日本という国家が根底から崩れつつあるんじゃないかな。自衛隊や警察も守るべきものを見失ってしまっているよ。それって緊急事態でしょう。池田龍紀が『ロストコマンドワールド』という本で、秩序動揺の事例として、60年安保でのことを書いていたっけ。そのときは数十万のデモ隊が国会の周辺を埋め尽くした。ほとほと手を焼いた岸信介首相が、赤城宗則防衛庁長官に自衛隊の治安出動を打診したところ、断られてしまったんだよね。しかたなく、テキヤ、博徒の稼業集団を動員することまで計画されたんだって。でも、そうした混乱下にあっても、自衛隊や警察の士気は高かったから、岸首相は退陣しても、当時の体制が揺らぐことはなかった。民主党を中心にした鳩山政権の場合は、そう生易しくはないよ。国の根本を外国勢力に売り渡すことになりかねない、永住外国人への地方参政権の付与法案を国会で通そうとしているんだから。治安や防衛に携わる者たちの反発も大きいよ。秩序の動揺が崩壊にいたるかどうかは、池田に言わせると「秩序を支える側すなわち正当性を担う勢力の指導集団」にかかっているそうだけど、かなりやばいことになると思うよ。日の丸を手にした国を思う者たちのデモ隊を、間違っても治安当局が蹴散らすなんてできるはずがないし。日本が危機であるのを痛感しているのは、彼ら自身でもあるわけだから。
民主党を中心とする鳩山政権は、構造改革を進めた小泉政権を批判するけど、公共事業の大幅削減に見られるように、大筋においては変わりがないよね。それでいて「地方主権」とか言うのも、どうかと思うよ。丸山真男は岩波新書の『日本の思想』で日本の近代国家の発展のダイナミズムを分析していたっけ。中央を起動とする上から近代化と同時に、「むら」あるいは「郷党社会」をモデルとする人間関係と制裁様式が、底辺から立ちのぼってあらゆる国家機構や社会組織に転位してゆく、下から上へのプロセスもあった。この両方向の無限の往復からなっているという見方をしたんだよね。簡単に言うと、情を重んじた「むら」としてのまとまりや団結心を否定するのではなく、その上に近代国家ができあがったというんだよね。例えそれが擬制化であり、混乱も生じさせたとはいえ、無視できないものとして「むら」があったんだよ。昭和30年代を境に農村社会が崩壊し、米作りを中心とした信仰のベースも失われてしまった。そんななかで、今さら地方主権という言葉を持ち出しても、ピンとこないよ。「補完制の原理」というのも、できるだけ身近な問題は地方が担当し、それが不可能であれば、国や県に任せるというだけでしょう。やっぱり、柳田国男が主張した「常民」という概念がもう一度見直されないと。柳田は「人の所業は如何に貴賎軽微なものにも、動機なくして現われ、理由なくして持続するものは無いということが明らかになった」(『国史と民俗学』)と書いている。だからこそ、日本民俗学を学問化しようとしなんだよね。それは同時に「我々平民から言えば自ら知ることであり、即ち反省である」(『郷土生活研究法』)わけだから。「むら」としてのまとまりや団結心を支えていたのは、日本人の素朴な信仰だよ。そこに目を向けずして、地方や地域を重視するという議論は、まったくの御門違いだよね。日本人という視点が、鳩山由紀夫にはすっぽりと抜け落ちているんじゃないの。