♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■むちと叱責は知恵を与える / 福井 誠

2024年07月19日 | Weblog

2024/04/12放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠が担当する第五日。今日は金曜日。昔は、花の金曜日と言われ、友達や同僚と夜を楽しく過ごす日でしたが、今は死語でしょうか。
 しかし神様のことばはいつでも楽しく味わうことができます。今日も昨日の続きで、「むちと叱責は知恵を与える」と題してお話しをします。

 旧約聖書箴言29章15節をお読みします。

 「むちと叱責は知恵を与える。放っておかれた子は母に恥を見させる。」

 今日はちょっと子育て論的なお話をしましょう。私は子育てには成功したと言えるような者ではありませんが、二人の子どもを育てて社会に送り出してみて、やはり子育てにはしっかりとしたしつけが必要と思います。

 「むちと叱責は知恵を与える」 これを文字通りに受け止めて、実際にむちを使って厳しく打ち叩いて子育てをすることと捉える人もいるようですが、そうではありません。むちで打つような厳しさで、信念と覚悟を持って、というのが本当でしょう。

 私が大学で学んでいた時に心理学の教授がよく冗談交じりに言っていました。「子どもは生もの、放っておいたら腐ってしまう」と。
 確かにそうなのです。生まれたての子どもは本当にかわいいです。「かわいい、かわいい」で毎日過ごせますが、いつまでもそうではありません。私の娘にも子どもが生まれました。孫が遊びに来ると私は本当に嬉しい。孫は何をやっても可愛い。お爺さんには怒る理由はありません。
 しかし母親である娘にとってはそうではありません。娘が次第に子育てに悩み始め、親になっていく姿を見て、私は子育てからすっかり開放されている自分がいることを感じました。そして子育ての責任は改めて大きなものだったと思うところがありました。

 「放っておかれた子は、母に恥を見させる。」

 昔、米国の小児科医ジェームズ・ドブソン先生が「思い切ってしつけましょう」という本を書き、反響を呼びました。何が悪いか、何が正しいか、どうしたら正しいことができるのか、子どもは愛情をもってしっかり躾けるべきで、心を砕けばその努力は必ず報われるのです。

 では今日も良き一日となるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2024.4.12放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■正しい人が増える喜び / 福井 誠

2024年07月18日 | Weblog

2024/04/11放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠が担当する第四日。継続は力なり。日々聖書を読み深めるなら、自然に養われてくるものがあるものです。今日は箴言29章から読んでまいりましょう。今日は、「正しい人が増える喜び」と題してお話しします。

 旧約聖書箴言29章2節をお読みします

 「正しい人が増えると、民は喜び、悪しき者が治めると、民はうめく。」

 ある意味で当然のことを言っています。確かに正しい人が増える社会は安心できる社会、平和な社会、社会の住人が喜ぶのもよくわかります。そして、悪い人が組織の長、国の長になったら、これは最悪です。世界のニュースを見ていれば、それは一目瞭然、聖書はありのままの現実を語っているようです。

 しかし正しい人ってどういう人でしょう。感覚的にはわかる気がしますが、具体的にそれはどういうことを言うのか。箴言の著者が29章で語っていることばを拾い集めてみると、なるほど、なるほどです。

 まず、正しい人は正義を持って国をしっかり治める人です。重税を取り立てたり、人を粗末にしたりはしません。
 また正しい人は人を陥れようとはしない人です。人の権利をきちんと守る人です。
 また正しい人は弱い者に配慮する心のある人です。悪い人には弱い者への心遣いなど微塵もありません。
 また正しい人は、争い事をかきたてるようなことをせず、むしろ治めようとします。
 さらに正しい人は敵のためにも祈ることができる人です。頭に来るようなことがあっても感情的になって怒鳴ったりせず、むしろぐっと我慢し、事の成り行きを見ていく人間的な力量のある人です。

 確かに、こうした正しい人が増える社会は実に安心感のある社会です。たとえ誰かが物事に失敗するようなことがあっても、やり直しのために努力できそうな社会です。そんな社会があればよいな、と思うことはありませんか?
 しかし、そんな社会ができるのも、まずはこの私の意識から、と言うのが本当ではないでしょうか? 神の助けを得ながら正しい人が増える、私はその一人でもある、と覚えたいものです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.4.11放送でのお話しより )


