
いよいよ「雄別炭山駅」へアプローチです。
炭山駅を訪ねるのは今度で3回目です。
独特の雰囲気の鉱山跡
ビビリます。
そんなに怖ければ行かなければ良いのに…と言われるのは承知しています。
それでもやっぱり「怖い」です。*独りでは行かないほうが良いでしょう。
最初の物件はガス・スタンド廃墟です。
道路脇にあってアクセスに難はありません。*G・Sですから道路脇なのは当たり前ですね。
怖さ指数はほとんどゼロです。
雑草が生茂るシーズンでなければもっと観賞しやすい筈です。
廃墟の中で「火気厳禁」の警告表示だけが生々しいです。

林道の入り口にはゲートが設けられています。
連続降雨量が80mm で通行止めになるそうです。
本日は快晴でもちろんゲート・オープンです。

ゲート近くの川には橋梁が残されているのが見えます。

多数のボルトが立てられているのが見えます。
たぶん、枕木を固定するためのものだと想像します。
雄別鉄道橋のようです。

ダートの林道を走り始めます。

このような物件も走りながら目にします。
大きな建造物の基礎のようです。

やってきました。
怖い物件その壱であります。
初めて訪れた時には「ま、まさか病院跡?」と恐れおののきました。
今ではここが「雄別購買」という生協みたいな施設だったのは知っています。
相変わらず綺麗に除草がなされ、定期的に人の手が入っているのが分かります。
こうした処理がされていなければ、あっという間に草に埋もれてしまうでしょう。
この物件、5段階の怖さ指数でいうなら…
初めて訪れた時→4
素性を知って訪れた今回→2
といったところでしょうか。

今回はこの物件の観賞がメインではありませんので入り口付近から写真撮影して終了! です。
本当は怖がっている…
建物内部の写真は2015年の記事に詳しく書かせていただいています。
内部の状況に興味のある方はこちらを参照なさってください。
2015年の雄別購買の記事はこちらから。

この写真が「雄別購買」であった建物の特徴をよく示しています。

こちらは、「炭鉱と鉄道館」に展示されている炭山駅付近の写真で、雄別購買がよく写っています。

もう一度先の写真の赤矢印で示した部分を見てください。
この部分の特徴を先の写真に当てはめると…

矢印部分の特徴が一致します。
ただ、赤マット部分は取り壊され、現在は大きな開口部となっています。
今は原野にポツンと取り残された建造物ですが、当時の写真を見ますとその周りに多くの商店や住居がひしめく洗練された街であったのわかります。

さらに道を進むと煙突が視界に入ってきます。

残された雄別炭山の代表的ランドマークです。

この煙突が残されているお陰で、炭山操業当時の写真を見ながらそれぞれの相対位置を想像することが可能となります。
今回はこの煙突も取材対象ではなかったので近寄りませんでした。
やっぱり怖がっている…
怖さ指数…3~4

これが今回のメインの取材対象です。
「いったいなんだったのだろう?」と、気になって仕方がありませんでした。
「索道の構造物の一部なのでは?」という説も見たことがあります。

幸いこの周辺の雑草は深くありませんので、容易に近付くことが出来ます。
*ダニ(ツツガムシ)などを極度に恐れるオジサンは基本“藪漕ぎ”はいたしません!

さらに近付いて観察します。

索道というにはあまりにスパンが短すぎてそれはないでしょうね。

ここまで来て「なるほど…」ってイメージが確信に変わります。

これですね。
正面に見える四角い物体。
これ橋台ですよね。
つまり手前の物体は「橋脚」ということになります。
因みに脚は4基でした。

そこでまた「炭鉱と鉄道館」に展示されている炭山の写真を見てください。
赤矢印の部分。

拡大したのがこの写真です。
線路が見えます。
これは鉄道を渡る跨線橋ですね。
煙突からの位置関係もピッタリのようです。

さらに跨線橋の先を見ますと…赤矢印部に雄別炭鉱病院が写っています。
その左を見てゆくと、坑道入り口らしきもの、雄別炭山駅舎らしきものが写っています。
この写真を観察するととても多くのことを確認することが出来ます。

煙突を中心に見てみます。
今は何も無くなった煙突周囲には、こんなに多くの建造物、そして鉄道、列車などが写っていて驚きます。

そして多くの人々の生活がありました。
老人大国などと揶揄される今日とは異なり、若さ溢れる躍動感ある人々の姿を見ることができます。
いまこの周囲に人の生活はありません。
観賞を終え引き返す道すがら、こちらにやってくるクルマがありました。
廃駅巡りをしていて人に会うことはめったにありません。
すれ違いさま、クルマの窓を開けて挨拶しました。
お互いクルマに乗ったまま「立ち話?」をしました。
その方はこの雄別炭山に居住されていたそうです。
炭山が閉山されてから40年ぶりに懐かしい故郷にやってきたそうです。
しかし当時の何もかもが消失してしまい、まったく分からなくなってしまったそうです。
当時の写真を見る限り、その方が仰るとおり「何もかもが消失」というのはその通りです。
わずかな時間で街が無に還ってしまうなんてことが本当にあるのですね。

