
雄別炭礦鉄道は根室本線釧路駅を起点とし、現・釧路市阿寒町の雄別炭山駅までを結んでいた炭礦鉄道です。
炭礦鉄道ですから炭鉱から産出される鉱山資源の運輸のために建設された鉄道であります。
雄別炭山駅は産炭された鉱山資源を釧路駅まで輸送するのが任務の鉄道終着駅でありました。
エネルギーの形態が石炭から石油へと変化し産炭事業もその影響をうけ急速に終息し、1970年 昭和45年 路線廃止に伴い廃駅となりました。
そんな炭鉱鉄道のひとつ、雄別鉄道の雄別炭山跡へやってきました。

万字炭山駅跡に続き、炭鉱鉄道の終着駅…炭山跡に心細い思いを抱きつつ走ります。
道道を行くと視界に、辺りの風景には不釣合いな人工物…巨大な煙突が見えてきました。
ドキドキします。
期待や喜びとかのそれではなく、不安でのドキドキ…です。
2014年には釧路駅近くの「株式会社 釧路製作所」に静態保存されている「8722号機」を鑑賞に訪れています。
その時はまだ「廃線」にはさほど強い興味はなく、その「8722号機」が活躍した雄別炭礦鉄道の廃駅跡を鑑賞に訪れるとは思ってはいませんでした。
2014年雄別炭礦鉄道 8722号機の記事はこちらから。

良くありがちな表現ですが、すでに目前に見えているようでなかなかその場に到着しません。
もちろん、気のせいでありますが。

道道222号線(この辺りはダートでした)から枝道にはしっかりとした轍があります。
地盤的には心配ないと思いましたが、オデ君を道道に残し徒歩で煙突物件に近付きます。
煙突基部はもうすぐそこです。
血圧上がってきました。

予想した絵柄とはちょっと異なります。
煙突基部にはそれなりの建物があるのかと想像していました。
地面からいきなり煙突が生えている…ように見えました。

煙突基部に近付きます。
さらに血圧上がっていると思います。
こんな時、何か急に出現でもしようものなら、たぶん気を失ってしまうでしょう。
超ビビリーですから、オジサンは。
「なんだろう?この穴は?」と思いましたがもうこれ以上近寄れません、怖くて…

煙突の基部の周囲には建物の基礎のようなものが残されています。
この煙突の正体と周りの基礎は、このときには何か分かりませんでしたが、「炭鉱と鉄道資料館」に展示されていた写真を見て理解しました。
「炭鉱と鉄道資料館」で見た資料の話はこの次に書かせていただきます。

煙突の鑑賞に続いて「廃墟」を鑑賞します。
このような物件「廃墟」を専門に訪ね歩くマニアの方々がいらっしゃるようです。
ムック本なども発売されていて、立ち読みしたこともあります。
長崎の端島、通称軍艦島と呼ばれる物件など廃墟業界では有名ですね、私でも知っているくらいですから。
このような趣味の方もいらっしゃるのだなぁ~と思いますが、まだその世界までは踏み込めそうにありません。
入り口に続く道路は綺麗に除草され、定期的に人の手が入っていることを感じさせます。
しかし…黒くぽっかりと口をあけた入り口…
こんなに綺麗に晴れた日中でも、ちょっと怖い…

ビビリながら物件に近付きます。
「なんなのだろう?この建物…」
廃墟の中では非常に綺麗な状態を保った物件であることは理解できるのですが、それでもやっぱり素人には怖いです。

そっと建物内に入ってみます。
内部も非常に綺麗に清掃されています。
生活用具などが散乱したオドロオドロしい雰囲気は希薄であり助かります。
*そんなに怖ければ行かなければ良いじゃん!という声が聞こえてきそうです。

市松模様のタイル配置のお洒落なフロアーです。
非常に天井が高く一体どのような目的の建物だったのでしょう?
肩の高さまで塗られたピンク色の塗装も気になります。
ま、まさか病院とか…
知っていたら絶対に近付かなかったでしょうけれど…
廃墟カテゴリーの中でも病院物件は恐ろしさトップクラスでしょう。

小さな出入り口?から建物の裏側へ出てみます。
石垣の石積みがあります。
裏側にも何か建物があったのでしょうか。

建物裏側にはお洒落な手摺りの付いた外階段があります。
階段には苔が厚く生育しています。
階段を登ってみたい気持ちもありましたが、「ここは廃墟、駅の跨線橋とは違う!」と自分を諭します。
苔に足を取られて落下でもしたら無事では済まないでしょう。
自力で歩けないような怪我でもしてしまったら、オデ君までも戻れなくなってしまいます。

廃墟の横の道も綺麗に除草されています。
わりと最近に作業したように見えます。
この先までは進む勇気はありませんでした。

ドキドキしながらオデ君を待たせてある道道に戻りました。
やはり廃墟は私のような小心者には合わないかなぁ…という感想でした。
崩落や倒壊などの危険もあります。
素人は不用意に近付かないほうが身のためですね。
いま記事を書いているのが2016年8月5日です。
あれから1年近くの時間が経ちましたが、こうして記事を書いていてもあの情景を思い出しドキドキしてきてしまいます。
私のようなビビリーなオジサンには「ふるさと銀河線」みたいな廃線間も無いライトな路線がお似合いだと認識しました。
炭礦鉄道ですから炭鉱から産出される鉱山資源の運輸のために建設された鉄道であります。
雄別炭山駅は産炭された鉱山資源を釧路駅まで輸送するのが任務の鉄道終着駅でありました。
エネルギーの形態が石炭から石油へと変化し産炭事業もその影響をうけ急速に終息し、1970年 昭和45年 路線廃止に伴い廃駅となりました。
そんな炭鉱鉄道のひとつ、雄別鉄道の雄別炭山跡へやってきました。