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■主により頼む人は豊かにされる / 福井 誠

2024年07月17日 | Weblog

2024/04/10放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠が担当する第三日。「三日の馬飼い」と言うことばがあります。三日坊主と意味は同じです。今日を乗り越えたら、また聖書が面白くなります。

 今日は、「主により頼む人は豊かにされる」と題して、昨日の続き箴言28章から読んでみましょう。
 箴言28章25節をお読みします。

 「欲の深い人は争いを引き起こす。しかし、【主】に拠り頼む人は豊かにされる。」

 欲深を戒めることわざは日本にもたくさんあります。例えば「欲の熊鷹股裂くる」と言われます。一羽の大きな熊鷹が、二頭の猪を左右の足でそれぞれ捕まえたところ、その二頭の猪が左右に逃げようとし、熊鷹はこれを逃がしまいと頑張ったために股が避けてしまったというお話から、強欲は身を滅ぼす、と戒めることわざとなったものです。

 ただ欲のない人などいないですし、欲を捨て去ることもなかなか難しいものです。どこまでが強欲なのか、その境界も曖昧です。ただ、欲に度が過ぎれば争いが起こると、聖書は言います。争いは、一つの警告、知らせ、と考えるべきでしょう。

 しかし率直なところ、欲で失敗した経験のある人は、もうそのような物欲から解放されたい、自由になりたいと思っていることもあるのではないでしょうか。どうしたらよいものでしょう。

 新約聖書にはザアカイという取税人のエピソードが出てきます。彼もまた欲深な自分の問題を感じていた人でした。彼は強欲さによって大変なお金持ちになりましたが、逆に、本当に心を分かち合う友は誰もいない、実に寂しい人でした。華やかな人生の陰で彼はぐじぐじ、くすぶった思いを抱いていたのです。

 ところがある日、そのザアカイはイエスと出会い、「あなたに本当に必要なのはお金ではない。友である。」と示されるのです。そして彼は、そう語られるイエスが真実な友となってくれたことで変えられていくのです。

 欲を捨て去ろうと、修行僧のように頑張らず、私たちの心の友となってくださる神がおられることを知ることはとても大切なことです。豊かな人生の秘訣は目に見えるものではなくて、目に見えない神の愛と誠実さに目を開かれることにあるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.4.10放送でのお話しより )


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■誠実な人たちは幸せを受け継ぐ / 福井 誠

2024年07月16日 | Weblog

2024/04/09放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠が担当する第二日。継続は力なり、です。今日も昨日に続いて聖書の箴言から見てまいりましょう。
  今日は、「誠実な人たちは幸せを受け継ぐ」と題してお話しします。旧約聖書箴言28章10節をお読みします。

  「直ぐな人を悪い道に迷わす者は、自分の掘った穴に陥る。
   しかし、誠実な人たちは幸せを受け継ぐ。」

 歳を重ねてみると様々に自分の粗が見えてくるものです。不思議なものです。もっと早くに気づいていればよいものの、こんな歳をとってしまってから気づいても遅いではないか、と思うことはないでしょうか。

 しかし私の友人が言いました。いやいや、人生100年時代、気づいて直したいと思うことは素直に直して行けばいいじゃない。まだまだこれから30年、40年は生きるのでしょう、と。
 なるほどです。人生命ある限り、変わり続ける努力をする、これは人間に与えられた祝福です。

 ともあれ、箴言の著者は、誠実に歩む人は幸せを受け継ぐ、と語ります。その逆に、正しい人を迷わすような者は自分の掘った穴に落ちる。つまりその悪い行いの報いを受ける、と言います。

 嵐に揉まれ黒ずんだ海が、嵐が通り過ぎて元の美しい海に戻っていくように、この世の社会も物事が回復していくように仕組まれているところがあるのです。正しいことをすればそのよい報いは必ずあると信じてよいでしょう。注意したいのは、このように教えられているのは、王様、国を支配する指導者に対して、ということです。

 つまり、指導者、権力者こそ、物事を自分の思うように進めてしまう誘惑に最もさらされやすいのです。
自分にとって利用価値のない人は粗末にし、利用価値のある人にはいい顔をする、そんな悪どいことをしてしまうリスクがあります。

 けれどもそれではいけない、そのような悪い歩みは必ずその跳ね返りを受けるのだ、注意せよ、ということでしょう。
 気づいた時が吉日です。神を恐れ、神の前に心から誠実な歩みをさせていただきましょう。

