2025/1/10放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。早いもので、1月ももう三分の一3が過ぎてしまいました。時が経つものは早いものですが、聖書に親しむこと、習熟することは、焦らず、じっくり取り組みたいものです。
今日は「殺してはならない」と題してお話を致します。新約聖書マタイの福音書5章21節、22節からお読みします。
「昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは、聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。」
昨日もお話したように、この5章はイエスが当時の律法学者の教えを意識して語ったものであることを理解しておく必要があります。つまり、律法学者の教えに対してイエス独自の考え方が示されているのです。
当時、律法学者が「殺してはならない」と語った聖書の戒めを聞いた人々は、私は実際に人を殺したことはないから、と聞き流してしまうことも多かったのではないでしょうか。それは現代の私たちも同じかもしれません。
つまり、ここでは「殺す」という行為が問題にされていると考えるのです。しかしイエスは、外面的な行為ではなく内面的な心の思いに注目しました。ですから、この戒めの「殺す」と言う意味は、殺意を抱くこと、人に憤ること、人を馬鹿者、愚か者、とののしることも含めてなのだ、と言うのです。
確かに、人の怖さは仮面をつけた現実です。本当は人を殺したいくらい憎んでいるのにそんなそぶりを少しも見せない人間の複雑さです。そんな現実を考えると、天の御国に入れる人というのは、目に見える部分ではない目に見えない部分で聖らかさを感じる人だと言わなくてはなりません。天の御国に入れる人はただ殺人という行為を行わなかった人だけではない、殺意という心すら抱かない清らかな人だというのは理にかなったことです。まことに、天の御国にふさわしい心を持てるように神に願いましょう。
( PBA制作「世の光」 2025.1.10放送でのお話しより )
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