Google マップには雄別炭鉱煙突、そして雄別炭鉱病院跡 を確認することが出来ます。
座標も分かります。
しかし…廃線・廃駅観賞が趣味のオジサン。
廃墟マニアさんの領域に踏み込む気持ちはありません。
独りで行くには恐ろしすぎます。
いまこうして去年の記事を書いていても心臓がバクバクしてきます。
よくよくビビリーですね。
雄別炭山の歴史については、こちらのサイトを参考にさせていただきました。
雄別の歴史 サイトはこちらから。
炭山駅を訪ねるのは今度で3回目です。
独特の雰囲気の鉱山跡
ビビリます。
そんなに怖ければ行かなければ良いのに…と言われるのは承知しています。
それでもやっぱり「怖い」です。*独りでは行かないほうが良いでしょう。
最初の物件はガス・スタンド廃墟です。
道路脇にあってアクセスに難はありません。*G・Sですから道路脇なのは当たり前ですね。
怖さ指数はほとんどゼロです。
雑草が生茂るシーズンでなければもっと観賞しやすい筈です。
廃墟の中で「火気厳禁」の警告表示だけが生々しいです。

林道の入り口にはゲートが設けられています。
連続降雨量が80mm で通行止めになるそうです。
本日は快晴でもちろんゲート・オープンです。

ゲート近くの川には橋梁が残されているのが見えます。

多数のボルトが立てられているのが見えます。
たぶん、枕木を固定するためのものだと想像します。
雄別鉄道橋のようです。

ダートの林道を走り始めます。

このような物件も走りながら目にします。
大きな建造物の基礎のようです。

やってきました。
怖い物件その壱であります。
初めて訪れた時には「ま、まさか病院跡?」と恐れおののきました。
今ではここが「雄別購買」という生協みたいな施設だったのは知っています。
相変わらず綺麗に除草がなされ、定期的に人の手が入っているのが分かります。
こうした処理がされていなければ、あっという間に草に埋もれてしまうでしょう。
この物件、5段階の怖さ指数でいうなら…
初めて訪れた時→4
素性を知って訪れた今回→2
といったところでしょうか。

今回はこの物件の観賞がメインではありませんので入り口付近から写真撮影して終了! です。
本当は怖がっている…
建物内部の写真は2015年の記事に詳しく書かせていただいています。
内部の状況に興味のある方はこちらを参照なさってください。
2015年の雄別購買の記事はこちらから。

この写真が「雄別購買」であった建物の特徴をよく示しています。

こちらは、「炭鉱と鉄道館」に展示されている炭山駅付近の写真で、雄別購買がよく写っています。

もう一度先の写真の赤矢印で示した部分を見てください。
この部分の特徴を先の写真に当てはめると…

矢印部分の特徴が一致します。
ただ、赤マット部分は取り壊され、現在は大きな開口部となっています。
今は原野にポツンと取り残された建造物ですが、当時の写真を見ますとその周りに多くの商店や住居がひしめく洗練された街であったのわかります。

さらに道を進むと煙突が視界に入ってきます。

残された雄別炭山の代表的ランドマークです。

この煙突が残されているお陰で、炭山操業当時の写真を見ながらそれぞれの相対位置を想像することが可能となります。
今回はこの煙突も取材対象ではなかったので近寄りませんでした。
やっぱり怖がっている…
怖さ指数…3~4

これが今回のメインの取材対象です。
「いったいなんだったのだろう?」と、気になって仕方がありませんでした。
「索道の構造物の一部なのでは?」という説も見たことがあります。

幸いこの周辺の雑草は深くありませんので、容易に近付くことが出来ます。
*ダニ(ツツガムシ)などを極度に恐れるオジサンは基本“藪漕ぎ”はいたしません!

さらに近付いて観察します。

索道というにはあまりにスパンが短すぎてそれはないでしょうね。

ここまで来て「なるほど…」ってイメージが確信に変わります。

これですね。
正面に見える四角い物体。
これ橋台ですよね。
つまり手前の物体は「橋脚」ということになります。
因みに脚は4基でした。

そこでまた「炭鉱と鉄道館」に展示されている炭山の写真を見てください。
赤矢印の部分。

拡大したのがこの写真です。
線路が見えます。
これは鉄道を渡る跨線橋ですね。
煙突からの位置関係もピッタリのようです。

さらに跨線橋の先を見ますと…赤矢印部に雄別炭鉱病院が写っています。
その左を見てゆくと、坑道入り口らしきもの、雄別炭山駅舎らしきものが写っています。
この写真を観察するととても多くのことを確認することが出来ます。

煙突を中心に見てみます。
今は何も無くなった煙突周囲には、こんなに多くの建造物、そして鉄道、列車などが写っていて驚きます。

そして多くの人々の生活がありました。
老人大国などと揶揄される今日とは異なり、若さ溢れる躍動感ある人々の姿を見ることができます。
いまこの周囲に人の生活はありません。
観賞を終え引き返す道すがら、こちらにやってくるクルマがありました。
廃駅巡りをしていて人に会うことはめったにありません。
すれ違いさま、クルマの窓を開けて挨拶しました。
お互いクルマに乗ったまま「立ち話?」をしました。
その方はこの雄別炭山に居住されていたそうです。
炭山が閉山されてから40年ぶりに懐かしい故郷にやってきたそうです。
しかし当時の何もかもが消失してしまい、まったく分からなくなってしまったそうです。
当時の写真を見る限り、その方が仰るとおり「何もかもが消失」というのはその通りです。
わずかな時間で街が無に還ってしまうなんてことが本当にあるのですね。

Google マップには雄別炭鉱煙突、そして雄別炭鉱病院跡 を確認することが出来ます。
座標も分かります。
しかし…廃線・廃駅観賞が趣味のオジサン。
廃墟マニアさんの領域に踏み込む気持ちはありません。
独りで行くには恐ろしすぎます。
いまこうして去年の記事を書いていても心臓がバクバクしてきます。
よくよくビビリーですね。
雄別炭山の歴史については、こちらのサイトを参考にさせていただきました。
雄別の歴史 サイトはこちらから。