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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■律法の一点一画も消え去らない / 福井 誠

2025年04月16日 | Weblog

2025/1/8放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井誠が担当しています。「継続は力なり」、聖書を日々読み進めることで、知らずに聖書の読みが深まってまいります。皆さんに聖書を読む楽しさが身に付きますようにと願っています。
 今日は、「律法の一点一画も消え去らない」と題してお話をいたします。新約聖書マタイの福音書5章18節からお読みします。

 「まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」

 イエスが群衆の前で語ったとされる説教の一節ですが、少し解説が必要です。
 律法というのは旧約聖書の教えと考えてよいでしょう。キリスト教徒は新約聖書の考え方を大事にしますが、それは旧約聖書を捨て去ることを意味しません。新約聖書の教えは旧約聖書の教えの土台に成り立つものだからです。

 イエスが語っていることはそのようなことです。ただ、一点一画とはどういう意味か、もう少し説明しましょう。
 例えば、日本語の漢字でも点が有る無しでは意味が違うことばがあります。「瓜」(うり)と「爪」(つめ)という漢字、「大きい」と「太い」という漢字がそうです。ヘブル語でも角を尖がらせて書く文字と角を丸めて書く文字では意味の違うものがあります。そして当時はコピー機もありませんでしたから、文書はすべて手書きの写本で伝えられました。そこで写本の筆写には一点一画の間違いも許されない慎重さが要求されたのです。
 つまりイエスが言いたいことは、新約聖書の時代になったからといって旧約聖書の教えが軽んじられることはない、それは重要なのだ、と言っているのです。

 確かに、イエスの十字架の愛の教えの素晴らしさが分かるのは、旧約聖書が語る厳しい戒めがあればこそです。旧約聖書いわば律法に定められた教え通りに生きることのできない人間を神は深く愛してくださっている、というのが新約聖書の教えだからです。

 イエスの教えの素晴らしさを深く理解するため、ぜひ旧約聖書も読んでみてください。


 ( PBA制作「世の光」 2025.1.8放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 

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