 では今日も良き一日となるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2024.4.9放送でのお話しより )


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■若獅子のように頼もしい / 福井 誠

2024年07月15日 | Weblog

2024/04/08放送

 「世の光」の時間です。今日から6日間担当します福井誠です。1月以来、3か月ぶりにこの番組を担当し、リスナーの皆さんとお会いできて本当に感謝です。1月には能登半島沖地震もあり、ようやくコロナが落ち着き始めたと思いきや今年も大変なスタートになりました。復興が進みますように。また復興のために大変な努力をなさっている方々が守られますようにと心からお祈りいたしております。

 さて、今日から旧約聖書の箴言を共に読んでまいりましょう。今日は「若獅子のように頼もしい」と題してお話しします。旧約聖書箴言28章1節からお読みします。

  「悪しき者は、追う者もいないのに逃げるが、正しい人は若獅子のように頼もしい。」

 箴言は、本当に人間の判断力を養う良い書であると思います。聖書は、人間は皆いい人だと単純なことは語っておらず、人間も様々、やはりそれぞれ違う性質がある、よくわきまえて関係を取るように、と非常に現実的なことを語っています。
 今日お読みしたことばにもあるように、「悪い人」と「正しい人」というのは、対象的で、最終的に、正しい人は誰も恐れない、百獣の王、獅子のごとしだと言います。

 この後、箴言の著者は、「悪い人」、「正しい人」について様々に対比的に語っていきますが、著者がこうした対比を通して本当に言いたいことは、悪い人や正しい人あるいは警戒すべき人とお友達になっていい人を区別せよということではなくて、むしろ、正しいことをする、若獅子のように頼もしい人を育てよ、ということなのです。

 確かに世の中の人々が、ひそやかに心の底で求めているものは、お金や権力などではなくて、信頼できる誠実な人間関係です。そのような意味で、愛と義しさに満ちた神を尋ね求め、神の教えを尊び、それを守る若者が起こされていくことほど世の中にとって希望となるものはないことでしょう。強欲で、自己中心で、お金や権力に取り憑かれ、人を蹴落とすような若者ではなくて、神の教えを守り、人の心を大切にし、難題に勇気をもって取り組む、若獅子のように頼もしい世代が育つように祈りましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2024.4.8放送でのお話しより )


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■永遠から逆算で生きる /水谷 潔

2024年07月13日 | Weblog

2024/04/06放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 イエス・キリストは十字架の上で死なれ、墓に葬られ、三日目によみがえられました。そのことによってイエス様を信じる者たちに永遠のいのちが与えられています。

 永遠のいのちは、肉体が死んでからではなくイエス様を信じた時から与えられる恵みです。クリスチャンはこの地上から既に永遠を生きているんです。この世がすべてではなく、地上の歩みが永遠につながっているとしたらどうでしょう。地上で終わることのないもの、永遠につながるものを大事にするようになります。また永遠を思うときに、この地上の苦しみや悲しみも一時的なものとなり、それらを乗り越えていく力が与えられます。

 そのように永遠のいのちは、永遠からの逆算で、この地上を生きる指針そして力となります。

 キリスト教の伝道者パウロは、新約聖書コリント人への手紙第一15章58節で、そのことをこう記しています。
 「ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」

「死後によみがえり永遠を生きるのだから、動揺せずにいつも主のわざに励みなさい。」とパウロは勧めます。これは、地上で終わることばかりに目を留めず、神様を愛し人を愛する歩みに励むようにとの語りかけです。なぜなら、地上で注いだ愛は死後に豊かに報われるからです。

 またパウロは、「自分たちの労苦が無駄ではないことを知っていますよね」と確認します。神様と人々を愛してゆこうとすれば、そこには様々な労苦が伴います。しかしその労苦は無駄ではなく、死の向こう側で必ず神様が報いてくださいます。パウロは、永遠の世界での豊かな報いをもって神のわざに励み、様々な苦しみを乗り越えるように力づけています。

 どうでしょう。この世で終わるものより永遠にまで続くものを大切にしていく人生。永遠を思い、様々な苦しみを一時的なものとして受け止め乗り換えていける人生。永遠からの逆算で歩む確かな人生。そんな人生を歩みたいとは願いませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2024.4.6放送でのお話しより )


