはいない、との詭弁を弄したのである。それに対して小室は、政治家は万人に申し開きできるような説明は難しいとして、「結局、公約違反の疑いがもたれた時点で、中曽根首相の敗北は決まったのである」と一刀両断にしている。このことは民主党のマニフェスト違反や、鳩山首相や小沢幹事長の疑惑についてもあてはまる。マニフェストを順守しているとどうしていえるか、二人の無実がどのようして証明されるのか、その説明がきちんとなされていないからこそ、今の政権や民主党を見る国民の目が冷ややかになっているのである。「疑わしきは罰する」のが原則だというのを、鳩山首相や民主党関係者は肝に銘じるべきだろう。

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