万字炭山駅跡に続き、炭鉱鉄道の終着駅…炭山跡に心細い思いを抱きつつ走ります。
道道を行くと視界に、辺りの風景には不釣合いな人工物…巨大な煙突が見えてきました。
ドキドキします。
期待や喜びとかのそれではなく、不安でのドキドキ…です。
2014年には釧路駅近くの「株式会社 釧路製作所」に静態保存されている「8722号機」を鑑賞に訪れています。
その時はまだ「廃線」にはさほど強い興味はなく、その「8722号機」が活躍した雄別炭礦鉄道の廃駅跡を鑑賞に訪れるとは思ってはいませんでした。
2014年雄別炭礦鉄道 8722号機の記事はこちらから。

良くありがちな表現ですが、すでに目前に見えているようでなかなかその場に到着しません。
もちろん、気のせいでありますが。

道道222号線(この辺りはダートでした)から枝道にはしっかりとした轍があります。
地盤的には心配ないと思いましたが、オデ君を道道に残し徒歩で煙突物件に近付きます。
煙突基部はもうすぐそこです。
血圧上がってきました。

予想した絵柄とはちょっと異なります。
煙突基部にはそれなりの建物があるのかと想像していました。
地面からいきなり煙突が生えている…ように見えました。

煙突基部に近付きます。
さらに血圧上がっていると思います。
こんな時、何か急に出現でもしようものなら、たぶん気を失ってしまうでしょう。
超ビビリーですから、オジサンは。
「なんだろう?この穴は?」と思いましたがもうこれ以上近寄れません、怖くて…

煙突の基部の周囲には建物の基礎のようなものが残されています。
この煙突の正体と周りの基礎は、このときには何か分かりませんでしたが、「炭鉱と鉄道資料館」に展示されていた写真を見て理解しました。
「炭鉱と鉄道資料館」で見た資料の話はこの次に書かせていただきます。

煙突の鑑賞に続いて「廃墟」を鑑賞します。
このような物件「廃墟」を専門に訪ね歩くマニアの方々がいらっしゃるようです。
ムック本なども発売されていて、立ち読みしたこともあります。
長崎の端島、通称軍艦島と呼ばれる物件など廃墟業界では有名ですね、私でも知っているくらいですから。
このような趣味の方もいらっしゃるのだなぁ~と思いますが、まだその世界までは踏み込めそうにありません。
入り口に続く道路は綺麗に除草され、定期的に人の手が入っていることを感じさせます。
しかし…黒くぽっかりと口をあけた入り口…
こんなに綺麗に晴れた日中でも、ちょっと怖い…

ビビリながら物件に近付きます。
「なんなのだろう?この建物…」
廃墟の中では非常に綺麗な状態を保った物件であることは理解できるのですが、それでもやっぱり素人には怖いです。

そっと建物内に入ってみます。
内部も非常に綺麗に清掃されています。
生活用具などが散乱したオドロオドロしい雰囲気は希薄であり助かります。
*そんなに怖ければ行かなければ良いじゃん!という声が聞こえてきそうです。

市松模様のタイル配置のお洒落なフロアーです。
非常に天井が高く一体どのような目的の建物だったのでしょう?
肩の高さまで塗られたピンク色の塗装も気になります。
ま、まさか病院とか…
知っていたら絶対に近付かなかったでしょうけれど…
廃墟カテゴリーの中でも病院物件は恐ろしさトップクラスでしょう。

小さな出入り口?から建物の裏側へ出てみます。
石垣の石積みがあります。
裏側にも何か建物があったのでしょうか。

建物裏側にはお洒落な手摺りの付いた外階段があります。
階段には苔が厚く生育しています。
階段を登ってみたい気持ちもありましたが、「ここは廃墟、駅の跨線橋とは違う!」と自分を諭します。
苔に足を取られて落下でもしたら無事では済まないでしょう。
自力で歩けないような怪我でもしてしまったら、オデ君までも戻れなくなってしまいます。

廃墟の横の道も綺麗に除草されています。
わりと最近に作業したように見えます。
この先までは進む勇気はありませんでした。

ドキドキしながらオデ君を待たせてある道道に戻りました。
やはり廃墟は私のような小心者には合わないかなぁ…という感想でした。
崩落や倒壊などの危険もあります。
素人は不用意に近付かないほうが身のためですね。
いま記事を書いているのが2016年8月5日です。
あれから1年近くの時間が経ちましたが、こうして記事を書いていてもあの情景を思い出しドキドキしてきてしまいます。
私のようなビビリーなオジサンには「ふるさと銀河線」みたいな廃線間も無いライトな路線がお似合いだと認識しました。