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■死の意味のどんでん返し /水谷 潔

2024年07月12日 | Weblog

2024/04/05放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 イエス・キリストは十字架で死なれ、葬られますが三日目に墓からよみがえり、死の力を打ち破られました。それによって、イエス様を信じる者に、肉体の死の向こう側にまで生きる永遠のいのちが与えられました。
 イースターはそのことを覚えて、喜び、感謝する時です。

 では、永遠のいのちをいただいた者は最終的にはどうなるんでしょうか。
 新約聖書ヨハネの黙示録21章の4節は、こう記しています。
 「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」

 イエス様を信じるなら、最終ゴールは神様と共に歩む、死も悲しみも苦しみもない、愛と喜びと平安に満ちた永遠の世界です。
 永遠を生きるのですから肉体の死は終わりではなく通過点となります。むしろ永遠の始まりとなります。より良い所に行くのですから、死はもはや絶望ではなく希望へと転じます。死によって手放すものがあっても、それに遥か勝る豊かさが約束されています。

 そのようにイエス様を信じる者にとっての死の意味はどんでん返しとなるのです。

 以前、私が集っていた教会で一人のクリスチャン女性が余命数ヶ月との宣告を受けました。その方は死を前にして、病床から教会の牧師に手紙を書きます。その手紙を読んだ牧師は、礼拝説教の中で本人の承諾を得て手紙の一部を紹介して、永遠のいのちの希望を語りました。その手紙の文面を私なりの記憶ですが再現してみます。

 「先生、病床で死を前にして、自分の葬儀のことをあれこれ考えています。讃美の選曲はどうしよう、お花はどんなのが素敵かしら、どうしたら残された人に良い信仰の証しができるかしら、そう考えていたらもう楽しくて楽しく仕方ありません。死んだらイエス様の所へ行くのだと思うと、なおさら嬉しくなり眠れなくなってしまいました。ちょうど子どもの頃、遠足に行く前日の嬉しくて眠れなかった時のようです。死を目前にして、こんなに嬉しいなんて変なのですが、本当なのです。」

 あなたもイエス様を信じて死の意味を大逆転してもらいませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2024.4.5放送でのお話しより )


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■死後の住まいは確保済み /水谷 潔

2024年07月11日 | Weblog

2024/04/04放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 日本には数字の4を避けるなど、死を連想させることを避ける習慣やマナーがあります。日本の文化では、死は不吉なもので避けるべきものとされてきました。そこには死に対する恐れがあるのでしょう。

 では、なぜ人間は死を恐れるんでしょう。
 一つの理由は、死んだら自分がどこへ行くかが分からないことではないでしょうか。死後の行先が不明であること、それが死を恐れる理由の一つではないでしょうか。

 拉致監禁という犯罪があります。目隠しをされ、乗り物に押し込まれ、どこへ連れていかれるか分かりません。行先には何が待っているのか分かりません。
 行先が分からないから、死は私たちにとって拉致監禁に似たような恐怖となるでしょう。そうした死への恐れは、日々の生活にも暗い影を落とすのではないでしょうか。

 しかし、もし死後の行先が決まっているならどうでしょう。しかもそれが最高に良いところであるなら、どうでしょう。死の不安は消えてゆき、ある意味、安心して死を迎えることができるのではないでしょうか。

 実は聖書によればイエス・キリストは、御自分を信じる者のために、天に場所を用意してくださっているのです。
 新約聖書ヨハネの福音書14章の2節と3節でイエス様はこう語っています。
 「わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」

 イエス様は、信じる者たちが死後にもご自身と共にいられるようにと、住む場所・住まいを備えて迎えに来ると約束されました。死後の住まいは確保済みです。この約束のことばを信頼するなら、死の不安は消え去っていくのではないでしょうか。

 日本では死が訪れることを「お迎えが来る」と言いますが、イエス様は信じる者に永遠の住まいを備えてくださって、やがてお迎えくださいます。

 今お聴きになっているあなたも、死からよみがえられたイエス様を信じて、死後の住まいを確保していただき、死が暗い影を落とすことのない毎日を送りませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2024.4.4放送でのお話しより )


