♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■喪失 / 関根弘興

2024年08月06日 | Weblog

2024/04/30放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 
 神様は人を価値のない土地のちりから形造られました。人はもろく弱い存在として作られました。そして、神様は人をエデンの園に住まわせたのです。すべての必要を神様は満たしてくださいました。

 しかし、「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と神様は禁止命令を出されたのです。
 これは、善悪の判断は人ではなく神様がなさることだよ、ということを示すものでした。善悪の絶対的な基準は神の領域にあるのだということを示すために神様が置かれたものでした。

 しかし人は蛇の姿をしてやってきた誘惑者のことばに引き込まれ、その実を取って食べてしまいました。

 果たして、「神のようになれる」と考え実を食べたのですが、その結果はどうなったのでしょう。人は神のようになれたでしょうか? いいえ、もちろんなれませんでした。

 善悪の知識の実を食べて、つまり神のようになろうとする誘惑からもたらされるものは一体何だったのでしょう。それは神様との親しい関係を失っていくというものでした。
 人はいつのまにか神様から隠れようとする者となっていきました。それまでは、人は裸のままで神様の前で安心して生活することができていたと書かれています。

 「裸であった」というのは、非常に象徴的なことばですね? それまでは神様の前に安心してありのままの自分でいることができたのに、今は神様から身を隠す存在となってしまったというのです。つまり神様との親しい関係が破壊されてしまったのです。

 この神様との関係がずれてしまった状態を聖書では「罪」と言っています。
ですから聖書が教える「罪人」とは「神様との関係がずれてしまった人」という意味のことばなんです。人は創造者なる神様から離れ、関係がずれてしまったために、恐れ、迷い、さまよい、不安をもって生きるようになってしまいました。

 「分離不安」ということばがあります。それは幼い子が母親から離れたときに味わう不安のことです。それと同じように、人は創造者なる神様から自ら離れていったため、本当の安息を持つことができなくなってしまったのです。その状態を「霊的な死」ともいうのですねえ。人は善悪の知識の木の実を食べて、神様との関係がずれてしまったのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.4.30放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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