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■本当にあったお墓のお墓 /水谷 潔

2024年07月10日 | Weblog

2024/04/03放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 愛知県豊田市のあるお寺には「お墓のお墓」があり、2万を超える数の墓石が山の中に並べられています。そこには不要となった墓石を引き取り、毎月供養しているそうです。近年は先祖代々からのお墓でも管理する家族がおらず、墓じまいをするケースが増えているとのことで、墓石が墓地やお寺から撤去され運ばれて来るのだそうです。その役割を終えると、ある意味お墓も命尽きて死んだことになるのでしょう。

 私が、この「お墓のお墓」のことを知って思い起こしたのは、聖書が記すイエス・キリストのよみがえりです。

 聖書によれば、イエス様は十字架につけられ、死なれ、墓に葬られました。しかし、三日目によみがえり、その墓は空っぽになったことを聖書は記しています。お墓が役割を果たしたのはたったの三日間だけです。これは、お墓が三日の命で終わったようなことでしょう。

 実はイエス様が死んだ後、墓からよみがえられたことは、イエス様が死に打ち勝ったことを意味します。
 言い換えれば、イエス様は死の力を奪ったのです。死を命なきものとされたのです。死を死に至らしめたのです。

 そして聖書によれば、イエス様を信じる者も永遠のいのちをいただいて死に勝利します。イエス様と同じように死んだ後によみがえり、イエス様と共に永遠を生きるのです。

 そのことをキリスト教の伝道者パウロはこう語っています。
 新約聖書コリント人への手紙第一の15章55節をお読みします。
 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか」。

 イエス様とイエス様を信じる者のよみがえりによって、もはや死には勝利がないこと、私たちを突き刺す棘もないことを、聖書は宣言しています。

 イエス様を信じるならその人は死に勝利できるのです。イエス様を信じる者にとって、肉体の死は終わりではなく通過点となります。死は敗北ではなく勝利の第一歩となります。遺骨を納める墓も、もはや終着点ではありません。永遠へのスタート地点なのです。

 キリスト教会は今、イエス様のよみがえりを喜びイースターをお祝いしています。ぜひ教会に行ってイエス様と出会い、死に勝利して、平安と喜びと希望に満ちた人生を送られることをお勧めします。


 ( PBA制作「世の光」 2024.4.3放送でのお話しより )


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■史上最多連勝記録のストップ /水谷 潔

2024年07月09日 | Weblog

2024/04/02放送

 「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 プロ野球28、大相撲69、女子レスリング189、これら三つの数字は、何を意味するかお分かりになるでしょうか。これらはスポーツの各競技での個人連勝記録です。それぞれの記録を達成したのは、楽天イーグルスの田中将大(まさひろ)投手、昭和の名横綱・双葉山関、そして国民栄誉賞に輝く伊調馨(かおり)選手です。

 スポーツではありませんが、人類の歴史には遥かに勝る連勝記録を誇った最強王者がいました。全人類に戦いを挑み続け、連戦連勝をしてきた絶対王者がいました。

 その王者の名前は「死」、つまり死ぬことです。死はすべての人に勝利してきました。人類最強と言われた英雄や戦士も、不老不死を願った皇帝や王様をも、死はいとも簡単に飲み尽くしてきました。

 しかしその連勝記録が途絶える日がやってきました。それがイースターです。イエス・キリストは私たちの罪を代わりに担い、十字架に架かり、死んでくださいました。それによって、神を離れ歩んできた私たちに罪の赦しが与えられました。
 さらに、その三日目に死からよみがえられ、信じる者に永遠のいのちを与えられたのです。イエス様をよみがえらせた神様は、信じる者によみがえりのいのち、肉体の死を越えて生きるいのちを与えられたのです。

 イースターとは、死という絶対王者の連勝記録が途絶えた日です。イエス様が絶対王者に初黒星をつけた日です。勝者であるイエス様を信じる者が、続々と死に対しての勝利者となり始めた日なのです。

 私たちは誰一人死に打ち勝つことはできません。しかしイエス様は、死に対する勝利宣言をしてくださいました。

 ヨハネの福音書11章の25節をお読みます。
 「イエスは彼女に言われた。『わたしは,よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は,死んでも生きるのです。』

 このことば通り、イエス様は死んでよみがえられました。そして、イエス様を信じる者は、まさに死んでも生きるのです。死に勝利するいのち、死を超えて続く永遠のいのちが与えられるのです。

 イースターの時、教会に集い、この永遠のいのちを求めてみませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2024.4.2放送でのお話しより )


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